糸川英夫VS松本零士「人類に未来はあるか―ばら色は何色か―」

 『産報デラックス99の謎 自然科学シリーズ13 SFと宇宙科学 タイムマシン・超宇宙・異次元に挑む』昭和53年6月3日発行。
 俺は産報もサンポウジャーナルもよく知らない。この雑誌、いや、雑誌と言うには立派な作りだ、ムックか? そう、このムックは古本屋で見つけたものだ。
 執筆陣は豪華だ。「電話でセックス」でおなじみの石原藤夫をはじめ、松山俊太郎(澁澤龍彦絡みで名前はよく見ていたが、趣味の手榴弾分解で片手を吹っ飛ばした人だと知らなかった)、横尾忠則山野浩一石ノ森章太郎、その他俺が知らない、豪華な人たち。


 そして、糸川英夫松本零士の対談「人類に未来はあるか―ばら色は何色か―」。ばら色は何色か。フィリップ・Kでないディックで言えばN-715だろう。
 隼と、鍾馗の糸川博士。戦後は、日本ロケット開発の父となった。晩年は、「平成教育委員会」に出ていたらしい。まったく記憶にない。楽器、占星術、ひょっとしたら、そのころの同時代の科学者から見たら「糸川英夫? 過去に立派な業績はあるけれど……」と、寂しく笑われる存在だったのだろうか。よくわからない。ただ、今は一式戦闘機でない「はやぶさ」のイトカワ。それは確かな話だ。
 その糸川が昭和53年、俺が生まれる1年前に未来をどう見ていたのか。

 エネルギー問題だけとり出すと科学技術がどんどん進むので、ばら色の未来ということなんですが、しかしばら色といってもなに色か。必ずしもばら色ではない。灰色だという意見もある。その理由は人口増ですね、ふつう。ぼくはね、世の中の意見に逆らうんですが、あんまりふえないと思うね。悲観しなくちゃいならないほどふえない。

 エネルギー問題がばら色というのは、海水から重水素をどうにかして核融合でばら色ということらしい。今のところ、そういう話がなくなったというわけではないようで、むしろ海藻から石油を作るとかいう話のほうが現実的だろうか。日本は資源輸入国でなく、輸出国になりますよ、などという。いつの時代も日本人は。
 して、人口増の話。そう、俺が小さいころ聞かされていたのは、狭いところでは日本の都会の人口増、広くは地球の人口増。こればかりだった。少子化という話はなかったのだ。

 いまだってアメリカみたいな先進国は赤ん坊はほとんど生まれない。というのは独身主義の人がふえちゃって結婚しないんですから。結婚しないけど、童貞と処女というわけじゃなくて同棲はするんです。同棲する人はみんな子どもをつくらないからね。だからアメリカもいま人口増加は2.0を割りそうなんです。二人で2.0を割るってことは人口が減るということなんだ。日本だって、結婚する人に「あなた何人子どもをつくりますか」って言ったら、まあ一人か二人と。十二人産むなんて言う人はまずいないでしょうね。

 さて、人口の、合計特殊出生率とかいうもののグラフなど見るとどうだろうか、アメリカについて。いや、俺はグラフの見方など知らないのだった。このあと、博士は子供同士の殺人や親の子殺しなどは、地球規模での人口調節機能などとおっしゃる。そうだったのか!

 まあどうでもいい、俺が一番感銘を受けたのは次の発言だ。

 雑談風になりますけれど、未来ということに関して、いまでも自動車の排気ガスを少なくしようという選択があるけれど、もう一つの選択は、排気ガスに強い人間をつくるという、どっちでもいいわけです。つまり鼻のところへちょっと仕掛けがあって、排気ガスを吸えば鼻のところでみんなそれがなくなっちゃう。人間の方を変えても自動車を変えても、どっちでもいいわけです。いまのところはもっぱら自動車を変えようとしているんですけれどね。

 排気ガスが問題ならば、人間が変わればいいじゃない。これだ。今のところ、ようやく自動車も変わってきたし、またこれから電気だのなんだのと変わっていくのかもしれないが、いつまでも「もっぱら自動車の方」でいいというのか。機械にばかり押しつけて、人間を改造しない怠慢が許されるとでも思っているのか。
 そう、たとえば、俺はつねづね思っているのだが、超高級オーディオマニアなど、良質の電気を求めてわざわざ原発の近くに引っ越すくらいなら(え、そうなの?)、まず耳を改造しろと。何百万でもかけて、音がよく聞こえるように、耳の形を、穴の形を、最適化しろと。さらに言えば、神経や脳までいじってしまえと。機材や環境ばかりでは片手落ちだと言っている。変わらなきゃ、人体も。

 だから、このおっさんは間違ってない。まあ、話を環境に戻せば、今や生物多様性やらなんやらなので、人間だけが機械的改造なり遺伝子改造なりで排気ガスに耐性ができてもいかんわけだ。地球が温暖化しようが知ったことじゃないが(越谷あたりの人は血液が沸騰して死ぬかもしれないが)、人間だけいいのではいけないのだいいますよ、なんかその、古舘伊知郎とかが。
 でもね、人体も改造しましょう。かってに改蔵もアニメ化されるということだし、それがいい。いや、病気や障害に対して日進月歩で進歩している部分はあるのだろうが、もっとなんというのだろうか、改良的な意味で。付加価値、オマケ的。それで、寒い時に暖房をつかうコストを、寒さに強い改造で。暑いときにクーラーを使うコストを、暑さに強い改造で。硫化水素で自殺する人間が多いなら、硫化水素に耐えられる仕組みを。首吊り自殺が問題なら、首が伸びるようにしたらいい。電車に飛び込む人がいるなら、あらゆる人間の体が電車より強ければいいのだ。なんでそれがわからんのか。
 そういえば、死んだ科学者だった祖父の言っていたということを思い出す。祖母から又聞きしたことだ。祖父曰く、地球資源に対して人間が増えすぎていて問題である。それを解決するためには、人間のサイズを今の半分くらいにしてしまうべきだ、と。俺の知る限り、祖父は冗談を言う人間ではなかった。まったく、真面目で厳格な人間だった。それが、こんなことを言っていたという。半分の人間、すばらしい。あらゆるものが半分で住む。ポケットの中のビスケットで戦争が起きることもない。輸送機械も半分、燃料も半分(なのか?)、高見山からすれば四分の一くらいだ。それが、硫化水素まみれの駅のホームに滑りこんでくる電車を弾き飛ばし、おまけに首も伸びるし、音楽もよく聴ける。日本には元気がない、希望がないなどというが、科学的にものごとを考えれば、このようなソリューションはいくらでも転がっている。祖父も、糸川博士も、きっとそう言いたかったに違いない。おしまい。

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