親族の集まるのこと

 母方の親族の集まりに行った。集まりと言っても、母方の祖母の団地に集まるだけだ。だいたい部屋はいつも散らかっていて、正月でも散らかっていて、俺の部屋がおおよそ散らかっていることの血統的な原因を辿れば、ここにあるのだと思う。もっとも、祖母は重度の糖尿やパーキンソン病などを患い、今は半分以上寝たきりだ。俺の両親はともに糖尿病だし、父の父もパーキンソン病を長く患った。
 正月というと箱根駅伝だ。まだ実家のあるころ、鎌倉の家から母方の祖母のところに行くのに、「いかに駅伝渋滞を避けるか」というのがテーマだった。そして、だいたい親戚が集まると、箱根駅伝を見ていた。父と母の兄が早稲田だったので、自然と早稲田を応援したり、あるいは「だめだこいつは」などとくさしたりするのが恒例だった。俺はさして興味がなかったし、だいたい小学生や中学生のころに、自分が行くかどうかもわからない大学を応援する気にもなれず、なにが面白いのかよくわからなかった。
 ただ、なんというのだろうか、親戚が集まったからといって、べつに話に花が咲くともかぎらず、とりあえず駅伝を見てあれやこれや言っているという状況、これは助かる。これによって箱根駅伝は不動の地位にある、とも言いたくなる。とはいえ、最近は俺もいくらか人が走ったりするものをおもしろいと思えるようになっているし、たとえば山登りの天才などというのは非常にわかりやすく、これは普通に見ていて楽しかった。また、一緒に観ている叔父連中も競馬をやるので、「こいつが平地(ひらち)を走ってもいまいちなんだよな」などという台詞が出てくるので、これも助かる。
 俺がちょっと競馬に興味を持っていると話すと、「駄目だよ、競輪は!」の大合唱であった。たとえば、会社の中で言っても「競馬はいいけど、競輪はダメ、絶対」みたいに言われるのだけれども、ここでもか、と思った。ただ、理由は少々違うらしく、こちらでは「あれは八百長みたいなもんだからだめだ」、「ラインとか覚えなきゃいけないからだめだ」などという、長年の競馬趣味者からの発想だった。
 また、商社勤めの叔父曰く、かつて会社に競輪で身を持ち崩した人間がいたという。その人はだいたいどこにどんな選手が斡旋されているか把握しており、出張の名目で贔屓の選手を追いかけて日本全国回ったらしい。さすがにばれて首になったという。この場合の贔屓とは、ミーハーファン的なそれだろうか、それとも、「この選手が走るレースはほとんど読み切れる」とかいう理由だろうか。よくわからない。
 麻雀をした。何年かぶりの話だ。昔は恒例だった。まだ母の父が生きており、俺の父などもここに来ていた時分、大人たちはもうもうと煙る部屋で、卓を囲んでいたものだった。どうも、いとこの一人が麻雀を覚えているらしく、なぜか俺も頭数に入れられて、とりあえずやってみようという話だ。ちなみに、昔も今も賭けはしていないから、純粋なゲームだ。あるいは、これも箱根駅伝的なものだったのかもしれない。助かる。
 そして俺は、数年ぶりに麻雀牌に触れ、サイコロ振って、さてその先がわからんというあんばい。ああそうだ、「じご」、「ひだりっぱ」、「といしち」。それで、ドラ表示牌って左から何番目をめくるのだっけ? 
 だが、麻雀のルール自体はあまり忘れていない。だいたい、最近『咲-SAKI-』などにはまってたし、ケータイとかにも麻雀アプリは入れている。でも、まあ人間相手に打つというのはどうしていいものかわからん。とりあえず考えたのは、下手に鳴いたり、振り込んだりして、場を乱さないようにしようということ。
 と、そのテーマが案外おもしろかった。なんとなく「通」っぽくやろう、というような。それで、案外、堅く、堅く打つというのも性に合っていた。だいたい、ゲームでやる分には、振り込んだところで痛くないし、てめえの手ばっかり見て打つことになるんだけれども、そうじゃない打ち回しというか、そんな上等なもんじゃないけど、そういうのいいじゃん、と。配牌がよくなかったら、もう最初から降りること考えてる、みたいな。
 そんで、結局、半荘二回やって、一回も振り込まなかった。そのうえ、生まれて初めて牌を使った麻雀で役満をあがった。四巡目でシャンポン待ちでテンパって即リー、さらに一発でツモった。ちょっと震えるような思いをした。無論、なんの賭けもしていない家族麻雀。しかし、この引きはなんなんだ、というような。まったく。
 そんなわけで、俺はもう帰り道、そう、自転車で行ったのだけれども、だいたい事故って死ぬような覚悟をしていたのだけれども、どうもそういう話にはならなかった。むしろ、自分が自転車を漕いできた中でも最高レベルの調子のよさで、どんな坂道もスイスイ登れて、なんだかわからんくらい早く帰れた。もしも俺が今、死んでいるのに生きているような勘違いをしているのでなければよいのだが。もっとも、それはそれで、もう今年の運を使い切った、というような話になるかと思う。

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