「お金は汚い」のか?

リサーチ会社「日経BPコンサルティング」が今年4月に行った調査では、「モノやサービスを買おうという意欲が低下した」と答えた消費者は約4割を占めた。その理由として「収入が減ったから」よりも「生活に必要なモノが一通りそろったから」と答えた消費者の方が多かったという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090729-00000502-san-soci

 この記事のブックマークにこうメモした。

「お金持ちになったからといって幸せにはなれない」、「お金は汚い」、って金持ちを否定して、清貧を褒め称える、そんな風な、ある意味建前の道徳教育が現実にじわりじわりと効いてきた面もあるんじゃなかろうか。

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 みな、経済的に苦しくなった。それも事実。必要なものは一通りそろった。これも事実。いや、みなというより、自分、俺、俺の内心の物欲グラフを見ていけば、上の二大要因がでかくて、今の俺はものごころついて以来の低物欲人間になっている。でも、ちょっとだけ、なんか清貧の思想みてえなものの、弊害、もちろんここで言う弊害は、経済とか、日経BP的な意味での害けれども、ともかくそんなんがあるんじゃねえかとか思った。なぜだろうか。

少年守銭奴

 最近、なぜか昔ばかり思い出している。今日もかなり古い記憶を引っ張り出す。小学校の低学年だったと思う。正月だ。母方の祖母の家に行ったときのことだ。ふだんは顔を合わせない親戚からお年玉をもらえる。最高だ。
 が、ここで眉をひそめる人がいた。母である。母はひごろから、俺の金大好きっぷりに、ちょっとばかり苦言を呈したりしていたのだ。「あんたって、シュセンドねえ」。どうも、このままでは、この子はよくないのかもしれない、と思ったのだろう、俺がいとこらと遊んでいるうちに、何やら相談したらしい。そして、「●●ちゃん、ちょっと」ということになって、母、おば、祖母らに囲まれての吊し上げ、いや、説教、いや、そこまではきつくない、俺の人格を諭すようななにかがはじまったのだ。
 内容は、通り一遍の、まあ、「お金、お金っていっててはいけない」的なものだった。「お金なんて、ほんとうに大切なものではないのよ」とか、そんなのだ。俺はこざかしいガキだったので、適当に受け流したり、何か反論したりした。「新しいおもちゃを買ってもらっても飽きるかもしれないけど、お金として持っておけば、本当にほしいものが見つかったときに換えられるじゃん」。
 そのうち、話はだんだんぐだぐだになってきて、おばから「お金はいろんな人がね、手を洗わないでさわったりするから、汚いのよ」などとおっしゃる始末。……いや、まあ、そりゃあそうだろうけれども。

お金にはたくさんの細菌が付いてるんですよね?

さいきんではなく、いろんな過去がついています。

結局守銭奴にも銭ゲバにもなれなかったんだけれども

 そんでまあ、ともかく、世の中の建前っていうか、スタンダードな考え方としては、まあ拝金主義とか、その言葉自体相当なバイアスかかってるように、あんまりお金はよろしくないものって、そういう風にしておきましょうってことになってる。学校で、露骨にゼニゼニ教えない。いや、勉強も後々役にたつとか、そういうんじゃなくてな、まあなんつーか、そりゃまあ、新自由主義? だかなんだかしらねーけど、利益をあげていけば、みんなの幸せの量が増していくんだ、みてえなのは、昔からなんかあるんだろーけど、そういうのは、まあ、たとえばそこらの公立小学校のスタンダードじゃねえだろうっていうか。
 そんで、その、たとえば今、そんなにゼニ、カネ、モノに対して貪欲じゃねえよって考え方が、昔より強まってるんなら、そういう道徳教育みてえなもんが、まあ、なんか、なんつーか、不景気、文明の利器の行き渡り(あくまで日本なんかの話なんだけれども)、そんなに加えて、あるいは強化するように、あるんじゃねえかとか、思ったわけ。
 俺、俺自身についても、なんかもう、金持ちになりたいってのがあったり、一番やばいころは、金持ち皆殺し、みたいなところもあって、今だって、嫉妬や望みがないわけじゃねえけれども、ただ、酸っぱいぶどうだよってところはなくて、どうもなんか物欲も薄いというか、そういうところがある。
 うーん、なんかその、楽して大金持ちってのが超最高なんだけど、すげー努力して、耐えて小金持ちってくらいだったら、なんか楽で貧乏の方がいいやって。その、貧困というレベルにいくのはまずいし、蓄えのなさという点で、貧乏が貧困と紙一重ってのはあるんだろうけれども、まあなんかもっと、人と多く関わったりして、嫌な思いして、それでカネを貰ってもしゃーねーっていうか。そんなに欲しいものもねーっていうか。
 そりゃあまあさ、住んでるアパートにパソコンとインターネットあった方がいいんじゃねえかとか、自転車についても、そりゃあロードが欲しいとか、そんなんは言い出したらキリねえけど、かといって、なんかその、昔、すごい車が欲しかったとか、バイクの免許が欲しかったとか、そういう燃えるような羨みみてえのが、ないんだよな。どうにも。
 そんで、もっとでかい物欲っつーか、なんか人生の欲を考えても、もう恋愛とか結婚とか、ましてや子育て、持ち家とか、そのあたりからは、完全にベタ降りしてるし、なんか流し満貫でボーナスくれってくらいの話だしなー。Soy un perdedor. I'm a loser baby, so why don't you kill me? ってぐあいでさ、そんで、適当に生きていくよ。おしまい。

関連______________________

 ……たださ、「財産とは窃盗である」って言ってたプルードンが、「私有財産こそ、自由の本質である」って言ってて、ちょっとまだ読んでないからわかんねーけどさ、俺がベーシック・インカムに頼り切って生きてるとき、もう、そこでお金くれる国とか役所とか役人とかに、いっさい逆らえねーって気がするっていうか、あるいは、なんか社会に対して自由なのか? みてえな、そんなところがあるんじゃないかと思って、ちょっと俺のユートピア妄想に疑いが生まれてて、疑いがちょっとでもまじると、もう純粋なユートピアじゃねえよなって思えて悲しい。