水師営の乃木大将を思う

 俺は女と一緒に居て、機嫌が良くなると軍歌を歌い出すくせがある。中でもメロディが単純な「水師営の会見」はお気に入りだ。「りょじゅんかいじょー、やーくなりて〜♪」からはじまり、途中あやしいところがありながらも「つつおとたーえしほーだいに、ひらめきたーてる、ひーのみはた〜♪」まで歌ったりする。

赤鼻のルドルフとステッセルのス号、水師営のマッチレース - 関内関外日記(跡地)


 どこぞの公共放送が『坂の上の雲』など放送するものだから、この癖が再発まっさかりだ。もし関内か関外で「水師営の会見」を口ずさみながら歩いているメンタルヘルス・クリニック帰りの男がいたら、それは俺である。「もしもし、水師営は軍歌でなく唱歌ですよ」などと話しかけてくれてもかまわない。返事はしないが。
 しかし、「水師営の会見」はなかなかおもしろい歌だ。最初に「旅順開城約なりて」とあって、これは話のはじまりとしていい。いいが、つぎにいきなり「敵の将軍ステッセル」とくる、この違和感がいい。旅順開城約なりて、兵士がすごく喜んだ、とか、事務手続きが大変だ、とか、ひらめき立てる日の御旗とか、なんかこう、経過が来るのが自然に思えるが(例が悪すぎて伝わるとも思えないが)、いきなり視点というか主語と言うか、そこんところがステッセルに行って、そこから「乃木大将と会見の」と、乃木大将が出てくるわけだ。今日は乃木大将について書きたい。
 まあ、ドラマ『坂の上の雲』だ。そこに出てくる乃木大将、柄本明はたいへんに印象に残ったのである。過度に抑うつ状態のおじいさんがそこにいる、という感じである。あそこまで暗くなって、真っ黒になってしまっているような人間がいるのだろうか、というような代物である。早く旅順攻囲戦の現状をプリントアウトしてお医者さんに行って楽になりなさい、言いたくもなる。現に俺は少し楽になりましたよ。ティピカルな無能軍人とは一味も二味も違う、底抜けの陰鬱さというか、むしろ空虚、そう、極限までの虚ろさがある。
 乃木大将の名前を知ったのはいつだったろうか。たぶん、小学生くらいのころだ。父が「乃木は無能ものである。ただし、司馬遼太郎が悪く書きすぎている面もあるかもしれない。だいたい太平洋戦争のあとは海軍の口達者ばかり生き残って、陸軍は悪く言われすぎている面もある」などと言ったのを覚えている。俺にとっての父と子の会話というと、こういった話が多かった。そしてまた、こういったところがあんがい根強く残るもので、今もって俺の中の乃木希典は「無能者だったかもしれないが、司馬遼太郎が悪く書きすぎているのかもしれない」だ。くわしく乃木大将について調べたりしたことはない。ただ、Wikipediaなど読んで、希死念慮の強いタイプだと思ったくらいだ。

 そうだ、俺は『坂の上の雲』を読んだことはなかった。ただ、司馬遼太郎はいくらか読んだ。はじめに読んだのは『竜馬がゆく』だったか。先にはまっていた山田風太郎の延長で読んだようなところがあって、「司馬史観」だのなんだのというと、どうもピンと来ないところがあるし、それが史実としてどうかというと、「そういうレイヤーの話なのか?」という気すらする。もっとも、本格的に歴史小説を読みあさったわけでもないし、まともな歴史書なども開いたことはないが。

 それでもなんだ、なんか司馬遼太郎がてめえの好みみたいなもので、けっこう歴史上の人物をけちょんけちょんに書くっていうイメージはある。『翔ぶが如く』は、あんまり面白くなかった記憶があるが、ただ、桐野利秋について話が進むにつれてどんどんひどく書かれていったというのが印象に残っている。最初の快男児の描かれぶりはどこへ? と。いや、戦況や時代の変化の経緯を、それによって表現していたのかもしれないが……読んだのもそうとうに昔なのでよくわからない。

 まあ、ともかく、桐乃は俺の谷干城がこんなに可愛いわけがなかったわけだし、まあなんだ、結果的に旅順開城約なりて、彼も我が武勇をたたえたりしたわけだが、乃木大将は大量の戦死者を出してしまった。それまでの実績やなにかもあるが、まあそういう評価も残った。ただしかし、なんだろうか、小説の中で無能者と描かれるものがいて、まあ仮に無能、少なくともその局面で役立たずだったりしたとして、しかし現実にはまさにそのような人間がいたわけで、なんというのか、どんな文章、文学、描写でもどうにもならんくらい、そいつがそこにいたんだろうな、などと思ってしまうのだ。そう、そのあたりを、そこに立って、座って、寝て、柄本佑の戦死の報を聞くという姿で見せた柄本明はすごかったとか、そんな話がしたかった。そして、歴史に現れ、うっかり名前を残してしまった無能者のことを思ったと、そんな話がしたかった。

 と、たとえば乃木希典にしたって、当時の日本人の中のほんの一握り中の一握りのエリートであったわけであって、我ら凡百凡夫と比べようというのは無理のある話である。おおよそ、ほとんど人間、日本の兵隊もロシアも、アメリカも、そこらの農村の倅とかが悲惨な形で死んでいったんだ。ティム・オブライエンが「戦場での美談とか信じるなよ、そんなもん」みてえなこと言ってたし、吉本隆明も「弾丸に当たって死ぬなんてのは珍しくて、崩れた塹壕に生き埋めになったりするのがリアルだ」みてえなこと言ってて(吉本は彼の父から聞いた話だったが)、俺もまあそんなもんだろうと思う。将軍レベルというのは、ちょっとどころじゃなく特殊な人間なんだ。でも、ただ、うっかり歴史に名を残すレベルであったがゆえに、なにかこう代名詞的になってしまう、そういう不幸がある。わりとそこまでの器じゃないのに、そこに居ちゃったようなやつというのはいる。
wikipedia:夏侯楙

私はこの、北方へ逃げ落ちて行方の知れぬ夏侯楙が何とはなしに好きです。私が井上靖だったら、夏侯楙を主人公にした小説を書きたい

菊慈童は魚腹浦の夢を見るか? - 関内関外日記(跡地)

 まあ、夏侯楙については血筋的な面もあって大将になったというわけで、乃木大将と比べるわけにもいかないだろうし、すごさみてえなのを兵隊の位で言ったら乃木大将が大将だし夏侯楙は三等兵みたいなもんだろうが(というか夏侯楙なんて出自すら曖昧じゃねえか)、なんというか、そのあたりに惹かれるところはある。天地開闢以来のものすごい数のしょうもない人間の中で、なにか歴史的な局面のある大舞台に立ってしまった、なにかしらしょうもないことになってしまった人間、しょうもないと言われるようになってしまった人間。そういうものに。
 
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 軍歌挿絵についてはマルミ出版社『軍歌集』(1975年)より。この冊子は子供の頃から持っている本で、ボールペンでなにか書き殴ったような落書きのあともあって、字や絵を覚えるまえから一緒だったのかもしれない。サイズからして、昔の飲み屋、カラオケ屋などで用いられたものではないだろうか(上司が「加藤隼戦闘隊」を歌い始めると、部下が一斉におしぼりをぐるぐる回しはじめる昭和の光景)。最終ページに歌詞シリーズとして「学生愛唱歌」や「お座敷小唄」、「替え歌集」などもあったようだ。

 ちなみに、俺は中学〜高校の頃、だいたい軍歌かブリットポップを聞いていて、最近は日本語ラップとアニソンがお気に入りである。一貫性など求めるな。ただ、ひとこと言わせてもらうならば、俺が中学のころというのはYoutubeもなければ大規模なブックオフみたいなのもなく、種々の音楽に触れる機会というのは少なかった。その中で、軍歌・唱歌のたぐいは美しい日本語の響きがあって、流行していたJポップ的なものにはそれがなかった。あるいは、意味はわからないがともかくかっこいい、コックニー訛りを気取った細身のイギリス人の歌を聞いてるほうがよかったのだ。
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推薦図書

1万1千の鞭 (河出文庫)

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 旅順の攻防や奉天が舞台だったと思う。ラストの満洲の平原の描写はとても素敵である。「内容が思っていたのと違う」とか言われても抗議は受け付けない。
本当の戦争の話をしよう (文春文庫)

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一下級将校の見た帝国陸軍 (文春文庫)

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