『けいおん!』第七話を見ていてちょっと思ったこと

 朝、録画しておいた『けいおん!』見た。朝『けいおん!』を見ると、なんかいい一日のはじまりになるよね。元気が出る。なにこれきもいおっさん三十歳、それでもめげずに生きています。
 それで、上の七話……って、あれ? なんかテキスト内容間違ってね?

季節が過ぎ、唯たちは高校2年生に。
だが、クラス替えにより澪一人だけ別なクラスになってしまう。
からかう律と強がる澪。
一方、唯の妹・憂も無事受験を終え、姉と同じ桜高へ入学する。
軽音部は新入部員獲得のため勧誘を始めるが…

 これ、来週のじゃねえの? タイトルんところは「クリスマス!」になってんだけど。まあいいや、それで、冒頭、唯と憂の姉妹がマフラー一緒に使ったり、手ぇつないだりしてるシーンあったじゃん。この場合、姉妹なので「百合いいなぁ」の波はこなかったわけなんだけれども、なんかたとえば、これって姉妹だから成り立つんだろうな、みてえな。いやね、別にこの『けいおん!』の絵柄ならいい。あるいは、タカハシマコの絵ならいい。でも、現実として……。
 いや、現実で、別に男同士だろうと、兄弟だろうと、やっていけないことなんてないんだけれども、ええと、そうじゃなくて、なんだ? 俺はいったい何のモハメドのアリとナシを論じようとしてんだろ? わかんねえや、やったー!
 いやいや、ちょっと待て、俺はなんか、最近読んだ本の一節を思いだしたんだ。つーか、最近ファミスタばっかりで本なんてろくに読んでないから、また『日本の難点』(宮台真司)なんだけれども。人間関係を論じた第一章、非モテなどについての箇所、P.41。

 状況は男の子の方が圧倒的に深刻です。女性と違って男性には同性同士の相互扶助ができません。老人ホームに行くとわかります(僕は何度も行きました)。女性同士は見知らぬ者同士でもどんどん仲良くなりますが、男性は永久にポツンとしたまま。体育会的なものが廃れた昨今の男の子の老い先は、もっと暗いでしょう。

 なんか、これが思い浮かんだ。いやね、もうね、なんか自分が違うレイヤー(とか言うの?)の話を、ごっちゃにしてるのは自分でもわかるんだけれども、脳の方がそう繋げてしまったので。
 まあ、これがなんだっけ、セックスとジェンダー? とか、そのあたりの何なのかというところ、これはもう正直、俺にはお手上げの、なんかもう、触れただけで四方八方からインコレクトの矢が飛んでくる世界の話だと思うんだけれども、まあ、なんかその、野郎として、野郎といっても、まあだいたい野郎というくらいなのかなんなのかわかんないけど、ともかく、男として、どうも実感というか、そういうもんだよな、と思えてしまうところがある。
 いやね、もちろんね、女性の間でも、相互扶助? それが成り立つばっかりでもねえだろうし、ポツンとする女性もいるだろうし、まあなんかキャッキャ仲良くなっちゃう男同士もあるだろうけれども、なんちゅうのか、その、やっぱり、マフラー一緒に巻いちゃう兄弟とかは少数派だと。それが、なんか生物としてなのか、社会的ななにかなのかわからんけれども、たぶん、少ないし、やっぱり違和感がある。つーか、弟いるけど、俺自身はきもくて想像できない。
 ちゅうか、なんか、やっぱりその、男にとって男ってのは、すげえ気持ち悪い存在……いや、一般化はすまい、俺にとって男というのは、生理的に気持ち悪いもんなんだよ。その、肌と肌で触れあう可能性のあるものとして、なんか毛とか生えてるし、あんまりいい匂いしなさそうだし、まあこの物言いが、女性に対する俺の型はめだと言われてもしゃあないが、俺はどうも、男が、成人男性が苦手だから、異性愛者的傾向が強いんじゃねえかと、そう思うところはある。
 で、まあ、なんかその、そういうところと、相互扶助? ができないようなところに関係があるのかないのかわからんが、まあ、ひょっとしたら繋がっているだろうし、繋がっていないかもしれないし、なんともいえねえが、やっぱり俺は澪が一番好きであって、そこのところは譲れないのだと思う。でも、かといって、他のキャラに魅力がないのかといえばそんなこともなく、いや、『けいおん!』は生きる希望だといえ、シングルを買う金はないが、アルバムを買う可能性は高いし、高いのだと、ここで言っておく。