サッカーの神の子からサッカーを取り上げてはならない

 総理大臣は中曽根、大統領はレーガン、テニスはマッケンローでサッカーはマラドーナ。七十年代の最後の年に生まれて私にとって、幼少の世界はこのようにできていた。サッカーはマラドーナ。まだ日本にJリーグなどなく、三浦知良の名も知られていなかった。
 はたして、マラドーナがサッカーでどのようなプレイをしたかなんて知らない。どんな記録を残しているのかなんて知らない。そもそも彼らがどこの国の人間かも知らない。ただ、サッカーはマラドーナ。たしかに、幼い私にまで彼らの名前は届いた。その力は計り知れないように思う。
 その後もマラドーナのことはよく知らなかった。サッカーに興味がなかった。ただ、引退後にトラブルを起こす人間としてたまに見聞きするだけだった。ものすごく太ったり、薬物に溺れたりしているらしい。なにやらわからないが、マイケル・ジャクソンと同じ箱に入れていたような気がする。その天才ではなく、知名度とスキャンダルの人、という箱。それぞれのファンには失礼な話だが、そのようなものだった。
 その、マラドーナ南アフリカのワールドカップ、代表監督だ。よくわからないが、ずいぶん痩せて、どうもかっこよくなっている。「監督がつとまるのか?」という懸念もあったようだが、今のところアルゼンチンは勝ち進んでいる。なんとなく、自分の中で幼稚園のころよくわからないままに刻み込まれた「マラドーナ」が帰ってきたような気がしている。前回大会ちょっと前のテベス好きからいつの間にかアルゼンチンファンになった自分はうれしい。

 つまり、マラドーナはあまり経験のないDFをサイドバックに起用しようとしているのだ。これまで数々のサイドバックを試してきたが、最終的にはセンターバック4人で守備を強固なものにしようとしているらしい。だが、これでは、敵陣のサイドをえぐることなど期待できない。

http://southafrica2010.yahoo.co.jp/news/cdetail/201005200006-spnavi

 そのマラドーナの戦術、あるいは戦略。どうも、アルゼンチン人にも、評論家にも不安を抱かせるものだったらしい。ただ、今のところ見るに、素人から見るに、「べつにサイドバックが敵陣をえぐる必要なんてねえんじゃねえの?」というように見える。屈強なディフェンダーは基本的に守備をしておればよろしい。リケルメのような司令塔はいらないし、ベロンもつねに必要なわけでもない。ともかく、メッシにボールを持たせればいいし、自由に動き回ってもらえればいい。それにテベスが絡んで、気づいたらイグアインが決めた、みたいな。
 わからんが。ワールドカップの名鑑みたいな本では、ベニテスという人が「南アフリカではバルサのメッシが見られるだろう」というようなことを言ってた。バルサでどんなことをしているか知らないが、ひょっとしたら、かなり自由に、メッシ中心に成り立っている点で、これなのだろうか。予選で苦戦していたというが、ようやくそれが本番で機能しだしたのだろうか。
 で、この狙いが、マラドーナのアイディアなのかなんなのかはわからん。わからんが、やはり監督をしているのはマラドーナだ。そこに、極東の、ワールドカップもなにも知らない幼稚園児にまでその名を轟かせた、サッカー世界の神の見通しがあったらいいな。そう思う。
 それで、そんなサッカーの神の子からサッカーを取り上げてはいけなかったんだ。あの太った姿は祟り神そのものもだ。『もののけ姫』に出てくるようなやつだ。強大な神は、祟り神になっても強力だ。だから、マラドーナにはサッカーを。それに、ほかの神々と口喧嘩したりするのもなんだか楽しいじゃないか。まったく。