伊集院光の北野誠廃業問題への言及

 ひさびさに伊集院のラジオを聴いていて、最後の最後で北野誠問題への言及。正直、これがあるんじゃないかと聴き始めたところはある。
 して、伊集院はなんと言ったか。いつだったかネットで話題になった、「霊能力者についての考察」と、似たような話をしたのである。

まずみんなが集まっているところに伊集院が行って
ポッケからタバコの箱を出して「この中にスズメバチ入ってるから触らないでね」と言って、
そこに近寄らないようにしてからその場を離れる。

そのあとみんななんとなくその箱の置いてある席には近寄らないままでいる。
その部屋に他に人が入ってきたときに
「何でその席人がいないの?」
「なんか箱にスズメバチが入っているから座るなって」

そして最初部屋に居た人はもうみんな居なくなり、伝聞でしかスズメバチの事を知らない人だけが居るようになる。
そしてその人たちが更に新しく来た人に尾ひれをつけてスズメバチが居る話をする。
既に存在しないスズメバチがみんなの行動に影響を与えるようになっている。
最初は一匹という話だったのに、凄い数が入っているということになったりもするだろう。

NEWs保存道場 伊集院を心の底から頭がいいなあと感心した話

 今回の問題についても、まわりからはいっさい解らない内情をあれこれ想像し、そこから「幽霊」(≒スズメバチ)が生まれ、肥大化していくこと、それを懸念しているようであった。みんなが、あれが怖い、これが怖いと、恐怖を勝手に大きくしていくことを。だいたい、幽霊だってツッコミどころ満載かもしれねえじゃねえか、と。しかし、まあ、本当に怖い正体のこともあるよ、と。あと、伊集院は言ってねえけど、ひょっとしたら、幽霊扱いされてる奴らが、実は勝手に巨大化していくイメージを喜んでるかもしれねえんじゃねえのって、俺は思ったりするんだけれども。
 と、まあ、やはりこのあたり、やっぱり伊集院は見ているな、と。別にインターネットで、今回の問題を巡る流れを見ているわけじゃなく、やっぱりその、あれだ、人間心理みてえなもんだ。人間の機微だ。本日冒頭の、ものっそい小さな愚痴じゃあねえけれども、人間同士の間でおこる奇妙な行き違い、齟齬、そういったものをよく見ている人間ならではだ、と。おなじ言葉を話しているようでいて、まったく別のことを話している人間のおかしさ。そこに起こる、ロスト・イン・トランスレーション。ただ、おかしさでは済まないことへの恐怖。その想像力。
 でも、伊集院はさ、そこに絶望してねえし、たぶん、まあ、俺が勝手にそう思ってるから思いたいだけなんだけれども、小さなことにこだわってうじうじしてしまう、傷つきやすい、かといって純真とはかけ離れた、薄汚い、しょうもない、愚かな、そんな人間の、マイナスで、こうやって、オッターヴァ・コン・ブリオを聴きながら、ドブスの2008年メガネを思い浮かべてるダメ人間、そこんところで、しかし、世の中そういう人間も少なからずいるぜって、そんなところの、ゆるいつながりの、そこんところがあるんじゃねえのと、いや、俺は少なくともそう感じてるぜって、そう思うのだ。
 まあ、そんなわけで、浅い伊集院信者としては、まあ、危険なラインぎりぎりを攻めて、ダメになったらダメになったで、ともかく、まあ、うまいこと切り抜けて、ラジオ続けてほしいって、そう思ってるよ。おやすみ。

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