自殺の国に生きる若い君たちへ

 昨年の自殺者は前年を596人上回り、1978年に統計を取り始めてから5番目に多く、12年連続で3万人超となった。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100513-OYT1T00430.htm

 こんにちは、みなさん。私は今年で31歳になる、一応は、この国の成人男性です。みなさんから見ればけっこうなおじさんかもしれませんが、私としてはまだまだ若いようにも思っています。そんな私がみなさんに伝えたいことがあって、ここでこうして課外授業をはじめようと思います。
 それにしてもみなさん、よくもまあろくでもない時代に生まれてきたものですね。まったくこのろくでもない世界の、しょうもない時代に生まれてきた。
 なるほど、ある人は「子供はこの国の宝だ」だとかなんだとか言うでしょう。しかしみなさん、少子化対策なんてものが、なんで行われているかわかりますか? この国に労働力が足りなくなった、消費者が足りなくなった、そんな理由です。
 とくに、労働力、労働力といえば聞こえはいいが、もう働けなくなった、君たちよりマシな時代を生きた老人たちのために金を稼ぎ、老人たちの下の世話をするための奴隷、機械、そのために生み出されたのが君たちです。
 そんなことはない? 大人たちが若い力に、新しい考え方に期待している? バカを言ってはいけません。なるほど、若い人の中から、新しい発想が出てくることもある。しかし、そんなのはいつの時代でもそうだし、そんな風になれるのは、ごくごく一握りの一握りだ。
 だいたい世の中には、自分でものを考え、なにか行動できる人間など、百人にひとり、いや、千人にひとりいればいい方です。まず、この教室にいる君たちの中に、「自分はそうなれるかも」と思っている人がいたら、それは間違いです。
 そもそも、大人たちが若い君たちに期待するのは、君たちのためではない。君たちに望まれるのは、単純な労働機械たることであり、阿呆な消費者たることであり、自分にではとうてい叶えられぬ高望みの押し付ける対象たることだ。また、君らをだしにして、自分たちの食い扶持を少しでも増やそうとする、自分の意見を通そうとする、そんなものでしかない。
 もう、気づいたでしょうか。君らが放り込まれたこの状況というのは、沈みかけた船で救命艇を奪い合う、まさにそんなときなのです。あるいは、大飢饉におそわれたり、遭難したりして、食料が底をつき、いったい誰が先に死んで誰がその死肉を食うか、また、いったい誰と誰が組んで誰を殺しその肉を食うか、そんな状況なのです。君らに利用価値があるうちはいくらかの残飯を与えられるが、役に立たなければ潰されるだけです。
 ならば役に立つよう努力しよう? けっこう、勝手にすればよろしい。しかし、かつてであれば十分に生きる価値を与えられたであろう能力や努力では、とうていまともな居場所などえられません。椅子取りゲームを思い浮かべればわかるでしょう。まず最初にどんくさい友だちが弾き出されるけれど、最後にはそうとうに運動のできる、冴えた友だちでも席を失う。ところで、君はそうとうに運動ができて、冴えている人間だろうか。
 そういうわけで、君にはもう惨めな奴隷として生きるしか道は残されていない。なんの希望もない、つねに不安に怯えるクソ地獄だ。さらには、そんな場所からもさらに滑り落ちたら、今度は本当に路上です。そんなのがごめんだというなら、死ぬしかない。
 さて、自殺はどうだろう。みんな、考えてみてください。そう、だいたい自殺はよくないという。けれど、どうしてだろうか、よくわからない。そうです、自殺批判などというものは、いわゆる「生存厨」の「奴隷の鎖自慢」でしかないのです。「おれも苦しくて生きているんだから、お前も生きろ。死ぬのはずるいぞ」と言ってるだけだ。有給休暇を取りたければとればいいし、死にたければ死ねばいい。
 はて、そんなことをアジテーションしている私が生きていることがおかしいですか? 冗談じゃない、死ぬのは怖いに決まってるし、まだ私は観客席にしがみついているんだ。まだ死ぬには早いんだ。俺が死ななきゃいけないなんてのはまったくおかしい。
 まったく、はっきりさせておきますが、私には悪意しかない。君たちに、この地獄の同胞としての気持ちなどいだいていない。もちろん、自分と同世代の人間に対しても、ささいなことで妬み、嫉み、憎悪し、上の世代については言うまでもない。そんな私は、できるだけおまえらの不幸が見たいのです。死んだらたぶん見られないんじゃないのかな。
 とうぜん、同時に私も憎まれている。上の世代からは、もっと働いて税金をおさめろと思われているだろうし、同世代からは無能のくせに仕事にありついていることを憎まれている。下の世代からは将来の、今現在のお荷物であり、この現況を作り上げた戦犯とみなされている。いつ私が殺されるのかもわからない。
 また、金持ちからは「このクズが自分や家族に害を及ぼさなければそれでいい」とだけ思われているだろうし、私より貧乏な人からは、貧困の人からは私の富にすら殺意を抱かれている。まったくこの世は地獄です。地獄なのだから、高級外車に呪いの念を放てば、一回くらいは目の前で面白い死に方をしてくれていいと思うのですが、そんなこともおこらない。面白くもない地獄だ。
 さて、ここまで来たらうすうす気づいているだろうけれども、この話にどんでん返しはありません。とたんにいい話になって終わるようなことはない。そんなのは、人生の説教をしたりするしたり顔の人気ブログの話です。ここにいるのは、ひとりの宅間守みたいなおっさんです。それがまた、たまに襲われる憂鬱、いや、つねに襲われている憂鬱と、アルコールを通じて対話して出てきたのがこのクソの塊です。これがクソの魂です。
 そしてこれを反面教師にしようとも、それは無駄なあがきだ。おいガキ、お前にその能力はないし、能力がなくても生きていけるだけの家に生まれたのなら、俺が理不尽でそれを奪ってやろう。奪われるように呪いをかけてやろう。ホームレスを襲う理由なんてない、金持ちを、したり顔で説教する権力者を、インテリを、襲うんだ。
 べつに呼びかけているわけじゃない。やりたいやつは勝手にやるだろうし、もうとっくにやってるやつもいるだろう。俺と同じような魂しか持っていないやつ、そんなやつを俺は憎みはしないが、仲間だとも思わない。
 そうだ、俺はまだそんなことしない。まだ大丈夫なんだ、大丈夫といってくれ。俺には、俺だけには切符が残されているはずなんだ。生きられる切符だ。そのために俺は努力している、毎週、ちょっとずつTOTO BIGを買っている。来週か、その次の週には、俺には6億円が振込まれて、俺は逃げられるんだ。無憂の世界へ、真っ白な、安心できる、俺だけの、本来の俺があるべき世界へ……。