寒い雨の日に『イングロリアス・バスターズ』を見るのこと

 彼女の人が「クエンティン・タランティーノブラッド・ピットのなんとかいう映画がおもしろそうだから見よう」とか言う。「そうだね、見よう」などと答えて、しばらく経つ。
 横浜のヨドバシカメラに行く。iPhoneのケースを買うのだ。シリコンかなにかでできた、外骨格のようなものを買う。外は雨。ヨドバシのレストラン街はこんなに静かだったのかと思っていると、最上階でなく地下がにぎやかなはずなのである。マスクをしていると、俺は横浜駅あたりの人ごみや、ヨドバシカメラくらいの人ごみはへいちゃらなのだ。
 みなとみらいの映画館だ。今までなんどか来たが、いちばん狭い部屋だ。待ち合いの座席がなく、入口の前をウロウロしていたので、一番乗りする。前後真ん中、左右真ん中。だんだんと席が埋まってきて、やがて埋まりきる。俺が左、女が右。その右がいつまでも空席だったが、やがて中年の男が一人入ってくる。が、その男、シアターが暗くなる前に、どこかへ行ってしまう。
 ランダ大佐がショシャナの年齢を聞いてるときである。左側、壁際の通路に女性が一人が立っているのに気づいた。向こうもこちらを見たような気がする。目が合ったような気がする。目をスクリーンに戻してしばらくすると、その女性がこの列にやってくる。二つ右隣の空席に来るのかと思いきや、「F-5なのですが」と俺に言う。
 なんということだろう。一番乗りで入って、一番に座席についた俺が、いの一番に間違っていたのだ。すぐに俺の彼女の人が気づき、右にずれた。俺もずれた。娘三人がじつはユダヤ人で、地下にいるのは娘だという意味の分からないトリックを考えてみたりもしたが、それになんの意味があるのか分からない。
 やがて、やけに暑くなってきた。マスクはしたままだったが、はっきりと入ってくる空気が熱い。顔に感じる熱気のようなものがある。これはちょっとおかしいんじゃないかと思う。誰かが「暑いぞ!」と叫んでもおかしくはないようなことだった。俺がそこで考えた悪い想像は、映画の内容に関係しそうだとあとで思いいたる。
 “ユダヤの熊”ドニー・ドノヴィッツ。バットでナチの頭をたたき割る。俺はバットの銘柄がルイヴィル・スラッガーだと確信する。見事なフルスイングで横から叩くのかと思ったらそうでもなくて少し残念だ。一打一打に、俺は心の中で「アウフヴィーダーゼーエン・フロイト!」と叫ぶ。地下室。SS殺しの男がSSの男を見る目がおもしろくて笑う。けっこう笑ってばかりいる。ただし、ものすごく暑い。「暑いぞ!」って誰かがいってもいいと思う。
 「ビンゴ!」って言って、あれ、これは戦争の、ナチスのなにかで見た覚えがある、と思う。マクドナルドでアップルパイを食っていて思い出す。「カート・ヴォネガットキルゴア・トラウトだ」。そのマクドナルドはやけに子供向けの作りで、しょっちゅうディズニーランドの曲が流れてくる。そのたびに、俺は「ミッキーはどこ? ミッキーは?」と言って左右を見る。
タイムクエイク (ハヤカワ文庫SF)

ドイツは、資源節約のため、国内でのビンゴ・ゲーム生産を中止していた。そんな事情もあり、また防空壕内のおとなたちが、ヒトラーの興隆から現在の衰亡にいたるまであまりに多忙だったこともあって、そのゲーム遊び方を知っているのは、ゲッベルスの子供たちだけだった。(略)ビンゴのルールを説明する少年と、少女は、夢中になったアドルフ・ヒトラーも含め、正装のナチの領袖たちにとって宇宙の中心になるのだ。

まるで天国にやはり神がいるかのように、「ビンゴ!」とさけんだのは総統である。アドルフ・ヒトラーの勝ち! 彼はいぶかしげに、もちろんドイツ語でさけぶ。「信じられない。生まれてはじめてこのゲームをやったというのに、わたしは勝った、わたしは勝った! これが奇跡でなくなんだろう?」 ヒトラーカトリック教徒だ。
 ヒトラーはテーブルの前で椅子から立ち上がる。トラウトによれば、ヒトラーの目は、「まるでトリノの聖骸布を見るように」まだ目の前の勝ちカードにそそがれている。この人でなしは問いかける。「してみると、事態は思ったほどわるくないのかな?」
 あいにく、そのときエヴァ・ブラウンが青酸カリのカプセルを飲みくだし、せっかくの瞬間はぶちこわしになる。

 カメラを構えた黒人の恋人が「英語でだぞ」と言う。あれはよくわからない。彼らの観客はナチだ。ドイツ人だ。ドイツ語で言うべきなのだ。たぶん。でも、英語で、なのだから、英語を使う人たちに言いたかったのかタランティーノは。よくわからない。彼女らはドイツ語がだめで、ナチはフランス語より英語が得意なのかもしれない。
 俺はフランス語の発音を少しだけ習って、「さようなら」を意味する言葉だけはよく言える。「ネイティヴのようですね」とほめられたこともある。大学は中退した。ジャンケンをしたとき、チョキの形で田舎者がばれてしまった人もいるかもしれない。もし現代日本人の三十歳のおっさんを装うスパイを送り込むとしたら、ガンダムかジャンプの知識が必須になるような気がする。映画のことなど学んでも無駄だろう。映画のいろいろのことを知ってるほうが、ずっとかっこいいし、知的で、もてそうなのに。
 映画が終わっても、おたがいに感想を口に出さない。ようすをうかがう。「暑かったですね」と俺。「ほんとうに」と彼女の人。「頭の皮ってあんなに簡単に剥げるんですかね?」と俺。「ちょっと気持ち悪かった」と彼女の人。しばらくして、「おもしろかった」と彼女の人が言うので、「上映時間ほど長く感じなかった」と俺。俺は心なしか、なんとなくナチの軍人みたいな歩き方になってるような気がする。グッズコーナーで「ブラピの持ってたナイフの模造刀ないの?」などという。ミッキー、ミッキーはどこ?
 ぱっかんぱっかんアメ公をぶち殺す狙撃兵、歓声をあげるナチの高官たち。英語のメッセージ。いや、複雑な話はない。服を脱いでしまうことは許されないこともあって、復讐の銃弾を叩き込んで、拍手喝采。昔、『橋』とかなんとかいう映画を見て、パンツァーファウストの後ろに立つのは危険だと知った。
 上映前、慣れぬiPhoneでの馬券購入を諦め、女の携帯を借りてポップロックだけ買った。亀谷が推奨していたからだ。結果は、西のメーンで亀谷推奨のアクシオン単勝27倍で勝っていたということ。なぜポップロックで頭がいっぱいだったんだろう? 朝、買い込んだ的場文男は、パッとしなかったようだ。明日もある。
 
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