べつにおれはライ麦畑の八重樫幸雄ではないのだが

 震災以前から思っていたことだが、人間なにをやろうが間違っていて、やらなくても間違っていて、なにを言っても間違え、なにも言わないのも間違えで、まったく間違っているので、また間違ったことを垂れ流すことになることも自覚しつつ間違うしかないのだろうという気もしている。
 というわけで、被災地の人になにかを言うというのも気はひけるが、一方でテレビのACが「日本は強い国」とかよくわからんことを垂れ流しているので、おれ一人なにか垂れ流したところでいったいなんだというところだし、みんなそれぞれそれぞれの立場から言いたいこと言えばいい。

被災した子供たちに言いたいこと

 というわけで、たいした地震の害にも遭ってない安全地帯から、100億円どころか100万円の寄付もできない貧乏人(というか100万円を所有したことがない)の無学のボランティア経験もない社会不適応の駄目人間が言うけれども、君らもいい加減に、適当に、やる気無く生きたっていいんだ。もし多くの友人を失ったり、家族を失ったりしても、その人たちの分まで頑張って生きようとか、そういう気がおこんなきゃそれでいいし、だいたいもう一生分くらいの不運にぶつかったんだから、あとは漫画読んで、ゲームやって、適当にふんぞり返って生きていい。
 もし、そこまでの被害を受けていなくて、もう少しマシな状況にある子供たちも、べつにもっとひどい目に遭った人がいるからといって、べつにその人たちの分までしっかり勉強したりしなきゃいけねえってこともないし、やりたくないならやらなくていいし、逃げたくなったら逃げればいい。
 ついでに、まったく被害に遭ってない子供にも言いたいが、べつにこの国が国難とかいう状況だろうと、大勢の人間が困っていようと、べつになにかやらなきゃいけないいわれはないし、やる気起きないんならやんなくていい。なんの負い目も義務もねえし、ボケーッとしたけりゃしてればいいし、特別に頑張る必要もないし、頑張る必要なんてこの世に存在しないといっていい。 
 ……断っておくが、もしボサーッと生きてて、ボサーッとしたよくわからない大人になっても、おれは責任とれない。おまえらを支援する何一つ持ってない。無責任でしかありえない。
 もちろん、やりたいやつは、頑張りたいやつ、そうだったらそれでいい。止めたりもしないし、止めようとも思わん。おれのようにはなりたくないなら、それは当たり前だ。
 ただ、なんだろうか、たぶん被災した子供、あるいは大人の中にも、生まれつきおれみたいに魂の欠陥みたいなもんがあるようなやつ、やる気のないやつ、人生を生きる気のしないやつ、真面目になにかに向き合うとこうことがまったく理解できないやつ、放っておいたら学校行かなくなってひきこもり、ニートになるようなやつも混じってるだろうし、世間の善意の気運みたいなもんが、そういうやつらにさらなる重荷になったりしたらおもしろくねえと思うのだ。
 まあ、まったくこれもおれの押しつけ、勝手な垂れ流し、特定のだれか一人の顔すら浮かんでない藁人形論法みたいなもんだ。被災者の中にそんな人間はいないし、いたとしても被災によってそんな心持ちや人生ではなくなるのだというのならば、まったくそうだったのか、と言うしかない。まったくそれでもいいし、そうだったらそっちの方がいいのかもしれない。べつにおれはライ麦畑の八重樫幸雄ではないのだ。しかし、もしかしたらこの世におれのようなやつ、おれのようなガキ、いるんじゃないかと、そんなことをも思わずにいられないのだし、そんなやつに何か言うべき言葉がこの世で発せられているのか気になってしまうのだ。まったく。

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