ブランキを足がかりに、これからなにを読もうか

 『天体による永遠』、単行本に収められている全編を読了。本編のほかに、当時のジャーナリズムの反応(新聞の書評とか)、編者、そして訳者による解説など。
 しかしなんだ、「当時のジャーナリズムの反応」は、読んでいてムカムカきたな。「別に新しいことは言ってない」、「ラプラス批判のここのところがおかしい」、「終身刑を食った自分の境遇からの、現実逃避」、「もう、年寄りの囚人なんだから、大目にみてやろう」……。いや、そんなんじゃねえだろう、もっと、なんか、おまえら、魂にひびかないのか! と。
 でも、そのあとの解説によって救われたね。なんかすごい左翼からの記述だったらどうしようかと心配したけど、そんなことはなかった。読後感やよし。俺によし。
 で、さて、せっかくだから、このブランキを足がかりに何か読書の網を広げていきたい。はっきりいって、絶版もいいところの、この本を足がかりにして、いったいどこに行けるのかわからんが。
 まず、考えたのは天文学とか、宇宙の話だ。なんというか、そこそこSFを読んでいるせいもあるだろうけれども、ブランキの、そしてウィキペディアその他、天文、宇宙の話がすんなり入ってきた。べつに最新でもなくていいから、なんか基本的に押さえていけるようなところ、どうだろうか、と。
 ただ、そのあたりの手がかりがよくわからん。俺は、読書の網を、著者から著者へと広げていくのは、あるていど得意かもしれないが、分野となると、ましてや理系分野となると見当がつかない。ラプラス? ガチ理系はもちろんついてけない。なんかこう、リリカルじゃないとダメだ。だったら、なんか図鑑的なものの方がいい。バカには写真を見せてくれ。えーと、だから、このあたりは、ちょっといろいろ考えてみよう。
 次に、やはり人へ。となると、解説にいろいろの名前が出てきて、その同時代性とか、影響とか、類似性とか、まあいろいろと。で、まずニーチェ。えー、ニーチェ? なにそれ、むずかしそう。というか、中学か高校のころ、気取って読んでみても、ぜんぜんわかんなかった。なんだろう、ちょっと待った。待ってくれ。俺は、西洋哲学とかさっぱりなんだよ。
 じゃあ、ヴァルター・ベンヤミン! え、ベンヤミン? 『歴史の概念について』にブランキの影響があるらしい。でも、なんか、ベンヤミンもむずかしいんじゃねえの? 名前しかしらねえよ。親父が、パサージュがどうのこうの言ってたと思うけど、なんだかわからんだ。あー、パス。デモクリトスとかエピクロスエピクロスの肋骨ってなんだっけ?)とルクレティウスとか言われてもしらねえし。
 ほかは? ↓訳者解説から引用。

 また、ブランキを論じるのに西洋の文献ばかりを取り上げたが、事によるとどの西洋人よりもブランキ的かもしれない人物が我国にも存在することを、忘れてはならない。革命・牢獄・宇宙と並べてくれば、闇の中から一つの気配のように現れてくる大きな影―そう、埴谷雄高である。

 えー、埴谷雄高? 稲垣足穂とかじゃねえの? 埴谷もすごいむずかしいんじゃねえの? やっかいやっかい。
 つーと、なんだろう、たとえば、フランス革命あたりの、歴史系読み物? 『バブーフの陰謀』がすごいおもしろいんだっけ? そういや、まあ、そこそこそのあたりの小説は読んだことあるしな。えーと、プルードン? 誰?
 あとはしかし、自分の読んでいる世界に、こう、引き寄せたくなるところも否めない。なんか、この有限、無限のところ、すげえ禅っぽいというか、仏教っぽいというか、下手なことはいえないが、監獄の中で突き抜けて、さらにまた、晩年まで政治に身を投じたところとか、ある種の悟りの人という気がする。
 それに、なんか牢獄というと、ちょっと時代をさかのぼったところにいる、怪物サド。サドもまた、牢獄の中でぐわーっと、なあ。またサド読むか。あと、稲垣足穂宇宙論系、弥勒とか、また読むか? 
 あー、でもなあ。↓訳者解説から引用。

 ベンヤミンによれば、ヒーローこそ近代を解く重要な鍵なのである。ブランキとボードレールは、近代的ヒロイズムの創出に貢献した。二人に共通する特質は、まず一揆主義のエネルギー、次に不機嫌、憤激と憎悪の激しさ。二人は反逆とかりそめの生活という共通項で結ばれている。二人ともロマン主義を嫌い、反動的な中世主義を拒否し、簡潔を愛し、大げさな表現や友愛、進歩、万人の幸福などの幻影を嘲笑した。ブランキの愛用した黒服、黒手袋は、平等とメランコリーの象徴である。

 ベンヤミンによれば、ヒロイズムの最後の変身はダンディズムである。冷静沈着な態度、シンプルで清潔な身なり、迅速な行動、「強襲」の実行、強い意志力による日常的な自己規律、等によって、ブランキはまさしくダンディと呼ばれるに値する。それはボードレールの呼称によれば、「新しい貴族主義」の範疇に属するものである。

 と、ベンヤミンによればそうらしい、ブランキそのものについて、もうちょっと読みたいところがある。なんか、このあたりって、ほら、澁澤龍彦の、『異端の肖像』とか、『悪魔のいる文学史』みてえじゃん。‘死の大天使’サン・ジュストとか、‘殺し屋ダンディ’ラスネールとかさ、ああ、なんかいいな。また澁澤読むか。もうちょっと、なんか、また、俺も少しはいろいろ、知るようになったかもしれないしな。うん。