学校なんてなくったってよかったんだ、俺は俺の梯子登るんだ〜『十二の遠景』高橋睦郎を読んで〜

 高橋睦郎の『十二の遠景』を読んだ。父親の本棚にありそうな本だが、これはだいぶん前に古本屋で買ったのだった。装幀は横尾忠則。そして、推薦文に以下の両名。

黒光りのする堅固な散文 三島由紀夫
 詩人高橋睦郎氏が、この『十二の遠景』で、まぎれもなく詩人の仕事でありながら、昔の指物師のつくった抽斗のやうな、黒光りのする堅固な散文に達したことはすばらしい。みごとな感覚の集大成、暗い押入のなかの玩具のやうな記憶の集大成の果てに、その「父親探し」の主題が、春本の写本に結晶するところは一種の悲劇美を放射してゐる。

地獄極楽の綾なす世界 野坂昭如
 高橋睦郎の、お筆先には、まぎれもない言霊が宿っていて、いろは四十八文字の妖かしに、無限萬華鏡の極楽幻出するかと思えば、また、透明な硝子地獄を、手触り確かに構築し、搦めとられた者は、ひたすらあれよあれよと、鼻面引きまわされ、しかし、睦郎の綾なす世界は、夢精の如くに甘美なのだ。覚めて後も。

 というわけで、もうこれ以上の推薦の言葉はいらないだろう。詩人の言葉による自伝的散文、おそろしいほどの眼力、「記憶」力(かっこつきで)、そして、なんというのか、もう、読むべきである。
 以下、愚にもつかない感想、というか、自分の追憶を書く。この本には、子供、田舎、物語、エロ、性、戦争、母子、暴力、家族、因習、初恋、血……などなど、いろいろのところですさまじいものがあるが、とりあえず今回は「学校」とかそのへんについて。

幼稚園

 時は戦時下、「私」は生後一〇五日目に父に先立たれ、母は天津の愛人のところに出稼ぎに行き、祖母や親戚の家をたらい回しにされている。そんな中、お寺の住職から幼稚園に通わないかという誘いがある。吝嗇な祖母は渋るも、自分の働きに出ているあいだ、近所の人に預けるにもお金がかかるのだからと、通わせることにする。幼稚園を「人さらい」と重ねあわせる「私」も、さんざん抵抗した挙げ句、ついに連れて行かれる。

 ほかのこどもたちも幼稚園に行くのはきょうがはじめてのはずなのに、どうしてあんなに屈託なげに愉しそうなのだろうか。かれらのうれしげな一列は女の先生に率いられて未知の野から未知の野へ急ぐ少年探検隊という趣きがあった。
 そのうれしげな列から一人おくれて、しぶしぶついて行く私は、探検隊に捕獲されたたった一人の捕虜のように見えたであろう。
「王子と乞食」P154

 ……自分の場合はどうだったろう。覚えていない。いや、模造記憶というか、伝聞による記憶(それもまた記憶だと作者は述べている)でいえば、俺も激しく抵抗した、泣きわめいた、はずだった。よく弟と対比させられて、「泣いて泣いてたいへんだったんだから」と母に言われたからだ。俺に比べると、弟は多少わんぱくで外向的な面があった。俺はもう、臆病で泣き虫だった。未知を嫌った。たぶん、幼稚園に入る前からだ。

 お話も、唱歌も、遊戯も、手工も、図画も、字のおけいこも、私にとってはまったく馴染めないものだった。それまでの私は、母や祖母から抛り出され、或いは他人の家から家へ転転としていたにしても、それらの不倖せの中で屈み込み、屈んだ両膝の上に顔を埋めれば、そこにはまぎれもない自分一人の世界があった。その世界をこそ、自分のたった一つの自由にふるまえる空間として来たのに、幼稚園は集団生活の名のもとに、この空間を奪おうとする。私はなるべく友だちの群れから離れて一人でいようとすることで、自分の宝物である自分だけの空間を守ろうとしたのである。
「王子と乞食」P156

 俺はどうだったろう。正直言って、幼稚園時代の記憶というのはかなり断片的なものだ。小学校に上がる段階で、ほとんどの園児と学区が異なってしまったというのもあるだろう。友だちはいただろうか。いたかもしれない。
 ……いや、近所に、一歳年下の友だちがいたのだ。年下といっても、俺は遅生まれで、しかもいちばんのチビだったから、弟分というようなものでもなかった。対等の友人だった。よくお互いの家でも遊んだ。彼の家の母親の入れる甘いミルクティはおいしかった。あるとき、砂糖をかき混ぜていると、いつまでたってもカップのなかでがりがり手ごたえがあるので、さんざんやっていたら、「カップの底がはがれているのよ」と言われたことがあったっけ。
 その友だちが、一年遅れで同じ幼稚園に入ってきた。渡り廊下から、外で遊ぶ彼を見て、なんとなく先輩風を吹かせたいような、そんな気になったのを覚えている。彼はその後、どうしたか。たぶん、小学校に上がるタイミングで遠くに引っ越したはずだ。
 と、お遊戯やお歌はどうだったのだろう。あまり覚えていない。覚えていることは、以前に書いた通りである。お絵描きの方のエピソードから、俺の自由は殺された、といえるかもしれないが、よくわからない。むしろ、空気を読んで、勝手に内面化した、とでも言うべきだろうか。

←私の出た幼稚園

 さて、「私」の方は腹痛を起こし、ついに「これが、うんこをしかぶっとうよ」ということになってしまう。

 「さ、きれいになったばい。ばって、何故(なして)腹の痛いとば言わんやったとね」
 と、先生は私を立たせた。洗われているあいだじゅう、このあとみんなのところへどんな態度で出て行けばいいかを考えあぐねていた私は、立ちあがると同時に、お風呂場の窓が開いていて、その向こうにみんなが鈴なりにこっちを覗いているのを知った。
 私はこぶしをふりあげ、言葉にもならない泣き声をあげて、みんなを威嚇した。この声は、私が幼稚園に入って出した最初の声らしい声だった。集団はこういう形で私を辱め、この辱めに対して私は泣き声をあげて威嚇するしかない……私は、恥ずかしさの極みにおいて、このことを理解したのであった。
「王子と乞食」P160

 誰にでも一度はあるエピソード、だろうか。いや、誰にでも、ということはないだろうか。俺はどうだったろう。うんこをもらした記憶はないが……、小便をもらした記憶ならある。それで泣いたかどうかはわからない。たぶん、泣いただろう。よくわからない。なぜといえば、泣いた記憶はというと、今度はもう四六時中泣いてしまう泣き虫毛虫だったので、いちいち覚えていられないのだ。お前は今まで食べたパンの枚数を覚えているか、という故事成語の通りだ。
 ただ、私の「泣き」は威嚇というほど強くなかった。むしろ、同情を買うようなところがあった。もちろん、嘘泣きではない。ともかく泣き出してしまう、それは思慮とは無縁の、身体的反応に近い。ただ、そうなったその内心において、その状況を利用してやろうという、そんなずる賢さはあったと思う。それが泣き虫であることを美化しようとする、後付けである可能性もある。

小学校

 さて、「私」は続いて小学校に入ることになる。今度は事前の面接に行くことになる。

 入学に際して簡単な面接試験のようなものがあり、校医室の隣の教室二つが面接場になっていた。
 いましも桜が満開の校門を入ったところから、私は泣きつづけていた。学校という人さらいは、幼稚園よりはるかに無慈悲で、はるかに専横的であることに感づいたからだ。なぜなら、幼稚園の人さらいは信正寺の住職さんというかたちで向こうからつれに来たのに、こんどは人さらいは校門の中で待っていて、こちらの方から「どうぞ連れて行ってください」と出向かなければならなかったではないか。先の人さらいには、母や祖母は「この子はやれません」と断れば断れただろうが、こんどは否応なしだった。人さらいは公的な社会構造じしんだった。こんどこそは、私のひとりぼっちの空間は、完膚ないまでに奪い去られるにちがいない。
「王子と乞食」P160-161

 人さらいは公的な社会構造じしんだった……! そうだったのか。いや、そうなんだ。俺はたまに、個人的な経験による日教組嫌い(小学生の時分から「ニッキョーソ」の否定を父から吹き込まれていたので、教師の理不尽な言動はすべて「ニッキョーソ」のせいだと思っていた。父は吉本隆明信者の新左翼だった)を書くが、あれは、そんなものではなく、そうだ、学校というもの自体、社会構造自体だった。そう思った方がしっくりくるかもしれない。
 あの教師でもあの組合でもあの学校でもない、音頭取りそのもの、犬そのものがいやなんだ。

 さて、「私」は入学早々の休み時間、うっかり植えられていたヒマラヤスギの若木を折ってしまう。同級生に「先生(しぇんしぇい)にィ言うちゃあろォ」とはやし立てられ(この言い回しっていつから存在するんだ?)、学校から家に逃げ出す。

 校門を出ると、若葉の匂い、そら豆の花の匂い、苗代の苗の匂い、道の泥の匂い、光と風の匂いが、いちどきにどっと押し寄せた。これこそ、幼年時代の幸福の匂いだった。学校が禁止しているこれらのなつかしい匂いの中に、私は出て来たのだ。なつかしい匂いたちに頬を、耳を、首筋を、膝小僧と脛を愛撫されながら、私は、あの木を倒したことで学校から逃れることができるかも知れないと、意外に浮き浮きしている自分に気づいた。
「王子と乞食」P162

 俺にもなにか、このような、学校以前、いや、幼稚園以前の淡い記憶、情景、いや、そんなものではない、もっと単純な一枚絵のようなものが思い浮かぶ。それは、オオイヌノフグリの花である。幼稚園に入る前のことだ。ぽかぽかと晴れた日だったと思う。母と二人で散歩に出かけた。行き先は近所の青少年広場だった。UFO形のジャングルジムがあったので、UFO公園とも呼ばれていた。では、UFO公園のことだっただろうか。いや、道すがらのような気がする。片瀬山駅から正面の白い道を少し下り、右の階段を降りたあたり、そこで、オオイヌノフグリが咲いていた。ただ、かわいい花が咲いているね、と会話したか何かだった。
 それが、そうだ、幼稚園にはじめて行くとき、思い起こされたのだ。もう、自分は母と離ればなれになってしまうし、幼稚園というものにとらわれてしまうのだと。不思議と、オオイヌノフグリが思い浮かんだのだし、いまだに、オオイヌノフグリをみるたびに、そうとうの幼年時代に引き戻される感覚がある。
 ちなみに、オオイヌノフグリの名の由来を知ったのは小学校に入ったあとだった。父が、「学者っていうのはろくでもない名前をつけるもんだ」と怒りながら解説してくれたのだった。

 それはそうと、「私」は母に連れられて、校長先生のところに詫びにいくことになってしまう。

 先程泣きながら出て行った校門を入るとき、私は立ちどまってもう一度、光みなぎる自由の世界を見、自由の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。もし、校長先生が拒否すれば、自由の世界は私を受け入れるだろう。私は永遠に自由の子でありつづけることができるだろう。しかし、校長先生が受け入れたら、自由の世界は決定的に私から遠くなってしまうだろう。もし、私から自由の世界が隔てられるとしたら、隔てるものは校門であるはずだ。そのためにも、私はいまここで、もう一度、自由の彩りを瞳孔から吸いこみ、自由の匂いを鼻孔の奥に詰めこんでおかなければならない。
「王子と乞食」P163

 これはどうだろう、もうほとんど刑務所の内と外くらいの感覚ではないか。いや、たぶんなんらかの思想というか、そのあたりはよくわからないが、学校―刑務所―工場は密接に関係している、同根のものなのだったか。
←横浜刑務所面会待合室にて撮影

……母に手を引かれて校門を出た私は、自分に向かって来るものの匂い、いろ、ひびきが、先程とは打って変わって褪せてしまっているのを感じないわけにはいかなかった。
 人さらいの手口は巧妙をきわめていた。私はもはやどう足掻いても、その網から逃れることができないのを知ったのである。
「王子と乞食」P164-165

 しかし、なるほど、小学校というのは、そのようなものに思われたのはたしかだ。チャイムに合わせて教室にいないと大変なことになるし、ましてや登校から下校の間に、授業をサボってどこかに行くなどというのは、ほとんど考えられないことだった。少なくとも俺はそうだったし、授業をサボるという発想自体がフィクションだった。ほかの小学校ではどうだったかわからない。ただ、小学校の授業というのは、内容はともかくとして、それだけ公的な、オフィシャルなものだという感覚は根強い。出る自由はないのだ。
 ただ、こんな話があった。小学校の三年か四年だったか、ある日、同級生のH君……、知的障害の子が、学校を脱走してどこかに行ってしまったというのだ。それで、ちょっとした騒ぎになったのだ。校舍内を探してもいない、近所を探してもいない。彼不在で午後の授業は進んだ。俺はなにか、とんでもないことが起こっているんじゃないかと思っていた。
 結局、彼はその日の夕方、鎌倉駅の方で見つかった。それを知ったのは翌日だった。俺は、内心おおいに興奮したものだ。鎌倉だって! 車で行くような遠くじゃないか! 走って、一人で、そんなところまで! なんてすごいんだ! 夕暮れ、ただひたすら、学校に背を向けて走る彼の姿、もちろん想像だけれども、もうはっきりと脳裡に刻まれた。大事件、だったのだ。俺はそのくらい、小学校という枠にはめ込まれてたのだ。

 ただ、枠にはめ込まれていること、それが嫌だという自覚はあった。そして俺も逃げた。いきなり走って逃げたわけではない。ずる賢さを使って逃げた。病気、あるいは仮病である。
 低学年のころ、まだ扁桃腺の手術をする前はしょっちゅう熱を出して寝込んだ。身体も小さく、弱く、また扁桃腺も本当だった。これは仮病ではない。が、病み上がりのタイミングというものになると、こちらの恣意が入ってくる。体温計が客観的に平熱を指ししめそうとも、「まだ熱っぽい。だるい」といえば、じゃあしょうがないわね、ということになる。心配する母を騙す罪悪感と、平日の昼間に家にいる高揚感がないまぜになって、逆にそのふわふわした心持ちが、熱発の症状と切り離せなくなったくらいだ。
 ただ、俺にとって学校は公的なもの、逃れられないものであって、いつかは行かなくてはならない。そして、休む日数が増えれば増えるほど、行きづらくなる。そのへんの不安はみぞおちのあたりをいつもきゅーっとさせた。それもまた、俺にとっては風邪の症状と切り離せない。
 高学年になると、なんだかんだで丈夫になってきた。が、今度は友だちづきあいに失敗して、これまた学校に行きたくなくなった。グループの仲間割れ、いじめ、そのような、よくある話だ。そして俺はまた、学校を休んだ。きっかけは本当の熱発だったと思う。そして、またこれもずるずると休みつづけるきっかけにした。
 そうだ、このころになると、ほんとうに吐き気、気持ち悪さというのも併発した。たまに吐いて、吐いたあと、またトイレに駆け込んで吐くふりをした。ただ、気持ち悪いのは本当のことだ。医者に行くと、胃腸とかではないと診断された。自家中毒という妙な病名を与えられて、注射をされた。今思うと、重度の注射嫌いのわりに、星野小児科にこれの注射をされに行くことだけは平気だった。むしろ、楽しみだった。なぜならば、注射のあとに気分がよくなるからだ。もちろん、遅刻というのは嫌なので、学校は休む。最後の方は、「中学受験が近いから」という理由で、えらく長く休んだ。不登校にカウントされてもおかしくはなかったかもしれない。
 ……って、今思うに、あの気持ち悪さは、なにかメンタルヘルス上の問題だったんじゃないだろうか。プラシーボ注射でよくなるくらいの。あるいは、学校を休める大義名分があれば、なんでもよかったんだろう。って、追記、(→自家中毒ってこのようなものらしい/外部リンク)。ちゃんと駐車にも意味があったのか。でも、メンタルが原因ってのは考えられるのね。

人間関係

 さて、「私」の方も、人間関係について学び、また悩む。というか、絶望する。クラスには人気者というものが存在する。

 向野はみんなの人気の的だった。かれが歩くと、とりまきがぞろぞろ従った。そのことを自慢するでもなく、さりとて気にするでもなく、ただ、鷹揚にふるまっている向野の態度は、生れついての王子さまの優雅さを思わせた。王子なら、人さらいの手の中にいても悠悠と自由でいることができる。
「王子と乞食」P165

 幸福の王子。こういう王子の内面に、なにかどす黒いものがとぐろを巻いていないとも限らないが、それがあらわれない限り、それは存在しないというべきだ。下手な忖度はしてもしょうがない。
 「私」は王子のことが決して嫌いではない。むしろ、魅力的な王子に接したいと思う。ただ、取り巻きのようではなく、対等に話をしたい。恋する少女のようなアプローチも考える。しかし、それは、うまくいかない。

 私はすでに小学一年生のとき、人間には王子と乞食の二種類があり、乞食は乞食の梯子をのぼってしか、自分の天国に至れないことを知ったのだった。人さらいの、つまり、幼稚園や学校の掟とは王子のための掟である。学校の掟の中で、乞食が自分の梯子を維持しつづけることがいかに困難かを、私はいくたびとなく思い知らされた。
 私は人さらいの掟が、学校が嫌いだった。しかし、私はすでにさらわれており、その掟から自由であることは不可能だった。
「王子と乞食」P168-169

 これを今風のこの界隈の言葉であらわすとすればなんだろうか。クラスカースト? リア充とオタ? モテと非モテ? コミュと非コミュ? コミュってなんだ、コミュニスト? サイコミュ? まあ、なんでもいい。でも、たしかに王子と乞食がいるんだ。そして、言うまでもないが、俺も完全に乞食の側だ。いや、「側」などではない。この文脈で言えば「乞食」だ。それは確実だ。俺は王子さまにはなれないし、王子さま側の取り巻きにだってなれない(あれ、取り巻きって三種類目? まあいいか)。
 そうだ、幼稚園や学校の掟=この社会の掟、どうにも俺はだめなんだ。と、ここでふと思ったが、この掟は二重の意味があるんじゃないだろうか。一つは学校の仕組み、社会の仕組み、「社会構造じしん」。俺が学校を、公的なもの、オフィシャルなもの、逃げられないもの、法律、監獄と思う部分。そして、もうひとつは、クラス内のグループ、カースト、人間関係。プライベートな中でできあがってくるもの。後者は、バクーニンをしてやっかいすぎてどうしていいかわからんと言わしめたもの。『神と国家』より。

 社会が及ぼすこうした自然な影響力に対して個人が反逆することは、官権的に組織された社会、つまり国家に対して反逆するよりも、はるかに難事である。

 その作用は、国家権力のそれと比べて、いっそうもの柔らかであり、より婉曲であり、また目立たないものではあるが、それだけにいっそう強力なのだ。それは人間を習慣や風俗、多数の情緒、偏見、物質生活および知性や感情生活の習慣、さらには、いわゆる世論によって支配するのだ。

 そういう意味で、「乞食」は二重の意味で負けているのかもしれない(もちろん、自分もまたクラスの中の空気を形成する一員でもあるのだが)。いや、どちらか一方に適応できる、というケースもあるのか……、ありそうだ。言い直せば、俺は二重の意味で負けている、参ってしまっている。この世は、逃れられない地獄なのか? 壁と卵、どっちも地獄だぜ。

この世の外に

 しかし、「乞食」には「乞食」の梯子がある。それはなんだろうか。俺は、これじゃないかというのを、この本の「世の外の群れ」から引用する。

 幼い魂に「この世の外(ほか)」の感覚が最初に訪れたのは、おそらく汽車の中で、だった。祖母に連れられて八女の叔母の家に向かう途中、あるいは親戚の女に伴われて下関へ母を迎えに行く途中、私は車窓の窓枠に両手をかけ、顎を乗せるようにして、進行方向から大急ぎでやって来ては後方に行ってしまう風景をぼんやり見ている。
 「そげん外ばっかい見よるげにゃ、いんま気持ン悪うなって、吐(あ)ぐるけんで」
 しかし、私は見つづける。電信柱が退(しさ)り、藁屋根が退り、稲架(はざ)が退り、木立が退る。汽車はトンネルの闇に呑み込まれ、吐き出され、ぶつ切りの音を立てて鉄橋を渡る。
 突然、がたんと身を揺すって汽車が停る。鉄道服に鉄道帽の車掌が廻ってきて、神妙な顔で叫ぶ。
 「しんごォォまちィィィ」
 ああ、シンゴー町だ。私は車窓の外に町らしい風景を、二重瞼の眼科の看板を、表に水を打ち、玄関の暗い硝子が表をひっそりと映している旅館を、七五三の日のように晴着を着てぽつんと立っている女の子を、そして何よりも、小ぎれいな町の駅をさがすが、目に入るのは切通しの片側の崖か、人気のない暗い山田ばかりである。
 私はあわてて反対側の車窓を見る。しかし、そこにも町はない。そのうち、がたんと揺れて、また汽車は動き出す。幻のシンゴー町は、永遠に後方になる。というのは、もう一度同じ汽車に乗っても、同じシンゴー町に停ることは、ふたたびないからだ。
「世の外の群れ」P238

 シンゴー町はふしぎな町だった。どこにもなく、しかし、どこにでもあった。汽車が身を揺すって停り、車掌が廻って来て「シンゴー町」と宣言すると、そこが山の中であれ、海岸であれ、たちまちシンゴー町になるのだった。車窓の外には切通しの赤土の崖か、しらしら寄せてくる海以外に何もない。けれども、おごそかに宣言された以上、そこは疑いもなくシンゴー町であり、私は何もない場所に蜃気楼の町を現出させることを強制されるのだ。こうして、私は、目に見えない、この世の外の場所があることを知るのだった。
「世の外の群れ」P239

 話は逸れるが、俺はこの箇所を読んでゾクッとした。「シンゴー町」のエピソードに見覚えがあるからだ。俺は、この本を買ったのはそうとうに前だけれども、読んだ覚えはなかった。まさか、後ろの方のこの箇所だけ読んだのか? それも考えにくい。読んだとすれば全編だ。ただ、俺は、この箇所まで読んだ覚えがなかった。もし読んでいたとして、読んだことを忘れるほど血肉になるなんてことがあるだろうか?
 ……と、「シンゴー!」の話だ。こどもならではの、言葉の勘違い、そこからくる自由な連想。誰にでもあるはず。ひょっとしたら、草なぎ君があのとき「シンゴー!」って叫んだのは、このことだったかもしれない。彼も自由を求める魂だ。

 さて、もうひとつ「私」にこの世の外を思わせる人物が登場する。お玉さんと呼ばれる女性だ。裕福な町家に生まれ、豪農の家に嫁ぎ、子も生まれ、何不自由なく暮らしていたが、ある日、狐に憑かれたように家を飛び出してしまう。それから、なんど連れ戻しても、また飛びだして、橋の下で暮らし続けているという。

 しかし、頓野からの帰り途、勘六橋を渡る時にも、お玉さんの姿はなかった。
 私は、ふとシンゴー町のことを思い出していた。そうだ、お玉さんはきっとシンゴー町に行ったにちがいない。どこにもあって、どこにもない幻の町。そこにお玉さんはいるのだ。
 いや、そう言うだけでは充分ではない。まず、お玉さんの住まいである勘六橋、つまり、いまのいま、自分が母といっしょに渡っている足の下の橋じたいが、どこにもあってどこでもないシンゴー町ではないのか。さらに言えば、お玉さんという存在じたいが幻のシンゴー町ではあるまいか。
 母や祖母、そのほかの大人たちは、お玉さんについて、さも見て来たように話す。けれども、ほんとうはお玉さんを見た人はいないのではないだろうか。どこにもいてどこにもいない存在。それがお玉さんなのではあるまいか。そうだとすれば、自分たちもいつお玉さんにならないとも限らない……。
「世の外の群れ」P243

 ……俺はこの二重帝国から、なんとか自由になりたいと思う。努力も闘争も嫌いだが、逃走でどうにかならないかと思う。逃げて逃げて、逃げ切ってしまえばいい。乞食は乞食の梯子をのぼってしか、自分の天国に至れない。
 それじゃあどこに? シンゴー町でも浄土ヶ浜でもラブプラスの中でもいい。どこにもあって、どこにもない。どこにもいてどこにもいない。いまのいま、まさにここ、この俺がシンゴー町で浄土ヶ浜ラブプラスなんだ。それが俺の梯子だ。
 もし逃げ足鈍って、掟につかまってしまったのならば、そのときは本当に乞食にでもなるさ。寿町の路上詩人だ。そのときは「ザ・ノンフィクション」で取材してくれ。白塗りメリー、頭に金魚鉢、関外はノールール、俺は勝手に逃げたい方に逃げるんだ。さらば監獄、ジャイアンエスケープ!

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