政治の勉強をした人が国民の代表なの? 〜高橋尚子の政治観にちょっとなんかしっくりこねぇ〜

 まずはじめに言っておくけど、俺はランナー高橋尚子が好きだった。いや、べつに陸上ファンじゃねえよ、大大会しか見ないミーハーだ。それだけれども、ヌデレバ姉さんのつぎにQちゃんが好きだと言いたい。

 競走生活の晩年は下り坂だったが、実にすばらしいアスリートだったと思う。ぜひ、この言葉を贈らせていただきたい。あの、ちょっと、ちょっというか、ものすごく、ものすごく抵抗が、恥ずかしくて死にそうな、陳腐な、心にもない、いや、少しはあるから言う、あえて言う、使う、そこまで自意識過剰にならなくてもいいと思うけど、それでも、こう記そう、か、っか、かかん、感、感動をありがとう、うわ、ギャー、これは思った以上に、こ、こっぱずかしい、よくテレビでは、平気で、バンバンと、言える! ……ああ、疲れた。

http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20081028/p4

 ……。
 それで、その高橋尚子さんの、今度の参院選に関する発言だ。

。関係者は「今回も話はありました。ただ、政治の勉強をした人が国民の代表になるべきですし、以前からお断りしていますから」と出馬を断ったことを明かした。

 どうよ? どう思う? 正直、俺は正しいと思う。たぶん正しい物言いだし、かっこいい態度だと思うぜ。
 でも、でもだ、なんかどっかひっかかるんだ。いいのかそれで? それ全肯定しちゃっていいのって?
 あと、関係ないけど、俺は谷亮子も好きな柔道家なので。

谷亮子には漫画・アニメ的な活躍を今後も期待したい。そう、リアル『YAWARA!』。しかし、主人公の方じゃなくて、猪熊滋悟郎。今後いつかは肉体のポテンシャルは下がってくるだろうが、逆に道はさらに極まる。どんな強力な攻撃をも受け流す。
……ってそれじゃ刃牙の渋川剛気やら郭海皇か。

次は「おばあちゃんでも金」を! - 関内関外日記(跡地)

 まあ、こんなわけで、谷亮子が政治家になろうがなんだろうが、年寄りになっても競技で君臨してたら超おもしろいと思うんだけど、どうだろうか。これは今回関係ない。

どこがひっかかるのか


 そんで、どこが引っかかるかといえば、「政治の勉強をした人が国民の代表になるべきです」ってところだ。ここんところに賛同、賞賛というところ。もちろん、わけのわからん候補がたくさん出てきて、中畑清の打順をどうしていいかわからんような現状において、こいつは光る発言だ。
 なんだけど。なんだけど、なんかそういうもんなのか? まあ、そういうもんだし。そりゃ、俺だってほかの要素があんまりかわらない候補者が二人いたとして、ひとりは「愛読書は『小説吉田学校』の劇画版です」って言って、もうひとりが「愛読書は『ストライクウィッチーズ―スオムスいらん子中隊』シリーズです」っていうんなら、そりゃどっちとも仲良くできそうではあるけれども、それが選挙だったら前者を選ぶわって。
 まあね、そうじゃないにせよ、なんかなんとかチルドレンとか呼ばれる絶対可憐な一年生議員がいたとしても、そいつが弁護士資格持ってるとか、キャリア官僚あがりだったりとか、それだったらまあなんか働けそう、という気はするんよ。
 なんつーか、なんとか太蔵みたいな、あるいはどっかの商店街のおっさんとか、名簿に名前乗せたら当選した、みたいな、そんな話があるじゃん。そのたびに、「ここは一般庶民の目線で」とか、そんなふうにいわれるけど、べつに「家政婦は見た」じゃあるまいて、贈収賄の現場にうっかり出くわすとか、それを国民に公表してヒーローにとか、そんな話ないわけじゃん。政治家がなんか公にできないことしようとしたら、まず隠れてやるし、あるいは人目の隙じゃなくて法律の隙を突くわけじゃん。それに、政治のもっと大きな問題は、たぶんあんまり可視化しがたい構造とかシステムとかじゃねえのって。

 それでもう、たとえば現代社会、現代ってのはなんかまあこの二十一世紀だったりするんだけれども、そう簡単じゃねえよ、たぶん。いろいろ、こう複雑で、複雑極まりなくて、大岡裁きしようにも、ガキの両手両足さらには出っぱってるすべての部位をものすごい数の人間が引っ張ってるうえに、そのそれぞれの引っぱってるやつの各部位を同じ数だけの人間が引っぱってるような、そんな感じじゃん。ええと、なんかもっとわかりやすくいえば、三方一両損にしようとしたら、三の十五乗方五万ポンド損みたいな。ああ、ええと、その、遠山の金さんが刺青見せたら教育上よくないからモザイクが入るけど、金さん的にも刺青という自己表現やそれを公表する自由もあるんじゃないの? みたいな。
 というわけで、ものっそい入り組んで、相互に作用していて、たとえば、経済発展と環境問題をどう両立させるか、みたいな(最初からこのたとえでいいじゃん)。それってもう、それぞれについてそびえ立つでかいクソみたいな難題で、函谷関もものならずってもんでしょ。そうすると、なんかこの、禅僧が将軍に公案ひとつ出して悟らせて蒙古撃退みたいなわけにいかない。そんな歴史エピソードあったかどうかしらねえけど。
 というわけで、やっぱりその、政治の勉強をした人が国民の代表になるべきです。もちろん、あれもこれものスーパーマンってのはいまどき無理やし、タケシバオーの時代ではない。でも、たとえば、雨の日の中山マイルでもショウワモダンと好勝負できます、みたいな、そういう一芸があるべきやと思う。それはまあ、政治に関わる分野についての一芸、で。もう、インテリだかテクノクラートだかしか国政に議員として関わるんじゃない!
 でも、それでいいの?

雑民のゆめ

 はい、もうここからは「私が当選したら、目安箱を置いて国民の声を反映させます!」とか言っちゃう泡沫候補の演説レベル。でも、俺はそんなレベルの人間だし、これがこの国の三十代高卒低収入、睡眠時無呼吸症候群の疑いの強いおっさんのサンプルってことなんだ。
 で、俺は前回の都知事選の政見放送を見て、こんなことを書いた。

正直、私は早朝のハイも手伝って、内臓がねじれるくらい笑いそうになりもしました。しかし、私は彼らをあざ笑うわけではありません。皆口をそろえて都民の声を聞きたいという。しがらみのない政治をしたいという。普通の人の政治をしたいという。その思いは共通していることでしょう。我々の多くが日頃感じていることでしょう。もしも私やあなたがあの場に引き出されたら、やっぱり目安箱的なことを言うくらいしかないかもしれません。彼らは、圧倒的に間違っているかもしれない。けれども、そこには‘かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂’の精神がある。俺はそう思う。分別の世界で否定され、否定しきれないものがある(人もいる)。そういうワンランク上のおっさんの中から選ばれる、さらにハイグレードなおっさんは、そこらあたりの何ものかをぜひ汲んでもらいたい。

ワンランク上のおっさんは政見放送で自分の政策をアピールして東京都知事を目指す! - 関内関外日記(跡地)

 まあ、言いたいことはここにも書いてあるんだけど、そこは半分。これは精神論、心意気みてえなところ。それも大事。で、なんつーか、あと半分というか、そこんところでさ。
 なんだろう、政治ってのは、国会ってのは、政治とか法律の勉強した政治とか法律の代表者でいいのかよ、みてえな。なんかもっと、こう、いろんな職業、職能、あるいは属性の代表者みてえのが集まってさ……。

……国会議員は各地域から代表が選ばれて集まる。その地域別に何の意味があるのか。北の声もあれば南の主張もある。しかし、投票のための便宜的な区分けにすぎないのではないか。これで本当に国民の代表が選ばれているのだろうか。
 族議員というのがおって、非難の矢面である。しかし、それら議員を後押しするところの族は、それもまた日本人の有権者であり、日本人の声に他ならぬ。自らの職業の発展を望むのは自然な話である。その声は声として提出して、他の族の意見とはかって多数決をとるのが民主主義ではないのか。国会には地区の代表でなしに、農家の代表、漁業の代表、建築業の代表、飲食店の代表、運送業界の代表、スポーツ選手の代表、警察官の代表、お笑い芸人の代表……などなど、各職種・職業・職能の代表が集まった方がすっきりするのではないか。フランス革命時の三部会をさらに細分化したものである。
 ……などと政治の勉強をしたことのない俺は思いついたが、幼稚な意見だろうか。

PDF注意→http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2005/pdf/050520.pdf

 検索すると経済同友会による我が国二院制改革についての提言が出てきた。経済同友会がどう(略)知らない。しかし、高卒の俺以上の教育を受け、知識見識のある方々の提言であることは疑いない。その中の参院改革の項で、「職能代表の院」というアイディアは提出されている(p.18)のである。むろん、否定されてはいる。が、よかった、たたき台の発想くらいにはなるのだ。

 して、否定される理由は。

例えば、「大企業経営者代表、自営業者代表、労働者代表、文芸界代表」など、職能別に選出された代表者で構成するという案。だが、現代の日本で、こうした同じ職能の人々を網羅し、代表できる団体があるのか。公正・客観的な推薦・任命基準の設定は困難で、行ったとしても団体の利益代表と化してしまう懸念がある。またそもそも日本は、そういう職業固定的な社会なのかどうかという疑問もある。

 なるほど、上の例は職能別、横割りだが、網羅し、代表するという区分けをするのは難しい。農産物の運送をしているとして、農業なのか運送なのか。はっきりと言える業種もあるかもしれないが、むしろこの複雑に連携・連動する社会では難しいように思える。個人個人にしても、都知事の息子で天気業界にも属しているが、練り物業界の顔である、などというケースは稀ではない。
 というわけで、やはりいろいろの網目が混じり合ったり集まったりするところで政党というものがあるのだなあ、というところでいいのだろうかよくわからない。でも、参院はなんか別の選び方するのは面白いと思った。

大日本八百万部会 - 関内関外日記(跡地)

 と、なんか残り半分も昔書いてたからもういいや。
 いや、しかしね、なんかそういう、こう、谷亮子なり高橋尚子なりのアスリートとしての経験みたいなものや、それを取り巻く環境があったりしてさ。たとえばなんかこう、マラソン代表高橋尚子とかそういうさ。それで、やっぱり短距離走者の世界は別だっていうなら、それも出てきて、あるいは、競技者としてはぱっとしなかったやつも出てきていいし、「俺は歩くのが好きだ」ってやつがいるならそれも出てくる。「移動はつねに五体投地です」ってやつがいたら、その代表も呼ぼう。いろんな代表を呼ぼう、ょゎぃゃっ、っょぃゃっ、ぁゃιぃゃっ、ゅぃぃっ、ぉゃっ、ぃゎι、みんなそろって、それでいいんだ。

でさ、それに俺思うんだけどさ、「おとなしく受け身で自分で切り開くタイプではなく」ってさ、そういう奴も政治家に居ていいんじゃねえのって。農業の代表います、女性の代表います、障害者の代表います、スポーツマンの代表います、芸能界の代表います、同性愛者の代表います、いろんな代表(自称)が国会にいますけれども、やっぱり、みなもう、学級委員とかいったら手ぇあげて立候補しちゃうような奴らじゃん。こう、後ろ向きで人間嫌いのやつの代表ってのはいねえんじゃねえのって。口べた、人見知り、内向的。月曜の夜の伊集院光のラジオ聞いて喜んでるようなやつ。そういうやつ、スクールカーストの下の方にいて、なに? 非コミュ? とかそういうの? そういう奴はさ、日本には、いや、世界には少なからずいるわけでさ、そういうのの代表もさ、なんか政治家になれよって。

いいからおまえ政治やれよ、やりなおせよ - 関内関外日記(跡地)

 なあ、そんな雑多な人間の雑多な国会。ああ、雑民党ってのはいい響きだ。もちろん、東郷健だって国会にいるんだ。志茂田景樹だって、内田裕也だっている! それで、そんな国会とか政治とか権力全部が気に入らないやつは、国会の外、どっか雑踏の中、地下の部屋で四季協会でも炭焼党でも結成して、武力による政権奪取と少数独裁を夢見てもいいし、どっちも興味のないやつは部屋で寝てても、丘の上で寝ててもいい。そんなのがいいんだ。くそったれ、望むのは自由の自由、ただそれだけだ。

 しょうもない制度、それなりの制度なら、なんつーのか、しょうもない人間、わけのわからん人間が、投票しようともしまいとも、べつにしょうもねえんだから関係ないだろ、というか。あるいは、俺の中で、民主主義というか、人間というものに対して最大限にポジティブなあたりを汲み出して述べると、こうなる。「民主主義がすばらしい制度であるならば、民主主義に興味のない人間、反対の人間すらその中に包括しているだろう」と。民主主義がナイスであればあるほど、誰もかれもが自由にしていて、それで調和するはずなんだ、と。民主主義の民とは、どこのどいつまでを指して民なのかっていえば、それが民主主義であるならば、反対者も愚者もテロリストも全部「民」じゃなきゃだめだ、みたいな。

民主主義の民とは、どこのどいつまでを指して民なのか - 関内関外日記(跡地)

 みたいな。それぞれ代表を出して政治をしましょうってのが、そんなに絶対的なものなのか? みたいな。なんで人間そんなのしなきゃいけねえんだ。機械を作っては機械の奴隷になり、組織を作っては組織の奴隷になる。そんなんばっかりで日が暮れて、三千年の仮寝して、五十六億七千万年後を待つみたいな、そんなんでもいいの?
 いいんだよ、べつに、どうでも!
 どっちでもいいんだ、好きにやれ、好きなようになれ。みんな勝手に踊ってしまえ!

 僕らは今の音頭取りだけが嫌いなのじゃない。今のその犬だけがいやなのじゃない。音頭取りそのもの、犬そのものがいやなんだ。そして、一切そんなものはなしに、みんなが勝手に躍って行きたいんだ。そしてみんなのその勝手が、ひとりでに、うまく調和するようになりたいんだ。―大杉栄

 ……なんで俺はこうなんだろう?

「それじゃあ君は、逆に市民生活を恐れていたんだ。君は弱いんだ。躰も弱かった。君は幼時から周りにあるもの全てを恐れた。恐怖を克服する最短距離の方法はね、逃走することだ。君は逃げた。そしてその事実に居直った。あとは一貫している。反社会、破壊、獄内反抗、異端者がする文学と。市民社会に全く適応できない。病気なんだよ。根本的にずれてる。Xも君もパラノイアなんだ」
見沢知廉『調律の帝国』

 さあ、しらねえよ。もう飽きたから、酒飲んで寝る。浅い浅い眠りにつく。そしてまた、くだらない朝がくる。それだけだ。まったく。

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