『ブエノス・ディアス、ニッポン』を読んで、俺と日本にいる外国人について考えた

ブエノス・ディアス、ニッポン―外国人が生きる「もうひとつのニッポン」

ブエノス・ディアス、ニッポン―外国人が生きる「もうひとつのニッポン」

 今しがた読了。これはすばらしく面白く、勉強になる本、心にフックをかけてくる本、一人でも多くの人に読んでもらいたい本、挿絵もすげーいいし、むりやりにでも貸す、明日人に貸す。

 書名で検索したら、こちらが出てきた。こちらもすばらしい、こちらを読んでほしい。おしまい。

俺とベトナム人

 でも、俺は、俺と在日外国人についてなにか思い出したりしたので、それを書こう。
 はじめに、外国人(?) と接したのは小学生のころだ。低学年のころだ。ベトナム人の子が同級生にいたのだ。いや、外国人という感じはしなかった。顔も名前も日本人のそれではないが、たしか日本生まれで、なんというか、普通に同級生だった。名前は……仮にグエン・バン・ヒューとすれば、ヒュー、と呼ばれていた。考えてみれば、それが苗字だったのか、下の名前だったのかも気にしてなかった。両親と、お姉さん、お兄さんがいたかな。家はあまり裕福ではないけれども、とくに貧乏ということでもなかった。みなで家に遊びに行ったこともある。勉強は、どうだったかな。あまり得意ではなかったかもしれないが、ついてこれないということはなかったように思う。
 俺は子供ながら自分自身をとりつくろうタイプの、なりすますタイプの人間だった。ただ、そのせいかなんなのか、なにか率直なもの、よそおわないものに対するあこがれがあった。そのベトナム人(といっていいのだろうか?)のクラスメイトは、そのあたりで非常なストレートな、飾らないやつで、すすんで仲良くなろうとしていたように思う。まあ、小学生のことなんで、クラス替わりになれば疎遠にもなるんだけれど。
 そういや、勉強とかどうだったかな。日本語、漢字は苦手だったかもしれない。あと、なぜか印象に残っているのが絵だ。人を、人の手足を、どうしても棒人間に描いちゃう。先生が「ほら、先生の腕を見て。厚みがあって、色があるでしょう?」といっても、なぜか手足は棒だ。それが本人の芸術的意図だったのか、たんなる癖なのかはわからない。俺は、勝手に「ベトナムではこう描くのが普通なのだろうか」などと思っていた。
 中学以降、俺は地元の中学に行かなかったので、彼がどうなったか知らない。ただ、ときどき、彼はいったい、なぜ、日本で暮らしているのだろうかと気になった。日本は、移民を受け入れてはいないし、難民もあまり受け入れていないようなのに……。そういえば、彼の境遇について、先生から話があったりとか、そういうことはあったかな。なかったような気がする。子供だし、わざわざ彼の背景について聞いたりもしなかったような気がする。というか、あまりそういう意識もなかった。今思えば、ベトナム戦争の影響で日本に渡ってきた、インドシナ難民の家族だったのだろうか。俺はまだ、インドシナ難民、ボート・ピープルのこともよくしらない。彼の国籍がどうだったのかとかも、わからない。

俺とアメリカ人

 中学は逗子の学校へ行った。そこで、多くの外国人を見るようになった。横須賀基地に勤務する米兵だった。
 はっきりいって、藤沢よりの鎌倉では、あまり外国人を見ない。観光地に行けば別だろうが、上記の例を別にして、あまり見かけなかった。もちろん、俺の行動範囲も狭かった。大船に、キャバレー・ホンコンというのがあったが、そこにホンコンのお姉さんがいたのかどうかもしらなかった。
 それで、米兵と俺、どうだった? はっきりいって、街や駅でよく見かけるというだけで、何の縁もなかった。まるでなかった。別に珍しくもなくなったし、怖くもないし、なんでもなかった。
 ……いや、まて、学校に英会話の教師がいた。アメリカ人、男性、白人、二名。ハフとドール。感じのよい人だった。どちらかは賀来千香子のファンだった。ただ、(ほかの授業と同じ調子で)クラスがだらけきっているのに怒って、職員室に帰ってしまったことが一度あった。あれは悪かったと思う。なんか、誰か謝りに行けってことになって、さんざんグダグダしたあと、代表者があやまりに行ったと思う。
 そういえば、変な心理テストをやらされたな。授業中だ。目をつぶって、ドアを思い浮かべろと言う(英語でだ)。君は今からそのドアを開ける。さて、そのドアは何色だ? と。俺はなんとはなしに「黒」と思った。黒いドア。さあ、みんなもやってくれ。
 種明かし。なんと、ハフもしくはドール先生いわく、そのドアの色は、君たちがはじめてセックスする相手の肌の色なんだ、という。14、5歳の男子校童貞たちになにを言ってんだ、おっさん……と、思いつつ、「自分のはじめての相手が黒人かもしれない」というのは、なんというのか、なにやら意味不明のドギマギ感を与えてくれたものだ。しかしなんだ、紫色とか緑色のドアを思い浮かべたやつはどうなるんだ? なんの意味があったんだ、あのテスト。あと、俺はまだ黒人とおつきあいしたことないです。つーか、話したこともないかも。

俺といろいろな国から来た人

 その後……、なんか流れ着いたこの横浜、関内。外国人(もちろん、日本国籍を持った人もいるだろうけれど、とりあえず)だらけだ。ともかく、街の中、駅、スーパー、100円ショップ、外国人だらけだ。中華街も近いから中国人はもちろんとして、やはり米軍関係者もいるし、夜の街で働いているのかな? という金髪のお姉さんもいるし(ダイソーユニクロでよく見かける)、えーと、寿町を宿にするバックパッカーもいるし、夜のスーパーなんてどこの国かわからんというようなときもある。店を構えている人も多い。タイマッサージに、インド料理、韓国料理、その他いろいろ。やはり、なんというか、国際都市横浜? いや、そのイメージではないな、なんか、もっと、雑多な……。なんつーのか、ここはここらあたりに奇妙な感じに調和している? というか、なんというか、ネットとかなんかで見かける、排外主義的なものというか、外国人犯罪が怖い、って、そりゃあまあ犯罪はなんでも怖いけど、ただ、なんつーのか、この現実との違和感というか。なんつーのか、ここらあたりの日本人、俺もふくめてなんかはっきりいって、みんなよほど怪しいというか、なんというか。つーか、俺も余所者だし、なんか早朝の中華街とか、俺の方が異邦人だしさ。
 それで、もちろん俺は、人間づきあいをできる限り避けて生きているわけで、顔なじみの店もなければ、日本人もいないのに、顔なじみの外国人がいるわけもなく(いや、実は、会えば挨拶するネパール人はいるんだけれども)、ファストフードやコンビニで客と店員として金を払ったり、弁当をあたためるかどうか、袋がいるかどうかのやりとりをしたり、おつりをもらったりするくらいだ。でも、なんというか、なんだろう、彼らは、いったい、どこから来て、どのように日本にいるのだろう、という疑問はある。小学校のころ、気になっていたことだ。なにか気になる。もっと知りたいと思う。できれば仲良くできたりすると面白いと思う。まあ、俺は、どこの人間相手にも、仲良くするってのが最悪に苦手なんだけれどもね。

まとめ……らんねーけど

 だから、『ブエノス・ディアス、ニッポン』など読むわけだ。もちろん、そこに俺の疑問の直接の答えがあるわけではない。いろんな背景があって、いろんな事情がある。でも、なんというか、日本にいる外国人の、ある種の立場みてえなもんの、そのあたり、そのあたりの、俺が決して知ることのなかった、知らなかった物語があって、なんつうのか、もうひとつの日本というか、これも日本の今なんだし、いや、今と言ってもちょっと前の本だけれども、たとえば、派遣労働者として雇われる外国人が窮地に立たされていることなんて、こないだのなんとかショックでにわかにクローズアップされた現在進行形のことであって、また、なんてことはない、日本人だって、同じように派遣切りで、似たように、もののように扱われるって話もあって、そのあたり、なんというか、予言じゃないけれども、そういうところまであるんだ。それにもちろん、あのカルデロンさんたちのことだって、この本とか読んで、あるていどの基礎知識というか、前提というか、そういうあたりを持って事態を見れば、なんというか、そりゃ複雑で難しいし、もちろんそれを知った上でどう考えるというのはあるにしても、もうちょっと、そうなのかってのが出てきたんじゃねえかってのはある。
 そんでもって、その、なんつーの、「善良な外国人もいるんですよ」って話じゃねえんだよな。そこんところがなんつーの、いいね。出稼ぎで本国に子供残して働いて、まあ、日本だって通ってきた道じゃねえかって。
 あ、そうだ、ひとつあれだったのは、あれだ、人身売買の話だ。なんか、たまにニュースになってた、日本が人身売買について国際的非難を浴びてるって話。あれって、やっぱりヤクザとかがなんかひでえことやってんだろうって思ってて、まあもちろん、そういう面もあるんだろうけど、あるにしたって、この本によれば、そこまでじゃねえというか。調査というか、元になるデータもいい加減で、なんか、米国対フィリッピンの事情つうか、そのあたりまであって、なんかわからんが、別に売春とかしてないフィリピンパブ的なものが、人身売買の被害者の保護という名目で取り締まりの対象になったりして、当のフィリピーナが怒ったりとか。そんなんも、こっちは、新聞とかテレビをサラッと見るだけで、まあ、サラッと見ないで全部のニュースの裏を取ったりするのは不可能なんだけれども、ただ、なんつーの、あるていど、ちょっとでも、たとえばこの本読んだりしたら、即座に「これはおかしい」とかいえなくても、「ちょっと待て」って、審議の青ランプ点せるわけで、そういうあたりのさ、有益とかいうとなんかつまらんけど、やっぱりそのあたり、俺みたいな学のないやつも学のないなりに、ある種の分別というか、分別のための用意というか、そりゃもちろん、この本の内容に対して、「なんかすげーぜんぜん違うんだ!」みてえな話もあるのかもしれないけれどもさ、そうならそういう意見を読んでまた得るものもあるだろうし、でも、そんでもその、やっぱり俺がこの本から読み、受けた印象、フックによって、俺はそれなりに得たものもあるかもしれないし、俺は少しでもかしこくなりたいと思うし、ますますかしこく(以下、武者小路実篤)。
 いや、俺ははっきりいって、俺の人生に手一杯というか、明日をも知れぬというか、寿町まで歩いて行けてラッキーじゃんみたいな境遇かもしらんし、なにかこう、「よいこと」をできるような器じゃねえし、でも、なんつーのか、なあ、せめて、俺と俺をとりまくなにかについては、俺の器なりに自覚的でありたいというようなところがあって、たとえばまあ、入管で何が行われているとか、そんなことは、本で読んでびっくりして、ひでえなあって思ったりして、でも、それじゃあ何ができるのかっていうと、そりゃわからんけれども、ただ、そのうえで、なんかそれなりに俺は俺で生きるしかないし、生きていきたいと思うけど、まあこの帰り道にダンプカーにぶつかって死ぬかもしれないけれども、まあ、俺はできればなんかするし、何もしないかもしれない、でも、しゃあないさ、なあ、なんか勝手にやるよ。それじゃあ。

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 ところで、俺、この本古本で買ったんだけれども、奥付んところにボールペンでこんなん書いてあった。ひょっとして著者のサイン? いや、それだったら「ななころびやおき」だわな。これもまた、なんか、前の持ち主がなんか俺に伝えたかったのかもしれないし、違うかもしれない。まあいいさ、なんだって。