万馬券を当てて調子にのって温泉旅行というのが昭和の夢である。行き先は伊東温泉がふさわしい。女と二人、踊り子号に乗って伊豆半島を下る。そして、伊東温泉競輪。「宿賃を浮かしてグリーン車で帰るぞ」などとうそぶくも、俺は競輪をよく知らぬし、女は競輪に全く興味がない。くたびれたスタンドでただただ色とりどりのヘルメットが走り抜けるのを眺める。ときおり飛ぶだれかの野次もくたびれ、風景のすべてがくたびれ、俺もすっかりくたびれてしまう。女は飽いてどこかに行ってしまい、はずれ車券舞う夕照りの中ひとり途方に暮れる。これである。
※写真は今はもうない競輪場のイメージである。というか俺は花月園の感想を書いていなかったのだっけ?
これである、と意を決したところで伊東温泉競輪が開催していなければ話にならない。他場発売では面白くないからだ。だから俺は、調子にのってべつの温泉を目指した。
東京駅からがらがらの特急に乗り込み、ひどく足の遅い電車に乗り換える。これである。
わざわざ大井川鐵道で最果てまで行ったこともある。千葉都市モノレールの最果てを見に行ったこともある。
だからといって、俺を鉄道好きなどと思われると困る。かといって鉄道嫌いなわけもない。
もし、俺が自家用車を持てる人間だったら、それなりに車好きのようなそぶりを見せただろう。しょせんは小さな男の子が好きなそうなものを、それなりに引きずっているだけと言っていい。
だから、わざわざローカル線にカメラぶら下げて乗りに行くのか? ああ、まったくそうだろう。そしてこうやってブログに書くのだ。
B-BOYのBを定義してみな。決してゆずれないぜこの美学、読者にも媚びず己を磨く。すばらしきろくでなしたちだけに届く、轟く、リンクの果てに。見た、ゆずれないぜ俺の美学、言及に媚びず己を磨く。
俺の文章はだいたい借り物でできている。俺の行くところも、しゃべる言葉も、着ている服も借り物である、もちろん想念も借り物なのだ。
ローカル線を愛でる発想も。
そのような趣味者のふるまいをすることも。
たぶん、写真の構図さえも。
だから俺には、突き抜けている人間がわかる。ある駅から列車に乗り込んできた少女がいた。金髪のロングヘア、顔にマスク、上下ねずみ色のスウェット、ショッキング・ピンクのクロックス、片手でケータイをいじりながらその肩に掛けているのは大きなルイ・ヴィトン。どこか途中の駅で降りようとして、ひとことも発していないのに運転士に車内両替機の不備を示す。運転士が車両の反対側に急ぎ、両替をし、戻ってくる。その中から支払いを済ませ、悠然と下りていく。なんらかの消息がそこにはあって、俺は見とれてしまう。
俺は勝手な旅人だから勝手に想像する、人の人生を想像する。いや、俺はいつも人を見て勝手に想像する。いつものことだ。お前も勝手に俺を想像してくれ、その想像の中の俺は俺の知ったものではない。
人生は百台の貨客車であって、乗り合うわれわれもまたなんとやら。
地球の丸く見える港町の人生。
ヤックスでデート。
キャベツ畑でヤックス。
あるいは、終点の町。
そこは坂の急な港町。
海はいつも荒れている。
海炭市、ではないが。
もしもここを訪れる人がいたら、言っておきたいことがある。
海に向かう坂の情景よりも。
坂に対して垂直に交わる横道、路地に魅力がありそうだと。(俺は確かめていないから)
俺の少女の話に戻ろう。
彼女はやがて、タワーの上で働くかもしれない。
あるいは、海の幸の総合センターで。
「今年はやっぱりお客さん少ないね。どう、そっちは?」と彼女。
「こっちはだめだね」とパンダ。
〜つづく〜