ミッフィー展を(最終日に)

 開催中の浦和競馬に行こうかどうしようか迷っていたところ、横浜そごうで開催中のミッフィー展が最終日であることに気付く。南部杯と浦和のメーンの馬券を仕込んだのち、一人で出かける。ちなみに、知らない人のために紹介すると、これがミッフィーとかその郎党である。

 ミッフィーミッフィーは好きだ。スヌーピーも好きなのである。だが、ディズニーはいけない。あれは受け付けない。理由はよくわからない。
 わからないが、ディック・ブルーナ先生いわく、「デザインや建築の仕事のなにがいいって、ともかくシンプルにしようとすることだよ」(大意)みたいなこと言ってて、そこがいいのかもしれない。ディズニーはシンプルさについてよからぬところがあるかもしれない。最初期のミッキーマウスなどは少し好もしいのだから。
 最初期のミッフィーもいたが、あれはどうも奇妙な別物であって味わいがあった。
 単純なミッフィーの線がどう描かれているかといえば、トレーシングペーパーにラフ→画用紙の上でぐりぐりなぞって溝をつける→筆でペタペタ→以下略だったような気がする。あの輪郭も、目も、ゆっくりじっくり筆でペタペタやんだな。
 それで、やっぱり目が命であって、目の位置が大事であって、「目と目の間が離れすぎているのではないか」となれば、一度仕上げたものもボツにする地獄のブルーナ先生なのである。手書き制作なので、そういったundoの記録が残されいるのがおもしろい。『うさこちゃんとじてんしゃ』の原画には、ブレジネフ、コスイギン、スースロフの横にいたはずのポドゴルヌイが抹消されているのと同じように、消されたおとうさんの痕跡が残っていたのだった。
 展示の最後の方の部屋には、いろいろのアーティストからの55歳誕生日(ミッフィー先生の)おめでとうバースディカードがあった。これも面白かったし、祖父江慎のもののデザインされたグッズなどあればよかったのに。
 そうだ、土産物屋もあって、散財の可能性もあったが色鉛筆だけ買った。ディック・カラーである。いや、大日本インキは関係ない。
 噴水効果知った話かとすぐに地下に逃げ、西口五番街から東急ハンズとらのあな、帰宅。南部杯は大荒れで意味がわからない。いや、あとからはなんとでも言える。馬券はエスポワールシチーからオーローマイスターを2着欄、そこから強弱つけて4点。グランシュヴァリエにはどう考えても手が伸ばせない。