第77回日本ダービー予想


 ダービーの話をしよう。
 ダービーは特別なレースだ。
 なぜ特別なのか? と問われれば、ダービーは特別だからだと同語反復するよりない。
 そもそも競馬の価値はそのような同語反復でしか語れない。競馬をするために競馬をする。競馬があるために競馬がある。
 競馬ではダービーが特別だからダービーは特別なのだ。特別な思いが集まるのがダービーなのだ。
 松田国英藤沢和雄では、ダービーに対するアプローチが違うように見える。

 競馬に答えはない。しかし、答えを出し続けなくてはいけない。馬券を買うこと、鞍上から馬を導くこと、馬を育てること。
 ことダービーに関しては、松田国英がより正答らしい答えを出してきた。しかし、同時に馬の競走生活を引き換えにしている面も否めない。それに不満を抱くファンもいる、批判もある。ただ、ダービーを二回勝たせてきたというの事実である。
 俺は、ダービーを勝つには、ときに魂を食い破るような、後先を考えぬ渾身の一撃が必要のように思う。最高に特別なものに対しては、最高に特別なことをせねばならんというような、その悲壮と栄光に憧れる。そこに極端がなくてはならない。
 対して、藤沢和雄の考え方は違う。いや、真意などわからん。わからんが、やはりなにか違うように見える。そこに物足りなさがある。
 とはいえ、この調教師も解答を出し続けてきた人間だ。調教師の中の調教師、といえる人間のひとりだ。その肝の座り方、信念、思想、これもまたある種の極端だ。
 マツクニがNHKマイルカップから日本ダービーというルートにこだわるなら、青葉賞からのローテで勝つ、これもひとつのこだわりである。
 いや、週刊ギャロップのインタビューによれば「青葉賞→ダービーのローテはこだわりでなく、やむなく」とある。シンボリクリスエスも、ゼンノロブロイも、デビューの遅さや完成度から、皐月賞に間に合わなかったというのだ。
 しかし、その判断こそがこだわりだ。シンボリクリスエスゼンノロブロイ級の馬であれば、少しデビューを早め、少し早く重賞を使ったところで、結果を出した可能性は高いだろう。しかし、やらないんだ。ヤマトダマシイだ。
 そして、ペルーサ
 俺は、ペルーサシンボリクリスエスゼンノロブロイ級と見ている。その前提で考える。はたして、シンボリクリスエスゼンノロブロイが三回ダービーを走って、一回も勝てないことがあるだろうか? 一回くらいは勝つだろう。
 むろん、一回のダービーは一回のダービー、替えの効かぬただこれっきりのレース。しかし、ここにおいてマツクニの信念の一頭であるダノンシャンティがレース前にリタイアしたという流れもある。そんな流れはオカルトの領域。と、わかった上で、なおかつ藤沢和雄の順番が来たのだと、そう信じよう。
 第77回日本ダービー、俺の本命はペルーサ。繰り返す、本命はペルーサ