おっさんの脳が30歳から「べき乗」でベキベキ発展していって銀河の大きさになるライフハック

海馬/脳は疲れない ほぼ日ブックス

海馬/脳は疲れない ほぼ日ブックス

30歳脳大爆発宇宙創造

 この本、はさまってた栞にひかれて買ったんだけれども(よく見たら消印がないので、栞にした本人が書き損じた喪中のお知らせだったみたい)、大当たりでした。生きる勇気を貰いました、なんてベタな台詞が出てきくる三十路のおっさんの俺なのでした。
 どのあたりかっていうと、以下の部分(※引用にあたって、漢数字を算用数字にあらためました)です。

糸井 ここではわかりやすいように、仮に、単なる暗記(意味記憶)を「暗記メモリー」と呼んで、自分で試してはじめてわかることで生まれたノウハウのような記憶(方法記憶)を「経験メモリー」と呼んでいいですか?

池谷
 いいですよ。そのふたつで言うと、ぼくは「暗記メモリー」よりも「経験メモリー」の方を重視しています。30代から頭のはたらきがよくなるとぼくが言っているのも、「脳が経験メモリーうしの似た点を探すと、『つながりの発見』が起こって、急に爆発的に頭のはたらきがよくなっていく」ということだと捉えているからなのです。

(略)

糸井 その経験メモリーの蓄積が30歳を超えると爆発的になるというのは、数字で言うとどのくらいですか?

池谷 最初のチカラを1としますと、べき乗(たとえば2の何乗)で成長していきます。つまり、Aを憶えたあとにBを憶える時には、Aを憶えたことを思い出してやるので、まず方法を記憶しやすくなるんです。
 そのうえにAとBをふたつ知るだけでなく、Aから見たB、Bから見たAというように、脳の中で自然に4つの関係が理解できるんです。つまり、2の2乗ですね。
 1の次は2。2の次は4。4の次は8。8の次は16……。
 16のチカラの時には、1000なんて絶対に到達できないように見える。しかし、そこから6回くりかえせばできてしまうんです。2の10乗は1024ですから。

 ここだけ抜き出してもなんやわからんと思いますが、そもそも私もわかったかといえばわからんのですが、なんや、30から頭がよくなるでって言ってるんじゃないですか。しかも、1+1は2じゃないぞ。俺達は1+1で200だ。10倍だぞ10倍!、どころでなく、べき乗、アクサンシルコンフレックスでドバドバドバドバってかしこく、ますますかしこくなっていくということなんですよ。これはびっくりや。武者小路実篤先生もびっくりのかしこさマシマシなんです。
 こうなると、なんかもう、自分の脳味噌は20くらいを境目にあとは右肩下がりになっていくばかりと思ってた、老いの黄昏気分も、なんや、これから俺の脳味噌は増殖していくんや、そう思うと、もう、頭の中の宝珠と宝珠が互いに照射しあい、無限に広がるインドラ・ネットワーク、重重帝網、これがどんどんどんどん発展していくさまが見える、目をつぶればシナプスの発火、輝き、宇宙がまた宇宙を映し、その宇宙がまた宇宙を映し、さらにはそのすべてがこの身の一であるという、そのさまが見えて、感じて、この身このままに悟れるということやないですか。いやあ、うれしい、これはうれしい。ありがとう、ありがとう。
 
 ……などというわけのわからないことは、この本に書いていないので、注意して下さい。でも、なんかわからんけど、30から、30からばりばりかしこくなってくらしいですよ。これはいい話です。そういえば、我ながら最近、「最近●●ということを知ったばかりだが、今日すぐさま、●●と関係ありそうな△△ということに出会った」というようなことが多いのです。それで、「俺はどうも雲の上の誰かさんに愛されているらしい」などと思ってもいいところでしたが、なんぞ、たぶん、自分の脳の中のネットワークの網が、細かく、広くなってるがために、それまでであれば気づけなかった△△をすくいとることができたんじゃないかとか、そんなふうにも思うのですよ。これもこの本に書いてないので注意して下さい。俺のたわごとです。

しばらくやってない間になぜかうまくなってる現象

 たわごとばっかりじゃなんなので、もうひとつだけ紹介します。


池谷
 眠ってるあいだに海馬が情報を整理することをレミネセンス(追憶)といいます。これはとてもおもしろい現象で、たとえばずっと勉強していて「わからなかったなぁ」と思っていたのに、ある時急に目からウロコが落ちるようにわかる場合がありませんか? それはレミネセンスが作用している場合が多いのです。ピアノの練習をいくらしても弾けなかった曲を、次の日にすらすらできてしまったり。

 これや、これなんです。俺がながらく不思議に思っていたことなのです。

 なんだろうね、こういうのは、こういうのってあるよね。こんな話を聞いたことがあった。通ってた中学の数学教師、彼の中学高校時代はバスケ漬けの毎日。大学に入るとともにやめて、就職、就職先学校。それでちょっとバスケ部の顧問を手伝うことになって、数年ぶりにバスケしてみたら、なにもかも上達していたという。シュートやなにかも上手くなっているし、できなかったテクニックもなんかできるようになっていたという。むろん、体力は落ちているが、バスケおもしろいことこのうえないということだった(だから、自分の時間割すっかり忘れて他のクラスの体育のバスケにうつつを抜かしていたことがあったっけ)。

 で、そんな話、信じられる? 俺は信じた。時間のスパンは違うが、自分自身の小学校のころの話。習字の授業だ。俺は習字が苦手だった。とくに、ある日の課題であった「家」という漢字がどうしてもうまくかけなかった。苦手と下手を自覚しながら完璧主義者という悪いタイプの俺、何枚も紙を無駄にして、半ば泣きべそかきながら休み時間ちょっと入ったくらいにようやく提出した最後の一人、できあがりはひどく平体(ひらたい/へいたい……文字を縦に潰すこと)かけたような、客観的に見ても最悪のできばえ。

 たぶんその年度の最後の方、「市のコンクールに出すので、習った字の中で得意なものを選んで書きましょう」というお題。俺、そのとき不思議なことに、「家」の字を選ぶしかないと思った。思って、書いてみたら、半紙いっぱいに見事な「家」があらわれた。自画自賛のできばえ。そして、自画自賛どころか客観的にもよかったらしく、なんか学校代表になって鎌倉市の市役所だか公民館だかに飾られた。一生のうちで俺の字がほめられるのは、おそらくこの一回だけだろう。

 これ、これなんですよ! 俺は、「家」という字をすごい練習してできなくて、それを脳のどっかに刻んでたんですよ。それで、脳がね、オートマチックに、こっちが知らんバックグラウンド、寝ている間とかに、こつこつと「家の字はこうやって書けばいいんじゃね?」ってのをやっててくれたわけです。たぶんそう、きっとそう。
 とするとね、上の方に書いた教師の例があるやないですか。おっさんでしたよ、彼も。それが、なんか体力はともかく、バスケうまくなったりしてるじゃないですか。レミネセンスのはたらきがどんだけロングスパンなもんなんかはわからないけれども、知らん間に、こっちが意識してないあいだに、寝ているあいだに、勝手に脳の中で、記憶の継ぎ接ぎとか、別のノウハウの応用とか試してくれて、お膳立てしてくれとるわけなんやないですか。すごいです。これ、すごい。どこで売ってるの? いくら? いや、お前の頭蓋に装着済み! やったー、お得−!

 つーわけで、べき乗でベキベキと脳のネットワークが広がっていくと同時に、知らん間に冴えたやり方を脳の中で勝手に編み出していってくれると、それが30代の脳味噌というわけなんです。30代脳内革命! 俺の脳味噌は、日夜バイバインのスピードで銀河を呑み込んでいくわけだし、もうちょっとしたら、ものっそい頭良くなってますよ! いや、30代になったら、みんなそんな風に頭よくなってんですよ! 未常識ですよ! 最高ですか! 最高です!

 ……って、そんなこともこの本には書いてないですよ。でもね、俺は見たいものしか見ないから、そう受け取って、こうやって言葉にして、脳を騙してるんですよ。脳は騙されやすいやつなんだから、ちょっとおだてればほいほいついてくるような、そんなやつらしいです。こうやって言葉にしてしまえば尚更だ。ああ、だから、これは本当のことなんだ……、すごい、光、脳内に、いっぱい……! 

関連______________________

追記______________________

 ……つーか、たぶん、本来繋がってないもの、繋がってはいけないものが、むちゃくちゃな繋がり方して、それがそいつにとって自明なことだ、くらいの確信を抱かせてしまって、それで俺みたいに狂ってしまったり、説得力のあるやつだったら宗教がはじまったり、あるいは疑似科学とかニセ科学と言われるものが生まれたりするんじゃないかと思う。でも、そんなしょうもない繋がりの発生、数え切れない失敗の中から、ほんの僅かな本当の繋がり、それが見つかって、人類ここまで来られましたよって面はあると思う。だから、進んで狂気やカルトを食う必要はないけれども、とりあえず「生まれてしまうものだ」という、ほら、結合に失敗したデビルマンみたいな、そういう哀しい存在だっていう前提はあるべきかもしらん。ただ、場合によってはそれをおくびにも出さない方便も必要だろう。