引っ越すことにした

 時計は零時をはるかに過ぎて日曜、上の日記を書いたあともこのあたりの物件を賃貸物件サイトでつらつら探してたら、なんとなく見覚えのある不動産屋の名前が目に入る。あらためてGoogleから調べてみると、よく通り掛かる不動産屋だった。ながく地元でやっているようだった。よくわからないが、とりあえずここを訪ねてみようと思い、寝た。
 九時半ころ起きてパソコンをつけ、シャワーを浴び、着替えて、寝る前に見えたサイトにアクセスし、iPhoneで電話をかけた。モニタに映した適当に条件の合う物件を名指しして、「ネットでそちらのサイトを拝見していて気になる物件があった。こちらはまだ空いているだろうか? また、内覧を希望したいが、たとえば今日は大丈夫だろうか? できればほかに物件があれば紹介してもらいたい」というようなことを言った。電話の向こう、確認、物件は空いている。案内は、できる。「では、すぐ行きます。10分後に」。
 俺はコートを着て部屋を出て不動産屋に向かって歩きはじめた。坂を下り、中華料理屋があって、不動産屋があった。5分だった。その後、徒歩とタクシーで2つの物件を見て回り、昼頃帰宅した。俺が不動産屋でどのように振舞い、どのように観察し、どう判断したかという詳細は書かない。しかし、様子や態度、物件の勧め方、雑談の内容などから、信用できると判断した。向こうも俺をどう見たかわからない。それなりにうまくやれたんじゃないのか。ただ、どう振舞おうと30を過ぎた独身で月5万という条件がすべてだ。
 しかし、不動産屋がどうであれ、問題は物件だ。はたして、2件どちらも1Kの間取りであって、家具が一切ない状況ということを差し引いても広く、内装は新しく、すばらしかった。ただ、月の支出としては同額か、2千円増える。プロパンから都市ガスへの変更、水道料金の変更などを考えたら、いずれにせよトントンといったところだろう。言うまでもないが、引越しの初期費用を考えて、2年なら2年で割ればそうとうな増額といっていい。しかし、もう俺は使い果たす気でいるし、そんなのはどうでもいいんだ。
 さて、どちらもよくてどちらにしよう。案内してくれた人がどちらかというと勧めていたのではないかと推測するのは、港の見える丘公園のすぐ近くの物件だ。築年数と駅からの距離で、ネット検索で探す人ははねてしまう。しかし、現状を見ればよくリフォームされていて、風呂トイレ別で、トイレにはピカピカのウォシュレットまでついている。2階で日当たりもよく、周辺環境はといえば高級住宅街であり車通りも少なく、俺の望む静けさは期待できる。山手本通り一帯はコンビニが存在せず、近くの個人商店も日曜の昼にやっていないというようすだったが、それはいい。今とあまり変わらない。むしろ、ホームズ新山下、オーケー、また、元町のドンキが近くなる。近いといっても山を登ったりおりたりしなくてはならないが。
 まあ、物件単体として見るならば、これは面白いと思う。なんというか、趣味的に悪くない感じがする。が、2つ難点があった。ひとつには、入り口と階段がえらく狭く、俺のすばらしい通販で買ったCOLNAGO ACEを運ぶのに難儀しそうだということだ。重さは問題ではない、角度的な問題だ。そしてもう1つ、立地そのもの、通勤距離だ。俺のすばらしい通販で買ったLOUIS GARNEAU MV-1で関内関外に出る分にはまったく問題がないが、問題は雨の日だ。俺は少しでも雨が降りそうなくらいで自転車に乗るのを諦めるが(積極的に徒歩を楽しむ、という意味もある)、そういうケースだ。徒歩で行けないことはない、が、朝、あるていど営業開始的なものに間に合わせよう(30分くらいは中村川のクラゲ見たりしてて遅れたっていい)というのも面倒だし、夜遅く歩いて帰るはめになるのもしんどそうだ。バスというのもうまい具合に停留所がなく、タクシーは考えられない。歩けないことはない、が、けっこう億劫なところがある。せっかく近くに住んでいるのに、メリットが大きく損なわれる感がある。
 ただ、物件単体で見るならば、なにかしら悪くないものだった。エアコンは備え付けで新しく、故障しても大家持ちのものだった。また、せっかく引っ越すのに、環境が変わるのも悪くないだろう。いや、人から見たら「どこが?」という範囲だろうが、引きこもり体質の俺にとっては。いや、不動産屋の話によると、トンネルよりこちら、山手本牧は一度入ってきた人が出ていかず、中でぐるぐる回るらしい。それで、このあたりには不動産屋が多いというが。
 というわけで、というかどういうわけか、詳細は書かないが、もうひとつの物件は今、ここから、直線距離で、というか、直線で……250mくらいしかない。部屋は1階で暗いが、べつに部屋にいる時間は少ないのでどうでもいい。むしろ落ち着ける。やや部屋の外のスペースもある。悪くない。エアコンは前の住人の残してくれたもので古い。風呂トイレはユニットバスだが、いっぺんに、こまめに掃除しようという気になるので歓迎だ。さて。
 さて、1日飛ばして火曜日の朝(まあ、月曜日に会社で話してみたら、やけに引っ越しを勧められた。というか、引っ越し、不動産の話はやけに盛り上がるジャンルだ)、俺は不動産屋に賃貸契約申込書を出していた。後者の至近距離物件だ(言うまでもないが、ネットで至近距離引越しについて調べたりもした。アパートやマンションで部屋替えするやつもけっこういるようだ)。契約開始日の話はよく考えずにいたので、日割りで一週間くらい損したかもしれないが、まあいいだろう。もっと物件を漁るべきだったか? どうでもいいだろう。火曜のうちに不動産屋から電話があって、大家のオーケーが出たという。また明朝、詳しい計算書を取りに来てほしいという。トントン拍子すぎる。
 と、ひとつまったくトントンと行ってないものがあった。現住物件の大家とのやりとりだ。携帯と会社の電話、どちらにも、一本の連絡もよこさない。あまりにも非常識。ここまでくると、自分への悪意というより、ほんとうになにか向こうがトラブルに陥ってるのではないかとすら思う。もしそうであれば、すんなり退去できるのかどうかといったところだ。
 電話をかける。いつものおばさんが出る。アパート名、部屋番号、俺の名前、契約更新の件で、と、何度目か。まだ何の連絡も来ない、というと、「ええ、サトウ(仮名)から連絡が行ってませんか!」と少々驚いたようだが、もうどうでもよろしい。「今までよく対応していただいたので、今回に限ってなぜこうなっているのかこちらとしても不思議に思う。こういう状況は少々不安でもあって今の物件は気に入っているが、残念ながら退去を決めた。至急、解約申込書を送ってほしい」と伝える。話はすみやかに解約日に移り、「年内に退居を終えたい。簡単にいえば払い終えている12月分の家賃で終わりにしたい」という希望を伝える。解約は1ヶ月前までということもあり、ちょうど年内解約、退居が決まる。どういう分担かわからないが、契約に関しては電話口のおばさんが把握しており、このやりとりはスムーズだった。あとは解約申込書がスムーズに送られることを望むのみだ。これが今週中にでも届かなければ、電話での催促以外の方法を取る必要がある。
 まあ、いずれにせよ、レールはひかれたし、粛々とやっていくしかない。まずは金を払い、すこし早めに鍵をもらうことができる。引越しはどうしようか。小物は会社から台車を持ってきて、それで何往復もすればよろしい。洗濯機も持てそうだ。システムベッドも大物で、ばらしてもある程度重そうだが、持ち運べないサイズではない。問題は2ドア冷蔵庫、これだ。一人ではまず無理だろう。二人ならどうか。弟でも呼ぶか。それにしても、長い階段もあって、少し見当がつかない。金がうなるほどあれば、これを処分して大きなものを買うが、そうもいかない。
 プロの手を借りるというのも一つだろう。しかし、冷蔵庫一台に便利屋のようなものを呼ぶ額を考えたら(きちんとした見積をとったわけではないが)、少し足して全部の荷物について単身引越しを頼んでしまったほうがはるかに楽でもあろう。1万5千円〜2万円で収まるのではないか。ただ、車を使わない、使えないのがどう影響するかわからん。車の入ってこれない路地を人力で運ぶ必要がある。このあたりはきちんと事前見積もりを無料で出してくれるところを選ぶ必要がありそうだ(今回の件でふだんは捨ててしまう便利屋のポスティング・チラシなど見たら、正式な見積は当日、なんて書いてあった)。また、今は引越しシーズンではないものの、年末は年末で、廃品回収、大掃除をやる便利屋は忙しいに違いない。早い判断が必要だ。
 また、もろもろの手続きについても、ネット上にあるさまざまなチェックリストなどを参考に、効率的に済ませていく必要がある。住所と紐付けされていない個人情報の登録などないに等しい。いろいろの企業の年末年始の営業、もちろん役所の営業日も調べねばならない。iPhoneで事足りること多いといえども、やはりネット回線とはつながっていたい。時間との勝負だ。
 ……勝負、というほどのものではない。が、なにかしらこういったミッションをこなすことに、テンションがあがっていないといえば嘘になる。躁状態というほど狂ってはいないが、頭と身体を使わなければいけない状態に少々健康的になっている、ような気もしている。そういう意味で、自分にはどうも仕事が好き、という部分があるのは認めなくてはならない。ただ、賃金労働は嫌いなんだ。強いられているんだ。どっかでデスペラード借りられないか? あれなら冷蔵庫も運べそうだが。
 まあ、しばらくは引越しに熱中するよ。一段落して、ひどい虚脱が襲ってくるとしても。