求められない人間のつくられかた

 ここのところ、自分を形成するところの何らかのものについて考えるような機会があって、多くの人間がおそらくは10代のうちに乗り越えてしまっているようなことについてつらつらと考えたりしている。わたしは早生まれなのでだいたい人より10年くらい遅れているように思える。

 たとえば、よくわからないが、このような人が求められているという話について、少なからぬ人が反応しているので、なにかしらこのようなところがあるように思える。
 逆に、求められない人間がどのようなものかというと、ニート的なものを考えてみればよいように思える。

 ここに列挙されているものがニートに直結するフラグかどうかなどということはわからない。わからないが、自らをニート的であると自認する人間がニートとはどのようなものかと考えて述べたものであると言ってもよいだろう。そしてまた、これについても少なからぬ人が反応しているので、ここになにかしらのことがあるように思える。

自分の日記とこのスレを解析してバーナム効果かどうか調べるソフトが欲しい。

  これについて、私はブックマークでこのようにメモをした。バーナム効果がなにかといえば、wikipedia:バーナム効果に書いてあるようなことらしい。むろん、ずいぶん世間におもねって書かれた、虚飾と捏造、妄想ばかりのこの日記を解析したところでなにもわからないだろう。比べる対象のほうも、自分がニート的であると考えているであろう人間が自分の経験をニート的であろうと考えて書いてみただけのことであり、少なからぬ人間に「あるある」と思われている以上は一般的な事柄であるだろうし、それゆえにニートと関係あるかどうかというとわかりはしない。ニートになった人間がそうでない人と同じ体験をしてきただけであるという話しのようにも思える。
 とはいえ、そこに書かれているほとんどの事柄について、やはり「お前は俺か」や「おいやめろ」と感じてしまった以上、自分の中の自分がニート的であろうと思える要素について、世の中の誰かがそう感じているであろうなにかと一致するところがあるとも言えるわけであって、少なくともわたしはわたしをニート的な人間であると思っているし、じっさいに18歳もしくは19歳くらいから22もしくは23、それとも24歳くらいまでほとんど体験の記憶がないくらいのひきこもりであったことを考えるに、そこにはなにかしらのものがありうるように思える。

"俺18〜23歳までの記憶がほとんど無くてあっという間に過ぎた "<俺もそのあたり、自分の経験がなにもないから、代わりに競馬の記憶が詰まってる。急にシバノコトエのこととか思い出す。

はてなブックマーク - ニートやばい。気が付いたらまた1年終わりかけてる。【働くモノニュース : 人生VIP職人ブログwww】

※ようするにこのエントリーは自分の日記の棚卸のようななにかであって、倉庫から出てきた個人的なことがら、他人が読んだらうんざりすることがらが並んでいるだけである。わたしがプリントアウトして医者に持っていく以外の用途はないように思える。

 ただ、幼少期からの教育でニートを作らないためにどうすればいいか自分なりに考えた結論は以下の何点かである。
・子供の前で他人の悪口は言わない。とくに教師や学校の悪口を言わない。餃子の王将くら寿司の悪口すら言わない。
・風邪でもないのに学校を休みたがっても、休ませない。あるいは心療内科かなにかに連れて行く。セロトニンの再取り込みをどうにかする食べ物を飯に混ぜて食わせる。
・イエスもノーも言えないうちに、水泳教室に通わせる。
・自己肯定感がなさそうに見えたら、心療内科かなにかに連れて行く。セロトニンの再取り込みをどうにかする食べ物を飯に混ぜて食わせる。
・背が低いと人格が歪むので、背が伸びるホルモン的ななにかを食べ物に混ぜて食わせる。
 参考にしないほうがいいように思える。

小さい頃からゲームでばかり遊ぶようになる

ただでさえ努力がきらいで、ポケーッと口あけて漫画を読むかファミコンの画面に見入るのが好きな自分(今でもです)にとって、その直感を疑ってまで努力することなどないのです。

だからわたしの中の小学生のしゃれこうべは泣きつづけることをやめない - 関内関外日記(跡地)

いや、俺はたくさんファミコンソフトを持ってるスネオみたいなガキだったが、「東海道五十三次」は無かった。

『堕ちた天使』ザ・ポーグス - 関内関外日記(跡地)

 以下、太字になっている引用は、上記まとめサイトから。今どき、というとまた時代が変わっていてよくわからないのだけれども、1979年生まれの自分の世代にとって、ファミコンで遊ぶことは「デフォ」であったように思える。とはいえ、人から一目おかれ、信頼を勝ち得るような人間はといえば、だいたいつきあい程度にしかファミコンをせず、もっぱらスポーツなどに打ち込んでいたように思える。


習い事やクラブ活動に熱心ではない、続かない、やらない

 そんな連中が、しょうもない友だちだったんだ。俺にはなにかの行事に一生懸命になったこともなかったし、部活に打ち込んだこともなかった。だから、俺にはそういう、雨降りの退屈な連中、冴えない面子、そんなのとつるんでいて、ただそれだけだったんだ。

冴えない時間を一緒に過ごしたのが友だちってもんだよな? /『けいおん!!』第五話「お留守番!」を見て - 関内関外日記(跡地)

 いまではそんなふうにつるんでいた連中の誰一人の連絡先も知らないし、顔も名前も性格もすべてあやふやになってしまっている。また実家から夜逃げ同然でいなくなった自分の居場所を知る人間もいないだろう。それはともかくとして、自分は中高六年間のほとんどを帰宅部として過ごしたのであって、たとえば『けいおん!!』について自分の青春時代と重ねあわせられる人間がいるということにはなんとも言えぬ感情をいだいてしまう。
 それにしても、習い事か。幼稚園から小学生の中盤くらいまでは絵を習っていたが、なんとなくの惰性だった。誰からも絵が上手だとほめられるようになることもなかったし、一向に上手な絵を描けるようになってくる実感もなかった。中学受験用の塾通い(これに関してはどうしても地元の公立中学校に進みたくないという、大きな恐怖があった)をはじめてやめてしまった。ほかにも親からたまに思い出したように「水泳教室に通ってみる?」とか言われたが、未知の集団に入ることへの恐怖から、ともかく拒否した。今思えば、早いうちに水泳教室に通っておけば、人より劣る身体能力についても自信が持てたかもしれないし、中学に入ってカナヅチであることについて恥をかかずに済んだかもしれないとも思える。

家に友達を呼べない家庭環境

 このあたりも思い出したくないことなのだけれども、小学生のうちは当たり前のようにウチに友だちを呼ぶこともあったし(友だちがいる間は。だいたい6年生くらいになると完全に人間関係が破綻していた。これを中高一貫の6年間でほとんど同じように繰り返した)、それでもなんとも思わなかった。が、中学くらいになると、私学であってまわりもよい環境の家の子が多く、急に我が家がみすぼらしく思え、また、母は掃除の苦手な人間であって、父はアル中などで出社拒否してることもあって、とてもじゃないが友人は呼べなくなった。中学で最初に仲良くなれた友人も、うちに遊びに来たがったのでいきなり絶交して、以後6年間会話をしなかったように思える。

勉強机に座っていられない

 これについてはちょうどよい言葉が見つからなかったので今から書くので嘘もいいところなのだけれども、ともかくわたしは自習のできない人間だった。よく、勉強は復習が大切だの、それよりも予習が大切だなどといわれるが、まったくできなかった。する気がほんとうに起こらなかった。人(教師や同級生)の目もないのに、どうして机に向かって勉強などしなくてはいけないのか。いや、していられる人間がありうるのか。ファミコンをしたい、漫画を読みたい、ただひたすらポケーッとしていたい、そればかりだ。
 しかし、宿題はというとこれは別であって、みんなが出しているのに自分だけ出していないというのが怖かった、少数派になるのが怖かった。あるいは、必ず「当てる」算数の先生の授業の前は、親に頼ろうともなんだろうとも、答えを用意しようとした。それが無理なら、ただひたすら怯えていた。わたしは恐怖によってしか駆動しない人間のように思える。

それなりに裕福

 ここに書いてあるように、それなりに裕福な中で生まれたし、育った。とはいえ、その豊かさというのも、なつかしき昭和の多数派「ウチは中の上」そのものだったはずだ。人の家よりファミコンカセットをたくさん買ってもらえる。そのていどのことだ。
 ただ、生々しくニート的な話といえば、「いずれ鎌倉の家と土地を相続できる」という予感はあって、ともかく、少なくとも居場所のようなものがあるという安心感はあったし、相続税が問題で売ることになっても、それなりにお金になるだろうなどと思っていた。これは小学生のわりと早いうちからぼんやり思っていたことだと言いたいが、証せるものはない。それが打ち壊されたときの絶望といえば、だいたい宅間守2秒前であったと思える。

宅間だぜ? それで、まさかそんな精神状態の狂った人間に、「本当の敵は誰か?」とか高説たれてもききはしねえ。目の前に生きることに精いっぱいだからだ。その上憎悪に塗りつぶされている。恐怖に塗りつぶされている。思想や考え方じゃない、まず肉をよこせ、肉だ、肉を食わせろ

派遣村叩きに思う〜肉をやれ、肉をくれ、明日の肉をくれると思わせてくれ〜 - 関内関外日記(跡地)

 とはいえ、その事態に陥らなければ、今ごろニート10年を余裕で突破していたという自信もある。このあたりの事情については、わたしが自分の人生を語るよりも、『闇金ウシジマくん』のほうが真に迫っているように思える。

親が世話焼き

 これについては相半ばするところであって、放任のところと、結局のところ尻拭いしてくれるというところがあって、結局それは放任でもなかった。こういってはなんだけれども、わたしには「なんとかなってくれるだろう」と思わせるところがあるようなのだ。とはいえ、そんな根拠のない自信が許されるほど世の中は楽にできていない。しかしまだ、いざとなれば親を頼ろうというふうに考えている俺は、おおよそ未成熟な人間もどきであると思える。

……いつだったか、俺がニートそのものであったころ、母とめずらしくシリアスな会話をした(おかしな話だが、ともにおしゃべりなのでニートのひきこもりだろうと、会話自体は絶えなかった。変な余裕のある親子もいたものだ)。「あんた、逃げてばっかりで人生どうするの?」。俺は、プレイステーションの野球ゲームをしていた。PSワールドスタジアム。俺がゲームに対してうわのそらになればなるほど、俺の赤ヘル軍団はホームランを打ちまくった。前田が、江藤が、金本が。みるみる二桁得点になった。あのときの俺は、世界中の誰よりもワースタがうまかった。俺はいまでもそう信じている。そして俺のメイン脳は母に対してどう答えたか。適当に茶化したように思う。しかし、内心こんなことを考えた。「逃げて、逃げて、逃げまくればいいじゃないか。ツインターボオールカマーでどうしたか知ってる?」と。

クロスバイク購入への道〜その3〜 - 関内関外日記(跡地)

屁理屈を言うのが大好き

 これはもう、この日記全体を見ればわかるだろう。日常生活の中でも、自分に非がありそうなとき、責任あることを任されそうなとき、頭がフル回転する……いや、頭が回転するより先に言い訳と責任回避が口から出てくる。そのあたりの自分の言葉の軽さと恐怖駆動の強烈さについては、われながら感心すべきものかとすら思える。

プライドは高いけど自信が無い

 これももう、この日記全体を見ればわかるだろう。ともかく成功体験というようなものを受容する何かが欠けている上に、この毎日の中に小さな成功というようなものもそもそも存在するようにも見えず、ともかく自信というものがなんであるのかほとんどわからないようにも思える。

幼稚園の入園初日に泣きわめく

 ほかのこどもたちも幼稚園に行くのはきょうがはじめてのはずなのに、どうしてあんなに屈託なげに愉しそうなのだろうか。かれらのうれしげな一列は女の先生に率いられて未知の野から未知の野へ急ぐ少年探検隊という趣きがあった。
 そのうれしげな列から一人おくれて、しぶしぶついて行く私は、探検隊に捕獲されたたった一人の捕虜のように見えたであろう。
「王子と乞食」P154

 ……自分の場合はどうだったろう。覚えていない。いや、模造記憶というか、伝聞による記憶(それもまた記憶だと作者は述べている)でいえば、俺も激しく抵抗した、泣きわめいた、はずだった。よく弟と対比させられて、「泣いて泣いてたいへんだったんだから」と母に言われたからだ。俺に比べると、弟は多少わんぱくで外向的な面があった。俺はもう、臆病で泣き虫だった。未知を嫌った。たぶん、幼稚園に入る前からだ。

学校なんてなくったってよかったんだ、俺は俺の梯子登るんだ〜『十二の遠景』高橋睦郎を読んで〜 - 関内関外日記(跡地)

 引用の中の引用は高橋睦郎の自伝的小説から。ともかく、いろいろと自分の人間の集団嫌いを思い返していけば、幼稚園に行かなければならなくなったときを思い出す。本当にわたしが幼稚園をどれだけ嫌っていたかは、タイムマシンでもなければわかりはしないのだけれども、いまのわたしがそのように規定するのだ。

 校門を出ると、若葉の匂い、そら豆の花の匂い、苗代の苗の匂い、道の泥の匂い、光と風の匂いが、いちどきにどっと押し寄せた。これこそ、幼年時代の幸福の匂いだった。学校が禁止しているこれらのなつかしい匂いの中に、私は出て来たのだ。なつかしい匂いたちに頬を、耳を、首筋を、膝小僧と脛を愛撫されながら、私は、あの木を倒したことで学校から逃れることができるかも知れないと、意外に浮き浮きしている自分に気づいた。
「王子と乞食」P162

 俺にもなにか、このような、学校以前、いや、幼稚園以前の淡い記憶、情景、いや、そんなものではない、もっと単純な一枚絵のようなものが思い浮かぶ。それは、オオイヌノフグリの花である。幼稚園に入る前のことだ。ぽかぽかと晴れた日だったと思う。母と二人で散歩に出かけた。行き先は近所の青少年広場だった。UFO形のジャングルジムがあったので、UFO公園とも呼ばれていた。では、UFO公園のことだっただろうか。いや、道すがらのような気がする。片瀬山駅から正面の白い道を少し下り、右の階段を降りたあたり、そこで、オオイヌノフグリが咲いていた。ただ、かわいい花が咲いているね、と会話したか何かだった。
 それが、そうだ、幼稚園にはじめて行くとき、思い起こされたのだ。もう、自分は母と離ればなれになってしまうし、幼稚園というものにとらわれてしまうのだと。不思議と、オオイヌノフグリが思い浮かんだのだし、いまだに、オオイヌノフグリをみるたびに、そうとうの幼年時代に引き戻される感覚がある。

 幼稚園に入ったとき、すべてが終わってしまったように思える。

幼少期に失敗も成功も学ばないまま育ってしまう

負けず嫌いというのはものすごく正しすぎます。「負けん気が強い」ではなく「負けず嫌い」。食わず嫌いの方の負けず嫌いで、まず勝負から逃げるというタイプです。

僕の中で算数が死んだ日の話 - 関内関外日記(跡地)

 幼少期にも、思春期にも、おっさんになった今でも、失敗も成功もよくわからない。いや、どう客観的に見ても人生失敗気味であって、さらに失敗する可能性があって、(そこにはインターネットもなにもないところだろうから)このようにいろいろ書き残そうとしているのだけれども、ともかく自分が勝負の土俵に上がった覚えがない。たとえば、受験などは一種の勝負かもしれないけれども、中学受験はといえば、最悪の最悪の場合は公立に進むこともできたし、大学受験については「一年浪人してもいい」というお墨付きがあったので適当にやっていたら、適当にそれなりの合格をしてしまった。就活などというこの世のものとも思えない拷問については、それがはじまるはるか前に大学からドロップアウトしたので華麗にスルー。どこかしら勝負したり、負けたり、恥をかいたりするような経験が必要なような気もするが、そんなものはそれができる人間の言う上から目線だというふうにも思える。

高校でバイトした事がない

 「高校でバイトが禁止されているから」という言い訳がどれだけ救いになったかわからない。知らない集団に参加しなければならないという恐怖というのは非常に大きく、自由になるお金が手に入るなどということなど、それにくらべればちっぽけなことだ。大学に通っていたわずかな期間も「通学に時間がかかる」などといって、バイトから逃げた。「働かなければものも食べられないし、住むところもない、シャワーも浴びられない」というリアルな恐怖に駆り立てられない限り、まったく働く動機など存在しえないように思える。

責任感が無い
最終的には親のせい

 さっき書いたばかり。

将来の夢は普通の仕事に就いて普通に暮らすこと

昔の文集の将来の夢の欄は特に無しだよな

 しかしながら、俺はぼんやりとこう考えていた。「このアル中寸前の人格破綻者でも、一応は結婚して、子供も二人作っている。たぶん、普通に生きていれば、そのように結婚できるようなものなのだろう。そうだ、俺は平凡に生きよう。大学を出て、大きな会社に勤めて、この父のように自分で会社を始めようなどと思うまい」などと。もっとも、そのころは自分の対人コミュニケーション能力の低さとか、自分がチビのままだとか、そんなこと想像だにしていなかったのだけれどもね。

「平凡社」 - 関内関外日記(跡地)

 「普通」というのはなにかが見えにくいのかもしれないけれども、たとえばサザエさんの波平やマスオであり、クレヨンしんちゃんの野原ひろしといっていいかもしれない(ちびまる子ちゃんのヒロシは得体が知れない)。ともかく、普通に生きていけば、と思っていた。会社というところに行けば、お金がもらえるし、家も車も買えるだろうと。問題は、世の中に雑草という草がないように、会社という会社は存在しないということだった。「海山商事」のように得体のしれない会社は存在せず、なにか具体的なことをしているのだ。まったくそれに気付くのが遅かった。いや、早くとも自分に目標が生まれたとも思えない。コレに関しては、ロストジェネレーションも就職氷河期もなにもないかもしれない。自分にはなにもかも元からロストしていたからだと、このあたりは自己責任的にも思える。

 つきることのない俺の下から目線、これである。結婚、子供が二人、マイホーム、マイカー、飼い犬、これである。これに愕然とする。この映画中で「平凡でつまらないかもしれないが」というような前提で語られる人生、これに乗れない。面でも線でもつながっていないところに自分がいて、共感がない。びっくりする。足はくさくなっていくかもしれないが。
 俺だって昔からそんなふうだったわけではない。たとえば、漫画『クレヨンしんちゃん』がブームだったころ、我が家にも当然のようにそれはあったし、それを読んでいた。そのとき、俺は間違っても野原ひろしを勝ち組だとは思わなかっただろう。そんな発想まったくなかっただろう。むしろ、いつかは結婚して、家庭を持って、などと思っていた。確信していた。それが、ごらんの有様だ。まったく。

名作だった『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』 - 関内関外日記(跡地)

完璧主義はガチ

 完璧主義者。完成させる前にこわしたくてしょうがないやつ。なにか、とても自分には為しえないような完璧なもの、理想型、究極の完成が、頭のどこか、いや、頭の斜め上の方にぼんやり光っていて、それと比べて、ああ、俺は、どうしようもないと、思い続けて、こんなゴミの、できそこないの、未完成品を、ほめたって、それはもう、俺には、下手すれば皮肉、ほめ殺し
 幼稚園のころだった。クリスマスのころだったろうか。みんなで、頭にかぶる三角形の帽子をつくる。たんに、絵を描いて、きらきらの星を貼って、模造紙をまるめて、とめて、帽子にするだけの、工作。俺は、いの一番に絵を描いて、星を貼って、まるめはじめた。が、どうしても、円すいの角度が気に入らなかった。理由はわからないが、こんな角度ではいけない、そんなふうに思って、うまく仮留めもできず、気づいてみたら、俺以外のすべての園児は、あたまに帽子をかぶって、教室の外に出ていて、俺一人残されていて、俺は泣き出してしまった。ああ、俺の、理想の、円すい。
 あの円すいを、完成させていたら、俺は、俺の脳は、なにか違うことがあったんだろうか。

ほめられようとも、このいきぐるしさ - 関内関外日記(跡地)

人に嫌われることを過剰に恐れる

 合わせようと思えば合わせられたかもしれない。人間関係というものについて最初からまったく駄目、友だちが一人もできない、というわけではなく、人並みの友人関係を築き、グループを築き、それなりのポジションを得ることもできた。それなりに、人を楽しませることもできたのではないかとも思う。ただ、それがいつしか、苦痛で、面倒になっていって、切られる前に切るという感じで、バチーンと人間関係を遮断してしまう。きっかけは些細なことであっても、その後にずるずると続いていくことを考えると、もう全部あらかた放り出してしまう。

NHKスペシャル「愛美さんが教室に戻れる日」を見たこと - 関内関外日記(跡地)

 このように人間関係の遮断、絶交をしてしまうのも、まったく「人に嫌われる自分」という状況がをひどく恐れるところにある。家族だろうと友人だろうと、嫌われてしまえば一緒にいる価値などないし、それは苦痛のだけのように思える。

J( 'ー`)し 「いいんだよ、○○が行きたくなかったら学校休んで」

俺は紙一重だったな、と思う。小学生のころなど、中学受験の前後、冬休みより長い間、学校に行かなかった。その頃は体がけっこう弱かったというのもあって、受験のために大事を取るという面もあったが、それは俺の中で表向きであって、もう学校というものにうんざりしていた。

NHKスペシャル「愛美さんが教室に戻れる日」を見たこと - 関内関外日記(跡地)

 今思うに、小さなころよく寝こんでいたことが、人格、というか、さまざまなもの・ことへの反応のパターンを形作ったようにも思える。ちやほやされること、過保護への期待、そして、休むことによってみんなが先に進んでしまい、取り返せないという出遅れ感、欠如感。たとえば、小学校で初めて楽譜の読み方を習う日に休んだがために、その後俺はどうしてもあのオタマジャクシが読めず、「ドレミファ」とカタカナがふってないとだめだった

続熱発 - 関内関外日記(跡地)

 平日など家でぼんやりしている以上のことなどこの世に存在していないのだから、学校など行かなくていいに決まっている。もし自分が小さい頃から健康で、風邪で学校を休んだりすることが少なかったらどのような人間になったのかというのはある。体の大きさや強さというのは、幼少期にはそうとうに人格に影響するもののように思えるし、そこで形成されたものをうまく上書き処理しなければ、このような歪んだままの人間になってしまうように思える。
 
 まあ、とどのつまり以下のまとめがぴったりきていて、こんなにぐだぐだと書く必要はなかったように思える。

小中学校時代に、たいして努力してるわけでもないのに成績が良くて調子に乗って進学校行っちゃう
理屈っぽい、プライドが高い、虚栄心が強い、これらの性格のせいであれこれ理由を付けて嫌なことから逃げてばかりいる


 さて、こんな人間というのは、少なくともここに一匹生きていて、人間の顔をして、お前の横にいるかもしれない。以前ならなにかの間違いでうっかり家庭を作るなどというミスを犯し、同じような人間の再生産をすることもあったろうが、このところの経済事情からそういう例も減っていくだろう。いずれは求められる人間同士により求められる人間がよく生産されるようになって、求められない人間は自然に消滅していくだろう。だからこそ、こういう人間がいたということを書き留めておこう。