昭和の下から目線とはこういうものだ!

職場の先輩の話なんだけれども、海外での会議の予定がたまたまお子さんの誕生日と重なったという状況。
小学校に上がる直前でもあり、家族だけじゃなくおばあちゃんも呼んで一緒に祝うことになっていたので、「私用なので無理にとはいいませんが」と断った上で、このような事情なので代理を立てて間に合うならそうして欲しいと上司に申し出たわけ。

人生の2択

 人生と労働、日本企業の体質などの話題である。だが、俺はもう「海外での会議の予定」、「家族だけじゃなくおばあちゃんも呼んで一緒に祝う」の字面が目に入った途端、べつの方向にストーリーが進んでしまった。

(以下、昭和四十年代〜五十年代の東海林さだおの絵で想像してください)
タンマ君 (4) (文春文庫)
 帰宅したオトーサン、誇らしげな表情で「おい、今度出張に行くことになったぞ」。オカーチャンが「あら、また? 今度はどこ? 準備メンドーなのよねえ」とちゃぶ台でお茶飲みながら、テレビ見つつ答える。「ニューヨークだ!」と両手を腰に当ててオトーサン、「マアッ」と飛び上がるオカーサン。「アータ、ついにエリートビジネスマンになったのね!」と、ヒッシと抱きつく。二人のメガネがぶつかって、ガチガチ音を立てる。「さっそく、おとなりさんに話してこなきゃ! あと、田舎のオバーチャンにも電話、電話」とオカーサン。
 夕飯、この一家にしては贅沢なご馳走がちゃぶ台に並ぶ。オカーサンがオトーサンに瓶ビールをつぐ。田舎から慌てて出てきたオバーチャンは、ハンカチで涙をぬぐいながら、「アンタがこんなに立派になるとは……」とか言ってる。そこに小学生の長男と次女。「なに、なんのお祝い!?」と驚く。いつもとは違って、自信たっぷりで威厳に満ちたオトーサン、「これ、ちょっとそこに座りなさい」と子どもを正座させる。「実はな……」
 ……という具合。オチとか思いつかないんで、「人違いだった」とか「ニューヨーク違いだった」とか、適当に脳内で補完してください。まあ、そういうわけで、俺はこういう感じになってしまったので、まったく自分は昭和の子であって、グローバリゼーションとか縁がないとか、そんなん思ってしまったの。
 でも、だ。べつに昭和のころから世界を股に掛けて働いてたパパがいないわけでもないだろう。たとえば、スネ夫のパパだ。オトーチャンじゃないよ、パパね。
藤子不二雄の絵で)
[rakuten:project1-6:10000511:image]←誰こいつ?
 「パパが海外出張のお土産に(中略)三人用だから」「(前略)えも〜ん!」(以下略)
 ……という具合。
 まあ、そんなわけで、たとえば代役の有無とかそんなんにしても、会社の規模とかそういうのあるんだろうし、なんとも言えないけど、しかし、英語とか喋れて、海外出張に行くような上流階級がガキの誕生日云々でごたごた言ってんじゃねえよバカ、家族ごと連れてって、ファーストクラスの機内で誕生パーティでもやってろ、飛行機落ちて死ね! とか、そんな風に労働者を分断する奴隷の鎖自慢的発想はいけないと思ったのでした。おしまい。