Habent sua fata libelli〜映画『ザ・ウォーカー』を観て〜

※それほどネタバレしないつもりですが、どうなるか知りません。
ザ・ウォーカー [DVD]ザ・ウォーカー [Blu-ray]

The Book of Eli is a 2010 American post-apocalyptic action film...

The Book of Eli - Wikipedia

 "post-apocalyptic"。わざわざ英語のウィキペディアをひいたのは、この語がとてもしっくりくるからである。そして、『ザ・ウォーカー』ではなく『The Book of Eli』という原題の方がつよく印象に残ったからである。
 では、黙示録以後、終末以後の世界とはどのようなものだろうか。まさしく、『北斗の拳』を思い浮かべられればよい。終末というよりは、括弧付きでいう「世紀末」感。「モヒカン? 革ジャン? ヒャッホー?」。イエス、その通りだ。そこを、凄腕のザ・ウォーカーが西へ西へ旅をする。武器はマチェット、銃も使う。「それ以前」の世界を知り、教養もある。北斗神拳は使わないが、やけにスマートな戦闘スキルもある。だいたい、上のDVDとBlurayのパッケージどおりと言っていい。

 というか、動画があるではないか。このとおりである。というか、「本」のことをこんなに宣伝していたのならば、とくにネタバレということはないだろう。そう、想像通り、その本、ザ・ブックこそは聖書にほかならない。
 聖書を巡る考え方の対立。あるいは、一方は考え方ではないのかもしれない。現代アメリカをある意味で刺しているだろうし、あるいは人類史を刺している。いろいろの寓意を見いだせるだろう。あるいは、俺の知らない聖書的知識が仕込まれているかもしれない。よくはわからんが、それもいい。
 しかし、それもいいが、俺がどうも思いを巡らせていたのは、聖書の最初に生まれた時代のこと、場所のこと、世界のことだった。

 聖書に「ダンからベエルシバまで」と言われているこの地は、日本の四国よりもやや広い面積をもつにすぎない。そして昔も今もこれと言った資源はなく、国土の大部分は岩山で、水すら十分でない。
―『聖書の旅』山本七平

 その世界のことだ。キリスト教のはじまりのころが気になる。その苛烈な土地で生まれたものの力、そんなものを想像する。想像するだけで、まじめに学ぼうとは思わないが、思いは巡らす。そんなところがある。
 そう、俺はなんとはなしに、この映画で描かれる荒地を見ながら、その始まりのことをぼんやりと思っていた。そして、なるほど、ゲーリー・オールドマンが聖書の言葉を渇望する、その強さというものを感じずにはおられなかったのだ。デンゼル・ワシントンというよりも、むしろ、ゲーリー・オールドマン。
 むろん、どちらが正しいものであるように描かれているのは言うまでもない。しかし、あの渇望もまた真実であるように思えてならない。日本とかいう、ときどき信じられないくらいの大災害に襲われれながらも、基本的には水の資源と緑に恵まれた世界、自然を敵とみなさない世界(まあ、その歴史が長かった、なのかもしれないが)に住む人間として、そう思う。
 ……と、災害の話が出たところで触れておくが、やはりこの映画の世界を、今現在のリアル日本と重ね合わさないではいられなかった。ひとつには廃墟的な光景であり、ふたつには核汚染のことである。この映画のような完全に破滅した光景を、現実に重ね合わせることに、なにか倫理的な問題はあるだろうか。あるのだろう。しかし、触れないのも欺瞞じゃないかと、自分の中ではそう感じる。やはり自分は3.11以後にいるのだし、わざわざそれ以前の自分になって映画や表現に接することはできないのだ。
 また一方、今の原発事故問題は、フィクションの中で描かれるような極端な状況であるということを忘れてはいけないという、妙な感覚もある。ゲイリー・オールドマンの言葉への渇望を見たとき、3.11直後、この横浜もどうなるかわからないというかなり切羽詰った心境(誓っていうが、本当にビビっていたし怖がっていた。「なにを横浜みたいな安全圏で」と言われるならそのとおりだろう。しかし、俺は弱いのだ)のときに、ふと開いて読んだ西行あたりの歌が染み入ったことを思わずにはおられなかった。むろん、作中のゲイリー・オールドマン西行なら西行ライフハック的に用いようとするタイプの人間として描かれている。しかし、一方で、彼の渇望は彼の中から出る真の面もある。この真があるからこそ、ある種の主義は厄介なのだと思う。
 話が逸れた。また、これも言うべきことではないのかもしれないが、俺は廃墟的光景が好きだ。一つ前のエントリを見てもわかるだろう。あるいは、このエントリなど露骨だろう(というか、俺に学名がつけられるならば、「海辺でゴミの写真を撮るサル」とかいう意味になりそうだ)。

 この嗜好についても、やはり現実とどう重ね合わせられるかという点もあるだろう。少なくとも、俺は、3.11以後も廃墟妄想をやめる気にはならない。いや、嗜好を嗜好として身のうちに持つに問題は内面だけだが、さて俺はブロガーとかいうものだし、放っておけば語るのをやめない。そのうえ、ブログを書いていない一ヶ月くらいも、ブログを書いているときと変わらない心持ちで暮らしていたのだから、表現を人に伝えようと伝えまいと、さて大した変わりがない。人間たるもの、おおよそ表現する媒体を持とうが持つまいが表現者であって、また媒体であるのかもしれないし、震災が、原発事故が、それぞれの人間に何をもたらし、もたらされた人間が何をもたらしていくのか、それはある。「影響はない」という意思表示にすら、あえてそうするという意味がつかずにはおられないだろう。
 話がとっちらかった。……と、書いている時点で、もう戻す気もまとめる気もない。俺の筆記はリアルタイムなのだから仕方ない。まあ、そんなわけで「世紀末アクション」というような(くどいようだが、この「世紀末」は括弧付きね)世界でありながらも、いろいろと深いところがある。さすがはアメリカ映画という気にもなる。また、震災後、原発事故後に見たのは偶然だが(DMMのリストに入っていた。いつ入れたのか忘れたし、内容もほとんど知らないで見始めた)、そこに思いを巡らせるところもある。アニメ以外の映像作品を観るのもひさびさだが、やっぱり映画もいいな、などととってつけたようなことを言って終わる。おしまい。

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