病が人生史を書きかえること

 一昨年の秋のころの日記だ。

 先々週の土曜日に発症した咳がしつこい。咳が止まらなくて困る、ということもないのだが、睡眠を阻害する。眠りに入りにくいし、明け方、呼吸が止まって苦しくなって目が醒める。それを何度も繰り返す。気づくと、いびきのような、そうでないような「あ゛ーーーー」という声を出していることもある。痰がすんなりでなくて、息が詰まるような、そんな感じ。市販の風邪薬や去痰薬では歯が立たないのか……?

ふれあいを求めてホスピタルへ行く - 関内関外日記(跡地)

 睡眠時無呼吸症候群の可能性が高いとなった今から読み返すと、「睡眠時無呼吸+強力な咳と痰=息できない」なのではないかと思える。睡眠時無呼吸はだいたい寝ている間、水に潜って息を止めていて、体の方が「もうアカン!」となったら、水面に顔を出して「ブハー」と息を吸うという感じであって、その「ブハー」によってぐっすり深い眠りに落ちることができないというもの。それで、上の場合は、息を吸おうと、「ブハー」やろうとしたら、それすら阻害されていた、ということではないか。
 ……正直、わからん。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。でも、なんとなくそうかもしれない。と、このところ、あれもこれも睡眠時無呼吸症候群のせいではなかったのか? などと思えてきて困る。べつに困りはしないが、なんとなくそういう心の働きがある。この集中力の欠如、頻尿、居眠り、無能、やる気のなさ、だるさ、悲観的なものの見方、抑鬱傾向……。
 と、性格とかに踏み込んでいくと、もしかしたら、今、ここにこうある俺というものが、病によって形づくられているような気もしてくるわけだ。そして、ひょっとして、睡眠時無呼吸症候群を抑えることができれば、夜に本来の睡眠をとれるようになれば、俺の能力や性格が改善されるのかもしれない。
 でも、それってどうよ? と、思わなくもない。いちおう、ここにこうしている俺という人格、俺の性格、俺というものが、病ひとつ、あるいは病を改善する機械ひとつで変わってしまう。そのあたりだ。これは、たとえば心の病と抗うつ剤向精神薬の方がしっくりくるケースかもしれん。なにか、錠剤ひとつで今の俺が否定されてしまうのか、というような。
 と、それほどこの自我とか魂とかにこだわりもなく、だいたい心なんて化学物質の分泌具合だろ? とか思ってしまう俺も、ちらりと思ってしまうところがある。心の病にどこかほかの病気と違うところがあるとすれば、このようなところではないかなどとも思う。でも、俺は平気で自分の心を薬理的にハックするし、まあよくわからない。

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