日本スラップスティック

 紙おむつなどに使われる高分子吸水材やおがくず、新聞紙を投入したが福島第一原子力発電所2号機の取水口近くの立て坑の亀裂から海への漏出を止めることはできなかった。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110404-OYT1T00094.htm

 正直言って笑ってしまった。水漏れを防ぐのにおがくずと新聞紙だ。おばあちゃんの知恵かという。
 無論、極限に近い状況の中、限られた選択肢から最高の効果を得られるよう、賢い人達が知恵を振り絞り、最大限の努力をしてのことと思う。命がけだ。そのことについて、当事者が決してふざけているわけではない。おがくずや新聞も、ポリマーの補助に役立つと判断されてのことだろう。ただ、それでも、字面が紙おむつやおがくず、新聞紙であって、流水経路を調べるのに使うのが乳白色の入浴剤、なんという生活臭。
 やはり俺には、どうも喜劇のように見えてしかたない。世界でもっとも科学や技術の進歩されている国の、最高級の技術をもって運用されるべき施設を舞台にした、今後十年、百年先の国民、国土の命運をかけるような局面で、新聞紙やおがくずで水漏れを防ごうとしている。それが正しい表現ではいえないとしても、やはりそう受け取ってしまう自分がいる。喜劇と悲劇が互いのしっぽに噛み付いてぐるぐる椰子の木の周りを回っているようだ。できるのはバター? 焼いてみようかイエローケーキ。

 まあ、そもそもからなんかおかしい気はしていたんだ。そもそも、炉心溶融を防ぐために、機動隊の暴徒鎮圧用放水車が出向くというあたり。たとえば、震災前に原発パニックものでもなんでもいいが、放水車出陣を大真面目に書く小説家なりなんなりがいたら、どう評されただろうか。きっと、馬鹿にされたんじゃないだろうか。それが反原発のスタンスで書かれたものであったならばなおさらだ。あるいは、映画の『海猿』だの『踊る大捜査線』シリーズだのだったりしたら、どんな評判になったか。いや、しかし、ところがどっこい、現実はなんとやら。まったく。
 それとも、これがどこか外国の話だったらどうだったろうか。アメリカでもロシアでも、中国でも韓国でもフランスでもドイツでもどこでもいい。どのくらい斜め上だか斜め下だかと、かなりバカにして笑っただろうと思う。少なくとも俺は。それがまあ、ニッポンは未来に生きてるんだか、どこに生きてるんだかやっぱりわからなかったという始末だったわけだ。
 というわけで、なにかこう、非現実を前にして現れた現実的非現実のようなものを目の当たりして、いろいろなものがどうでもよくなってくるような感覚というのが日増しに強くなっている。むろん、原発に対して現実的によりよく理解しようとも理解の範疇は超えているし、対処をとったところでどうという人生でもない。
 もちろん、自分は原発の産湯につかって生まれ育ってきたわけであって、また関東の南のほうの比較的リスクがないところでそれを享受してきて、原発に反対することもなかった。そして今、現実的に大きな損害、取り返しのつかない悲劇を引き受けている人達がいる。それを前にして、これを喜劇だと言うべきではないだろう。
 しかしだ、しかし俺は、やはりこれが、信じられないほど巨大な喜劇に見えてしまう。これ以上ないくらい皮肉な、ブラックな、そして悲しい喜劇。人間の愚かさみたいなものを描くために、わざわざ雲の上の誰かが書き起こしたんじゃねえかと思えるようなストーリー。日本人みんなマミられちゃうの?
 ……いや、俺がそう見たい、そうであってほしいと思っているだけか。まあ、俺みたいなやつはほっといて、日本はひとつになってがんばって強盛大国にでもなってくれ。俺は俺の日本だけで十分だ。

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