21世紀にふさわしい自動車の運転装置を考える

 足でブレーキ、アクセルの相反する装置を使わなくてはならない。これが果たしてほんとうに効率的で安全な仕組みなのかどうか。だいたい、自動車とかいう乗り物が、基本的に大昔から変わりなくていいのかとか。せっかくの21世紀なのだし。

 というわけで、俺は馬のようにすればいいと思う。手綱だ。もう、ハンドル切ったところでいったん電気信号に変換されているような装置もあるのだろうし(ドライブ・バイ・ワイヤ)、もうハンドルなんていいんだ。それで、もう、細かいライン取りとかは機械に任せればいい。だいたい右に行きたいとか、左に行きたいとか、そんなを、こうクイクイっとやればいい。やって、乗ってるやつの意図を機械が解釈する。それで、交通の流れや道路の事情、法規に則った上で走る。加速、減速、ブレーキも押したり引いたりだ。高速道路とかは、付属の鞭とか使う。それで、剛腕っぷりを発揮しないとすごいスピード出ない。だから安心。万が一居眠りしても、勝手に路肩によせて、草とか食ってる。え、どういう装置?
 いや、まあしかし、なんかなんだ、たまに自動車にしろ自転車にしろカメラにしろ、「いつまでこの形なんだろう?」と思うことしばしば。たとえば、昔F1を観ていたとき思ったのは「本当にこの形が合理的なのか」というような。もちろん、F1にはレギュレーションがあって、その範囲内での進化なわけだけれども、一般車とか、もっとなんかこう、すごいの出てこいよ、みたいな。ほんとうにこれだけが自動車の形なのか、とか、そんなこと思うんだよな。もちろん、いろいろの突飛な案が浮かんでは消えてきたのだろうし、その中を生きぬいてきた形ではあるのだろうけれども。
 そのあたりで、たとえば「戦車」というものの黎明期の手探りで生まれた奇妙な連中(レベデンコ戦闘車みたいなの)とかすごい好きなんだけれども、それはまた別の趣味だろうか。