坊主が婚活って、逆を狙った方がいいんじゃねえか?

高野山真言宗の末寺は約3700あるが、後継者難は年々深刻化。若い僧が同世代の女性と知り合う機会が少ないことや、地域で見合いを世話する人が減ったことなどが原因で、全国の宗務支所から「相手を紹介してほしい」との声が寄せられていた。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090610-OYT1T00733.htm

 仏教にちょっと興味はあるが、仏教徒とはいえないような俺が口をはさむのはどうかとも思うが、それでもはさませてもらえば、世襲制ありき、結婚して子供が跡を継ぐのを前提に、なんかわざわざ結婚相談サービスとかするようなのってどうよ? って。ラブホテル経営してんのと一緒じゃん、とは言わんが、なんか筋違いじゃないのって。
 そりゃね、もう、今さら、「僧侶は不犯じゃねえのか?(親鸞浄土真宗を除いて)」、みてえな、そういうのは野暮かもしれねえし、昔から大黒さまみたいのはいたんだ、みたいな話もあるだろう。現状は現状でこれこれこういうふうに日本の仏教が成り立ってきたんだから、そりゃあそれでいいかもしれん。
 でもさ、これからについて考えるなら、別にそこんところにこだわんなくたっていいんじゃねえの? 世襲制にさ。むしろさ、現代は非婚化が進んでるんだぜ? 恋愛至上主義や結婚制度について、懐疑的になっている、ならざるをえないやつが、山ほどいるんだ。むしろ、「嫁も子供もいらないな」という、ストイックなやつ、非モテか草食系かしらねーけど、そういうやつを、ばんばんスカウトしたほうがいいんじゃねえのか? 修行と学問に打ち込み、肉体も鍛えられる、みてえな、なんつーか、そこんところを推し進めろよ。
 つーかさ、たとえば日本仏教っちゅうものが、結婚できない、子供ができないって理由で潰れていいのか? って、余計なお世話なんだけれども、むしろ、そんなんで潰れるくらいなら、世襲なんぞに頼らず、自発的に坊主になりたいやつが坊主になって、それで坊主として生きて、それで檀家が集まらないならそれまで、あるいは檀家制度と離れて存続、みてえな、そんなんじゃだめだろうか? 寺や仏像に文化的な価値がありゃ、それは宗教としてじゃなく残るだろうしさ。
 あー、まじ、差し出がましいことを言ってるのはわかるが、なんつーか、俺が読む仏教の本、その中で躍動する仏教者とその言葉、そこに感じる仏教のきらめきと、なんかこの、この現実は現実なんだけれども、どうもようわからん、この差が、ちょっと俺にはわからんのです。おしまい。

関連______________________