俺の赤い傘が盗まれた
100円ショップで買った傘ホルダーを買ったんだ。昼休み、折りたたみ自転車に装着しようとして、まったくサイズが合わずに挫折してさ。そのとき、傘を持ってきていて、そのまま置いてある自転車のハンドルにひっかけっぱなしだったんだな。夜遅く帰ろうとして、雨降り。駐車場に傘があると思い浮かべつつ、目の前にあらわれた自転車に傘の姿なし。あ、やられた、と思った。駐車場はとくに囲いもなく、誰でも入れる。雨降り、自転車にひっかけられた赤い傘。
誰だ、盗んだやつは。もしもそいつが、ドヤ街で最低最悪の人生を送ってきた、最低最悪に恵まれていないかわいそうなやつだとしても、俺はゆるさない。
……などと思おうと思ってみたが思えなかった。冷めたものだ。よくわからない。「あれ、ちょっと怒った方がいいんじゃないの?」と思ったが、それほど感じなかった。しかし、感じないのも不当な感じがしたし、傘に悪いような気がしたので、やっぱりちょっと怒ってる、ということにしておこう。表向きは、そういうことでさ。
あの、赤い傘。かなり長く使った。べつに高いものなんかじゃない。俺は、高い傘なんて使ったことはない。どこで買ったのだっけ。ユニクロだ。ユニクロの、赤い傘だ。俺はどうも、男だからといって黒い傘、濃紺の傘を差すのはきらいなんだ。間違えられやすいしね。
昨夜、仕事で夜の桜木町の向こう側へ行った。美術館付近の夜景を撮影するために。夜の公園らしく、美男美女の高校生カップルなどが、とっくに閉館している美術館の柱の陰に消えていった。街路樹で懸垂するサラリーマンがいた。真っ暗な中で犬にエサをやる中年女性がいた。少し風が冷たかった。同行者のすすめもあり、駅にくっついているユニクロで地味なシャツを買った。仕事に必要だから、サラリーマンっぽいのを。ついでに傘を買った。赤い傘だ。俺は、昔から黒い傘や紺色の傘や透明のビニール傘が大嫌いだったんだ。
夜の横浜美術館へ行く - 関内関外日記(跡地)
今は俺、ちょっと丈夫な透明ビニール傘が好きだけどね。雨空でも、明るいからさ。
プルードンに聞いてみよう
俺は、予備の予備で置いてあって、子供用みたいなサイズの、100円の傘で歩いて帰ったんだ。帰りながら、赤い傘のことを考えていた。減価償却とか、そういう意味ではもう価値のないものだろうね。雨が降って、どうしようもないやつに使われるのなら、それでよかったのかもしれない。でも、大切にはつかわれないだろうな。悪かったな。しかし、そんなに怒る気分ではないとか、新しい傘を買う金が無くて困ってる、なんて話ではないけれども、やっぱりものを盗られるというのはいい気持ちではないな。
なんというか、「おかされた」というような言葉が思い浮かぶ。「侵す」、「犯す」。俺の「物」に対する、というより、「俺」に対する直接の何かだとか、そんな気がするよ。それくらい、俺と傘は一体だったのかな。そうでもないよね。でも、安い傘であっても、やっぱり俺のものという気がするんだ。
所有とか、財産ってなんだろう。よくわからない。プルードンに聞いてみよう。
『財産とは何か』において、彼が「財産とは窃盗である」という名文句を吐いたことはよく知られているが、一八四六年の『経済的諸矛盾の体系、すなわち貧困の哲学』では、自分自身の労働および貯蓄の果実を自由に処分できる私有財産こそ、自由の本質である、と述べている。
……かくして、彼は私有財産の搾取面を排撃すると同時に、私有財産の自由面を擁護し、「共有財産制度は、私有財産と反対の意味で不平等である。後者では、強い者が弱い者を搾取し、前者では、弱い者が強い者を搾取する」と、彼の立場をあきらかにする。
なんかよくわかんないな。もっと、この身体感覚の延長としての所有とか、そういう話はないのかい。でも、俺は、私有財産の「自由」をおかされたのかな。そんな気もする。
詩人に聞いてみよう
こんなときは、本邦最高にダンディな詩人、田村隆一に聞いてみよう。所有ってなんですか?所有権
おれは<物>だから
六十歳の<物>だから
とっくに減価償却はすんでいる
選挙権もないかわりに
住宅ローンや教育ローンの心配もない
<物>は病気をしないから
健康保険証もいらない
もっとも火災保険には入っているが
その掛け金だって
所有権者が払っているだけさおれには国家がないから
国境もなければパスポートもいらない
どういうわけか
おれの所有権者は何人かいるらしい
おれの
上半身
下半身
両手両足
頭部と陰部
どれもこれも役に立たないくせに
所有権者どもは
その所有権にしがみついている
ありがたいことに
所有権者どもは
いたって仲が悪い
イデオロギーの対立か
政治的言語のちがいか
宗教的信条
民族的闘争
ま
どんな事情で仲が悪いのか
おれの知ったことではない
おかげでおれは五体満足
野原のなかの小屋のなかで
夜明けには鳥の声
昼間は猫のようにまるまって眠りこけ
夕べには
新月から満月までの光りの形象とリズムを
賞味し 夜は核戦争の恐怖の夢も
性的な夢もみないで 枯れ葉のなかに埋もれて
野獣のごとく眠るだけおれには
所有権者どもの言葉がわからないから
政治的動物にも社会的動物にもならずにすんだ
<言葉を喋る動物>だなんて
おれのことを買いかぶってくれる間抜けな所有権者も
いることはいるがおれが
いつ どこで だれ
と
言葉をかわしたというんだ
おれは<物>だからロゴスはいらない
ロゴス的存在でないおかげで
誤解
偏見
独断
から脱走することができたのだおれは<物>だから
詩そのものだ
おれの言葉は所有権者どもの言葉では
ない
おれは
おれの言葉だけで生きてきた
所有権者どもには
おれの言葉が
悲鳴に聞こえたり
鼻唄に聞こえたりしたかもしれないがおれの舌は
あらゆる国境を 砂漠を
七つの海を 五つの大陸を飛び越えて
地の果て
海の彼方まで
どこまでものびていっておれは
<物>の言葉だけで
喋りつづけているのさ
関連______________________
続続・田村隆一詩集 (現代詩文庫)
世界の名著〈第42〉プルードン,バクーニン,クロポトキン (1967年)