サクラの日に境勝太郎の亡くなること

境勝太郎が進軍ラッパを吹き鳴らし、鞍上にピンクの勝負服をまとった小島太が居てこそのサクラだったのだろうか。

2005-03-31 - 関内関外日記(跡地)

 サクラバクシンオーの現役には間に合わなかったけれども、サクラチトセオー天皇賞には間に合った。俺が競馬をはじめてからしばらく、境勝太郎厩舎、小島太鞍上、そんなサクラの馬が、競馬界の中心にいた。いや、ちょっと違うな、こう言い直そう、「とても目立っていた」と。そう、目立つ存在だった。花のある存在だった。サクラ何とかオーばかりだった。そして、境勝太郎は、初心者にも顔の見える調教師だった。古い競馬、戦前、戦中の競馬と、今の競馬をつなぐ存在だった。俺の愛する第一回ジャパンカップ。ああ、あの美しく散った、サクラシンゲキ、その調教師は境勝太郎だった。
 競馬の生き証人たちがこの世を去っていく。それは致し方ない。ただ、彼らの言葉が書き留められ、また、我々が我々の競馬を語り継ぐこと。また、馬たちの走ったそれぞれの記録。それらが続くかぎり、競馬は不滅だ。境の進軍ラッパは鳴り止まない。小島太は永遠に前が詰まる。でも、ビッグレースでピンク色の勝負服が駆け抜けていく。
 よって、桜花賞の日に死んだ名伯楽のことも語られ続ける。今はひとたびさらば境勝太郎、さらば昭和の桜。

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日本中央競馬会調教師の境勝太郎氏(さかい・かつたろう)が12日午前4時54分、合併症のため茨城県阿見町の病院で死去、89歳。北海道出身。

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