goldheadさんは三人称で日記を書こうと思ったのです

 goldheadさんにはかねてより悩みがありました。三人称で文章が書けないのです。べつに三人称で文章が書けないからといって、生きていくのにはへいちゃらです。けれども、三人称で文章を書くことができたら、もっと言葉をうまく使いこなせるんじゃないか、いろいろな種類の文章を書けるんじゃないかと、そんな風に思っていたのです。

 そんな中、三人称についての解説を見かけました。もとより関心のあることですから、goldheadさんは熱心に目を通しました。しかし、どうしたことでしょう、何を述べているのかはだいたいわかるのに、これで三人称の文章が書けるような気にはならないのです。要するに、視点の移動やなにかといった問題以前の、もっと初歩的なところに問題があるようでした。
 では、三人称の文章を読んだことがないのでしょうか。そんなことはありません。goldheadさんは、けっして本を読まない人ではありません。読者家や活字中毒と呼べるほどではありませんが、人並みに本を読んできたという自負は持っているようでした。小説についても、探偵小説やSF、純文学、翻訳文学と、それなりにいろいろのものを読んできたつもりです。とうぜん、そのなかには三人称で書かれた小説もあったでしょう。感銘を受けた小説のなかにも、三人称で書かれたものがあったはずです。
 しかし、どうしたことでしょう。goldheadさんには「三人称の小説」が一冊も頭に浮かばないのです。自分の読んだあらゆる小説が、すべて「私」や「僕」や「俺」によって語られていたというような、そんな気がするのです。三人称という領域が、まったく真っ白のがらんどうになっているような、そんな気がするのです。
 「これはよくねえな。これじゃずっと白地図だ」。goldheadさんはひとりごちます。そして、おそるおそるキーを叩き、以下のコメントを書き込みました。

goldheadさんは三人称を使った文章の書き方が皆目わからなかった。増田さんが懇切丁寧に指導してくれたというのに、ぼんやり口を開けて首をひねるばかりなのだった。

はてなブックマーク - goldheadのブックマーク / 2009年10月31日

 書き込んで、goldheadさんは自分がドキドキしているのに気づきました。言葉を書いて、こんなにドキドキしたことはあったでしょうか。なにか、見知らぬ異国語を勉強して、はじめて作文をしたような、そんな心持ちになったのでした。
 それからgoldheadさんは、しばらく頭の中で、三人称のことばかり考えていました。自分が日記に書くようなことがらを、三人称で考えてみたのです。なにかそれは、とても気恥ずかしい、照れてしまうようなことでした。けれども、それは、真新しいよろこびのようでもあって、なかなかやめることができませんでした。
 そしてだんだんと、今まで「俺は」と書けば解決していたようなことも、結局のところ他人に伝わっているはずがなかったんじゃないのか、と思うようになりました。主観のようなものを、「俺は」で叩きつけて、それで済むような話ばかりではないような、そのような気持ちになったのです。
 そんなわけで、goldheadさんは、三人称で日記をつけることに決めたのでした。三人称で日記を書くなんて、ちょっとおかしな話かもしれません。だいたい、登場人物がほかに出てこないのに、どういう意味があるのかなんてわかりません。それでも、なにか、新鮮な緊張感に包まれて、goldheadさんはおもしろくて仕方がないのでした。そうして、書けないのではなく、書かなかっただけなんだと、そう自らに言い聞かせながら、こうやってつらつらと不慣れな言葉を打ち込んだのでした。おしまい。