言葉のアウトソーシング、ティッシュペーパーの中のもの

先ほど、ATOK月額版を解約し、家中のすべてのPCからアンインストールした。
機能や価格に不満があったわけではない。
ATOKの変換辞書の語彙には、いわゆる不快語・表現などに関する語彙が収録されていない」という事実を知ったためだ。

20年来のパートナーとの別れ

 俺もATOKの愛用者だ。

墓場まで持っていく俺の脳の延長だな。あなた、ことえりでは喋れない。

ATOK御陀佛 - 関内関外日記(跡地)

 とまで書いた。書いたが、今現在そうかというと、そうでもない。iPhoneの変換、Google日本語の変換、ことえりほど馬鹿ではない。さらにいえば、最近のことえりがどうなのかも知らない。案外使えるのかもしれない。流れる水は同じ水に非ず。
 それはそうと、「差別語」や「不快語」について。この増田氏は長い間気づかなかったということだが、俺はといえば使い始めてすぐに気づいた。どんなものを打ち込んでいたというのか。それで、俺がどうしたかといえば、速攻で単語登録を開いて、何らかのポリティカリー・インコレクトとATOKが考える言葉を登録した。それ以外に何があるというのか。
 「まあ、企業が売り出す商品、そんなものだろう」というくらいの意識しかない。意識が低いといわれればそのようなものだろう。「許せん、お別れだ」という気持ちにはならない。むしろ、馴致、調教する余地が残されているということ、カスタマイズできるということ、それで自分色に学習させていく方がおもしろいじゃないか。もし、その余地がなければ、さすがに速攻でアンインストールするだろう。
 それで、だ。「自分のうちこんだローマ字を漢字に変換する」ことは、それ自体そうとうに「他人の思想に基づいて」いることではないかという気もするのだ。あ、ここからはもう、元記事を離れますので。
 なんというのだろうか、ケータイやスマートフォンの予測変換などは顕著だが、彼らのご提案からのチョイスでメールを打ってしまうことがあるだろう。かなりの部分、表現を、思考を、アウトソーシングしている。これより目立たないが、漢字への変換というのも、同じことではないか。極端な例でいえば、漢字撤廃論が存在するように、漢字というもの自体もたぶん多分に思想的なのだ。
 して、俺はこんな風に感じている。

私がときに漢語すら開いてしまうのは、愛すべきATOKGoogle日本語入力へのささやかな抵抗である。それすら、彼らによって動機づけられているわけだが、まったく悪くない。less than a minute ago via TwitBird

 まったく悪くない。いや、良いとか悪いとかではない、のではないかとか。そもそも人間の思考や表現というものが、アウトプットするところのメディア? デバイス? そこに依存せざるを得ないのではないか。喉とか口のあたりで音を出す、石に刻みつける、毛筆で書く、鉛筆で書く、タイプライターに打ち込む、それぞれで、俺の言葉が、考えが、まったく同じだという確証が持てない。
 というか、もっとそもそもの、頭の中のこと。そこでとりとめなく吐き出される、日本語が、どれだけ、俺の心臓の動悸、腹の違和感、頭に血の上る感じ、それらを、表しているというのか。まず、言葉とかいうものに、委ねてしまっている、自分でないなにかに基づかせている、そういうところがある、のではないかという、ような。そもそも、言葉は、IMEみたいなものではないのか、というような。
 このあたりは、なにかしら、おそらくは言語学とか、そのあたりの初歩の領分なのだろうし、なんらかの名づけられた題目があるかもしれない。俺は知らないが。
 俺は知らないが、ただ、俺はつねづね、「言葉というのは吐いた瞬間に嘘になってしまうものだ」という感覚を持っている。書いた瞬間に文章は嘘になる。いや、すぐには死なないかも知れないが、ティッシュペーパーに包まれた精子くらいの時間しかもたない。書かれたものが嘘であると感じた瞬間、俺はすでに違う俺になっている。もう、ティッシュペーパーの中のものについては、興味がない。ブログもツイッターも、空白の入力欄しか興味がない。でも、自慰行為ってのは、ティッシュペーパーの中のものを生み出すためのものではないはずだ。人工授精用に精子(実用文)を提供するならべつだけど。
 まあ、とりとめもなく、俺がATOKやそういったものについて、言葉について感じていることを書いた。「保存する」ボタンを押したら、もうこれはそういうものになる。

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