競輪雑感、これからの公営ギャンブルについて

 というわけで、昨日は花月園競輪場に行って、競輪をした。もちろん、失われる花月園をいくらかこの目で見て、記録しておきたいという気持ちである。しかし、それでは競輪場に申し訳ない……という気持ち以上に、競馬者としては、そこに博打の券が売られていれば買わずにはおられない。結果、普通に一日競馬をやって一個も当たらないくらいに負けた。
 競輪場に行くのは十数年ぶりだ。ただ、競馬経験から券種や券の買い方はわかっている。ただ、このスポーツ、このギャンブルについては、完全な門外漢の初心者といっていい。そのような人間が感じたことを書き留めておく。

競輪はむつかしい?

 「競輪はわからん」。これが第一感。「え、おまえ、競馬がわかってるつもりになってるの?」と言われれば返す言葉もないが、やはり、だ。この、そこで自転車に乗った屈強な若者やおっさんが競走をするわけだけれども、なにがどうなっているのかわからない。「え、だれが早いか競走するだけでしょ?」というはずなのだが、なにか様式美に則った儀式を見ているような気にさえなる。不思議の世界。よくわからない道理によってなにごとかが決定する、そのプロセスを見ているような感じである。
 無論、そこにラインの駆け引き、ギア比や脚力の兼ね合い、あらゆるスポーツに存在する一瞬の判断などが混ざり合っているのは知っている。俺だってずっとモーニング誌で『ギャンブルレーサー』を読んできたのだ。ただ、いくら『ヒカルの碁』を読んでも碁のルールがわからなかったようななにかがある。そこがむつかしい。まあ、「俺にはむつかしく感じられる」といった方が正確だろうか。競艇やオートのことは知らないが、おそらく三競オートの中で一番知的であり、推理を要するのが競輪であろうと、昔からそう思っている。
 というか、そうであっても、前準備のひとつもしなかったのは失敗である。だいたい、なんとなく、前日の夜に東スポ競馬欄見ていて「あ、花月園やってる」と気づいて行くのを決めただけ。「とりあえず、ちょっと写真撮れればいいだろうか」とか、その方に気が行っていた。券は、競輪新聞買って、掲載されている買い目にならえば一本くらい当たるだろう、などと。
 これでは、当たらん。当たらんし、目の前で何が起こっているのか、よくわからないのも当たり前。これはもったいない。もうちょっとだけでいいから、基礎を踏まえて見るべきだった。というか、iPhoneなどを持っているのだから、その場で初心者向け解説サイトを読むべきだったのだ。だが、どうも、競輪場という慣れない場所、そして、ある意味よく知っているような場所になじんでしまい、そういう意欲はわかなかった。そのくせに律儀に毎レース車券を買って外しているのだから仕方がない。今度は、ちゃんと踏まえたうえで行きたい。
 え、行くの? いや、いつか神山雄一郎武田豊樹(併売していた広島の記念競輪に出ていた。「名前を知っているので」という理由で神山を頭に買ったりしたが、相手が抜けていた。モニタを見ていたおっさんらは、口々に「なんだよ、八百長だ、八百長だ」などと言っていたが、よくわからない)、山崎芳仁などといった、門外漢にまで名前が届いている選手を生で見てみたいというのはある。
 それと、併売の広島の最終を見てたときのこと(結局併売の最終まで買う俺。武田豊樹から適当に買っていた)だけどさ、横に老齢の夫婦がいたんだ。それで、じいさんの方が、モニタ見ながら奥さんに「ここで××のラインがいったん引くと、△△が■■して、7番の捲りが決まってしまうのである」とか言ってる。奥さんの方は、たんにつきあわされているのか、競輪趣味があるのかはさっぱりわからん。が、レースを見ていると、どうもじいさんの言う通りになって、7番の捲りが決まってしまったようだ。
 そのじいさんが、競輪の達人か、車券名人かどうかはわからん。このレースを取ったのかどうかもしらん。しらんが、たとえば俺くらいの競馬ファンでも、レースがスタートしてから、「あーあ、楽に藤田逃げちゃったよ。江田なら絡んでいくかと思ったんだけどな。見てな、こうなったら、あんなに後ろにいる吉田の馬は届かないね。ルメールあたりが持ってっちゃうんじゃないの? ……ああ、ほら、言った通りでしょ。こんなん簡単にわかるよ。でも、レース前にはわかんねーから、馬券は当たってないけどね」などということは日常茶飯事である。
 まあ、なんというか、もちろん当たり前の話だが、競輪にもなんらかの理路というか理屈というか仕組みというか構造というかそういうものがあって、それを読み解ける一瞬があったりすれば、それはおもしろいだろうと思うのだ。

自転車競技として

 さて、俺が「競輪」というものに接近するに、「自転車」という要素もある。自転車といっても、5万円の安クロスバイクに乗ってそろそろ一年という程度だが、やはり興味はある。競輪選手のように締めつけはしないが、トゥークリップなんぞもつけている。で、トライアスロンを観戦しに行ったりするような、そういう興味もわいてきている。そういう意味で、トップクラスはオリンピックに出たりする競輪は、かなり身近な自転車競技ということになる。ロードレースや室内競技というのはどこでやっているのかよくわからない。
 ただ、そういう興味でいえば、あまりなんというのだろうか、それほど生で見ても、というところがあった。むろん、自転車についても自分は初心者であって、趣味のサイクリング、ポタリング程度。ちゃんとスポーツとして自転車をやっていた人がみればすごさが身をもってわかるのかもしれないが、こう、金網越しに見る分には、「いったいどのくらいスピードが出ているのだろう?」というあたりもわからん。いや、ものすごく速いはずというのは頭ではわかっている。ただ、それほど迫力が伝わってこない、などと言っては失礼か、シャーッとね、走り抜けていったな、みたいな。なにか、もどかしい距離感。目を凝らせば、ムキムキの脚なども見られるが、俺はあんまり目が良くないし。
 それと、自転車の車体。ご存じのようにノンブレーキピスト。ただ、これは知識として知ってはいたけれども、最新の技術を結集したロードレース用のバイクなどとは違うという。

競輪用の自転車は、ここ十数年ほど、ほとんど規格や素材が変更されないまま現在まで用いられている。おおむね半世紀前のピストレーサーといって良く、現在他のトラックレースで用いられるピスト競技用車とは大きな性能差がある。これは公営競技としての公正さが念頭にあることが大きいが、他にも規格緩和による部品代高騰の抑制、横方向への移動における操縦安定性の維持、落車事故時における衝撃吸収性など様々な要因も絡んでいる。

競輪 - Wikipedia

 このあたりはどうだろうか。いや、どうだろうかっていうと、なんだけれども、あくまで自転車趣味から見たら、それほど車体に魅力は感じないというか。いや、車体そのものには興味あるけれども、みんな同じものに乗っているのか、というような。見た目だけれども、たとえばトライアスロンでも、いろいろの自転車が走ってるのがおもしろかった、とか。
 もちろん、これはあくまで自転車目的の見方。上に書かれている「様々な要因」のことはようわかる。競艇やオートでも、ペラなどで選手の技術差が出る点はあっても、ボート本体やバイク本体についてはレギュレーションでかなり厳しい縛りがあるはず。競走馬とて、「すごいスパイク蹄鉄つけました!」というのは反則である。もっとも、「シンザン鉄」やディープインパクトの「新エクイロックス」みたいな技術ももちろんある。
 まあしかし、サラブレッドの一頭一頭がそれぞれに個性あるメーカーによる独自の車体というようなもの、という見方もできるか。しかし、競走馬と対応させるなら、それぞれの選手ということになって、このあたりの比較はむつかしい。
 と、競輪の自転車に話を戻せば、あとはその、なんだ、「もっと近くで見たい」というのはある。あるけれども、そんなに近くで見たら危ないというか、危ないことが起こりそうというか。車載カメラとかだめですかね? でも、それじゃあレース中どこを見ていていいかわからん。

三連単について

 さて、いちばんいろいろ思ってしまったのは、三連単だ。場内モニタのオッズ表示や、貼ってあるレース結果(三連単の配当に蛍光ペン)から、ともかく三連単がメーン券種であると感じたわけで、自然、自分も三連単を買う。競馬ではめったに買わない。当たらないから。でも、競輪は九車立て(というのかな?)だ。競馬でもそのくらいの頭数なら、狙いによっては三連単に手を出すくらい。
 だが、当たらない。いや、俺が競輪知識まったくなしに買っているというのはあると思う。思うけれども、なんというのだろう、配当とか見ていても、「こりゃそんなに当たらねーだろ」という感じ。それと、自分が買った(適当に予想紙の見解通りに)ものも、まったくかすりもしないわけじゃない。だが、拾えない。カバーしきれない。でも、そんなに点数買う気にはなれないし……と。
 このあたり、場内にいた、年季の入ったおっさん、じいさんたちはどうなんだろうね? オッズ見ると、そう当たってるようにも見えない。だいたい、あまり払い戻し機のところに人が並ばないし(並ぶほどお客さんが多くないというのもあるが……)。
 要するに、競馬でもさんざん言われていることだが、三連単って金が回らない。当てた金で「次!」というのが、確率的に少ない。ひょっとしたら、一日当たらんということもあるだろう。
 それに、そもそも「当たり」というのは、金額以上もしくは金額以外のなにかであって、たとえ小さくてもその成功体験みたいなものは、なかなかに脳に快楽物質を出してくれて、それが博打の魅力のひとつだと思うわけだ。3回に1回枠複を当てるのと、30回に1回三連単を当てるのが、仮におなじ期待値だとしても、29回はずれ続けるうちに嫌になってしまう、あるいは資金がショートする、そういうところはないだろうか。いや、あるはずだ。
 でもね、だからといって、競馬にしろ他のギャンブルにしろ、「三連単廃止」だの縮減(後半4レースのみ、など。……しかし、競馬において当初このやり方だったのは、今考えると理にかなっていたのかもしれない)だのは無理だし、俺も望みはしない。俺とて本命系にどんと入れるような買い方はできない。小銭で穴狙いしたい。だけれども……と、思ってしまう。べつに、枠複や馬複がないわけじゃない。単勝複勝だってある(競輪はないし、競艇も廃止するらしいけど)。それぞれに好きなやり方で、好きに馬券を買えばいい。買いたくなかったら買わなくてもいい。俺はそうしている。
 けれども、もしも三連単の当たらなさによって新しいファンに快楽物質を注入する機会が減っていたり、既存ファンの快楽分泌が弱まったりして、それが売上減につながって、やがて愛すべき公営ギャンブルがなくなっていくとすると……、それは俺の楽しみにも影響してしまう。それはおもしろくない。
 とはいえ、一介のファンに何が言えようか。ただ、施行者にはいろいろな手立てがあるはずだ。「枠連プレミアム」、「馬連プレミアム」とか。でも、プレミアムって、当たったやつだけの得だし、それほど効果があんのかよ……などとも。うーん、わからん。まあ、わかったりすれば、どっかのかしこい人がとっくにやっているのだろうが。

これからの公営ギャンブルについて

 ……などと見出しを書いたところ、さあ、どうなんだろう。俺には正直わからん。花月園の客層、どうだったか。おそらく、30歳の俺が年齢順で若い方の0.5%くらいに入っているはず。というか、同年代、年下は、ほんのわずかにしか見かけなかった。川崎競馬あたりでもそんな感じだが、それよりももっと濃い。女性もほとんど見かけなかった。でも、だからどうなんだ。なんだか、わからん。だいたい、俺は、まだ俺にもピンときていない競輪の魅力を、誰か、競馬その他ともまったく縁のない人に説明することなんてできない。場の魅力は語れても、それは廃れ具合や昭和的な部分についての偏屈な趣味であって、ハイエナのようなものであって、これもすすめられない。
 ただ、なんだろう、一ファンの実感として思うところは、やっぱりなにかの縁で券を買った人の脳内に快楽物質が分泌されるのは、的中であって、払い戻しの感覚であって、それは既存ファンも同じ事であって、高配当を謳いすぎて困ったことになっていないかというお節介。そんなことを感じた。
 いや、ともかく、なんだろう、俺は競馬好きだが、競輪や競艇オートレースにも、あってもらわなくては困るのだ。困るというと変だが、なんというのだろう、「競馬はひとりではない」という感じ。はっきりいって、世に公営ギャンブルが競馬だけだったら、ものすごく心細いと思う。日本のどこかで競輪や競艇やオートが日々行われていて、それのファンもいて、博打好きがいて、べつに連帯してどうこうとかいうわけじゃないけれども、いてくれると心強いと思う。そんな感じがする。だから今度は、競艇やオートにも出向いて、ちょっとそれを確かめてこようと思う。おしまい。

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