死んだマイケル・ジャクソンと生きている俺

「スリラー」などが世界的にヒットし、「ポップス界の王様」と呼ばれたマイケル・ジャクソンさんが25日正午(日本時間26日午前4時)過ぎ、ロサンゼルス市内の自宅で倒れ、救急車で病院に運ばれたが心不全で死亡した。

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/music/090626/msc0906260725001-n1.htm

マイケル・ジャクソンマイケル・ジャクソンと俺

 俺にとってのマイケル。物心ついたとき、俺が認識したマイケル。それは半ば、いや、半ば以上に「ネタ」としてのマイケル・ジャクソンだった。俺にとっての仮面ライダーが、仮面ノリダーであったように、マイケル・ジャクソンもすでにパロディとしてのマイケル・ジャクソンだった。とんねるずがコントで演じているようなマイケル・ジャクソンだった。キング・オブ・ポップとしてのマイケル・ジャクソン、ミュージシャンとしてのマイケル・ジャクソンを、俺は認識したことがない。音楽の趣味という問題もあるだろうけれども、どうも、俺にとってのマイケル・ジャクソンは、マイケル・ジャクソンとしてのマイケル・ジャクソンであって、それ自体がマイケル・ジャクソンのパロディのようであって、数多くのマイケル・ジャクソンのパロディを生み出す根源としてのマイケル・ジャクソンは、それ自身の中にマイケル・ジャクソンの再生産を含むマイケル・ジャクソンであって、マイケル・ジャクソンとは、マイケル・ジャクソンが自らを見ようとしてマイケル・ジャクソンを創造してみたのがマイケル・ジャクソンだといえるかもしれない。すなわち、俺にとってのマイケル・ジャクソンとはアイドルのアイドルであって、俺が認識したときにはすでにそのようであった。

1978年 マイケル、「Off The Wall」。
1979年 俺、生まれる。
1981年 マイケル、「Thriller」。ムーンウォーク初披露。
1985年 マイケル、「We are the world」。俺、物心つく。
1991年 マイケル、「Dangerous」。仲村みう、生まれる。野間宏、死ぬ。


マイケル・ジャクソンマイケル・ジャクソンと同世代マイケル・ジャクソン

 しかし、俺にとってのマイケル・ジャクソンマイケル・ジャクソンのパロディとしてのマイケル・ジャクソン的存在であるからといって、人によっては「ポップスの王様」のマイケル・ジャクソンであり、あるいはジャクソン・ファイブのかわいいマイケル・ジャクソン坊やであるかもしれず、あるいはもっと若い人にとってみれば、もはやアイドルでもなんでもなく、ワイドショーでデーブ・スペクターがゴシップを報じる対象であるところのみのマイケル・ジャクソンであってもおかしくないといえる。「あなたの知ってるマイケルジャクソンは白いか白くないか」が大きな世代の分水嶺やもしれず、マイケル・ジャクソンのイメージを繰り返し脳に送りつけて公園の中から若者を排除するような仕掛けも生まれるかもしれない。

1993年 マイケル、性的虐待疑惑。江夏豊覚せい剤取締法違反。腋毛ブーム。
1994年 マイケル、「Earth Song」。バーナード・バトラー、suede脱退。
2001年 マイケル、ロックの殿堂入り、「Invincible」。ジャングルポケット東京優駿
2008年 マイケル、ネバーランドを手放す。
2009年 マイケル、死ぬ。俺、30のおっさんになる。

マイケル・ジャクソンとはなんだったのか

 マイケル・ジャクソンの巨大さとはマイケル・ジャクソンの巨大であることによってマイケル・ジャクソンたらしめているそのものであるという、俺がメタな見方しかできないのは、俺の生まれた年と音楽の趣味によるものだけれども、それでも俺がこんなにマイケル・ジャクソンマイケル・ジャクソンというあたりの大きさこそが全地球アイドル、ポップのイコン、マイケル・ジャクソンなのである。学校の教室、ワックスがけのあと、上履きをすべらせてムーンウォークごっこをしない小学生なんていなかったさ。ひとりもいなかった。日本国、神奈川県、鎌倉市、月からそこまで届いたマイケル・ジャクソン、さらば、永遠のマイケル・ジャクソン、誰もの追憶の中に。