名作だった『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』

 映画やアニメの話を読んでいると、ちらほら目に入って来るタイトル。そういったものを「食わず嫌い」というか、「食わず好き」というか、ともかく放っておくのはやめて、できるだけ見ていこう、読んでいこう(『虐殺器官』もそうなんだけど)というのがこの秋の目標。というわけで、観たのだ。
 で、たしかに、名作だったのではないかと思える。いや、名作なのだろう。だが、俺の心には響かなかった。その理由は明確だ。要約すると、たとえば次の2chのまとめ記事のタイトルがいいだろう。

 つきることのない俺の下から目線、これである。結婚、子供が二人、マイホーム、マイカー、飼い犬、これである。これに愕然とする。この映画中で「平凡でつまらないかもしれないが」というような前提で語られる人生、これに乗れない。面でも線でもつながっていないところに自分がいて、共感がない。びっくりする。足はくさくなっていくかもしれないが。
 俺だって昔からそんなふうだったわけではない。たとえば、漫画『クレヨンしんちゃん』がブームだったころ、我が家にも当然のようにそれはあったし、それを読んでいた。そのとき、俺は間違っても野原ひろしを勝ち組だとは思わなかっただろう。そんな発想まったくなかっただろう。むしろ、いつかは結婚して、家庭を持って、などと思っていた。確信していた。それが、ごらんの有様だ。まったく。
 そんなわけで、ひろしが肯定したもの、しんのすけが持つ希望、それらについて非常に温度差を感じて、もうどうしようもない。じゃあ、一方で、昭和回帰を夢見る悪役たちに共感するのか? というと、ノーだ。今よりさらに人間が絡み合わなければならない時代なんてまっぴらだ。ただ、なんとなく働き口があって、それなりに食っていけそうな予感、社会が伸びていく予感があるのはよろしいと思う。べつに、今現在だって、これから俺(一人)が食っていけそうな予感のかけらでもあれば、幸福の世の中だと思うだろう。そうではないわけだが。
 以上のように、「10年前くらいは名作だったのかな」というような印象、これが拭えない。もはや俺にとって、野原一家のようなありようがファンタジー。そうなると役者が足りない。モーレツ! 俺の逆襲だ。というか、ここに書いてきた「俺」の主語を大きく書いてもよかったのだろうが、どうもそれも気乗りしない。まったく俺は俺にうんざりしてしまう。おしまい。