僕のおじいさんはチッソの社員です

●こちらを読んでいろいろ考えたこと。……のつもりだったけど、だんだんと内容が逸れていっていつもの話になるので、読む必要はないです。
●整理つかず、矛盾も多くてどう接続していいかわからないので箇条書き。
●ついこないだ『健康帝国ナチス』を読んで、こんな箇所を引用した。

ともかく歴史的な記憶というものは選択的なもので、我々はともすればその時代の蛮行に目を向けがちである。そうすれば、神聖なる「我々」と堕ちた「奴ら」のあいだにきれいに線を引くことができるからである。

 そんな「線」なんて引けるものかよ、というのが筆者の主張といっていいだろう。

我が内なる健康帝国〜『健康帝国ナチス』を読んで〜 - 関内関外日記(跡地)

 これはもっともなことと思ったわけだ。が、しかし、上の東電のやつを、元の本にあたっていないので引用部分についてだが、「企業の責任と、そこで働く人たちの責任とを、絶対に一緒にすべきではない」、というあたりについては、どうにも腑に落ちない感じがしてしかたがない。
●東電社員の子供がそれを理由にいじめられるってのはおもしろくな話だし異論はねえが、社員自身はどうかというと、やはり向けられた憎しみは受けねばならんのではないかと思うというのが正直なところ。
wikipedia:奥崎謙三。 それで、別件で昔の別冊宝島読んでて、奥崎謙三のインタビューを目にした。『ゆきゆきて、神軍』の奥崎。敗戦後のニューギニアで行われた兵士二名の処刑。もはや軍が解体されている中でのそれは殺人にほかならない。

 奥崎謙三は、自分を主人公とするドキュメンタリー映画を撮影する過程で、この事件を知った。神軍平等兵・奥崎は、これを許せなかった。たとえ犯行から三十七年が過ぎて、法律的には時効が成立していたとしても「国家を支配している天皇天皇的な権力者とその一味・手下が、自分たちに好都合であるようにつくったところの法律には時効があっても、神の法には時効がないからM元大尉は現在もなお有罪である」(『殺人論』)。
 奥崎謙三の論理は恐ろしいほど明快である。そして彼はその明快な論理通り、完全とM元大尉を殺しに出かける。その行為は、奥崎にとっては、「ゴッドワールド」を作るための「究極のメディア」だったのである。
「神軍平等兵・奥崎謙三、凱旋インタビュー! 人を殺すよりも射精させていただくほうが楽しいです!」別冊宝島361『囚人狂物語』より

 まあ、結果として奥崎が撃ったのは元大尉の長男だったし、そもそも天皇ですら「私にとってはただのメディアです」と言い切る奥崎。狂人といえばそれまでだろう。ただ、なにか俺は感じ入るところある。これを他人ごとと線引してしまうと、それもまた腑に落ちない感じがする。

日本に生きて帰ったならば、天皇軍閥政治のかわりの新しい権力者がもし民衆を苦しめるような悪政をしたならば、死刑を覚悟の上でその権力者を殺すことが、死んでいった兵隊や戦友たちに対する私の義務であると思いました。
ヤマザキ天皇を撃て!』


 むろん、奥崎が太平洋戦争時、凄惨を極めたニューギニアの戦場でどんな体験をしてきたかという、それもある。刑務所でもどこでも毎日毎日戦争のことを考えずにはおられなかったというのは本当だろう。遠藤誠弁護士にオペラ鑑賞に行かせてもらったが、死んだ戦友のことが想いおこされて涙が流れ見ることができず、一般の人と同じようにものごとを楽しめなくなってしまったというのも本当だろう。そう、奥崎もまた被害者だった、戦争が、時代がかれを狂わせてしまった、……として説明しきってしまうのもなにか違うような気がする。
●有り体にいえば、俺は「恐ろしいほど明快な論理」に、共感するところがあるのかもしれない。むろん、世の中が「恐ろしいほど明快な論理」で動いてしまっては恐ろしいし、そうあってはならんとは思う。思うが、しかし。
●関係ないけど、もう少しきれいに撮った奥崎の名刺をiPhoneの壁紙に使っている。もし紛失してだれかが拾ったら、兵庫に送られてしまうかもしれない。
原発について俺もなにも知らなかったし、原発の恩恵も受けてきた。どんな電気が使われていたのかわからないが、原発生まれ、原発育ちといっていいかもしらん。それで後の世代にぶっ殺されてもしかたないかもしれない。
●それ以前に、そのような恩恵をうけながらもワーキングプアとかいうろくな額の税金も払えていないようなクズになり、将来的にはさらに社会福祉のお荷物にしかならないという点で、生きる資格もないのだし、とっとと殺してほしいが。
●東電の社員様についていえば、3.11以前に東電の社員様であるというステータスが、彼なり彼女なりになんらの名誉を、権威をもたらしてはいなかっただろうか。それゆえに社会の信用を得たりしなかったろうか。いや、そうなのだから、今度はそれが失われるのは仕方のないことだろう。
ニュルンベルクや東京では個人が裁かれた。彼らとてたまたまの生まれ、たまたまの育ちで、だれもがそうであればそうなってしまったような立場にたまたまいただけかもしれないが。
●やっぱりそれは、ひとりひとりが責任を負わなければいけない面があって、そうでなければ一億総懺悔式になにか霧散してしまうようなところはないだろうか。

――彼の「勇気がなかっただけ」という印象的なセリフがありますが、あれは途中から付け足したものなんですか。
最初はなかったセリフなんだけど、元久が「みんなが勇気を持って森さんと永田さんにもうやめようって言ってくれたら、お兄ちゃんも死ななくてすんだのに」って坂東君にぽつりと言ったらしいんですよ。その時に坂東君はものすごくへこんで、こんなに辛いことはなかったって話してくれてね。

『実録・連合赤軍』をようやく観るのこと - 関内関外日記(跡地)

●やっぱし、どっかしら名前と顔のある一個の人間が踏ん張れるかみたいなところがあって、みんな責任がある、みんな悪かったではあかんところがあるように感じる。
●俺はなにか事件や事故があって加害者と被害者がいるとき、ほとんどの場合加害者に感情移入してしまう。

 クズで、ろくでなしで、まともな判断もできなかったやつら。宅間、加藤、ダンプカーで8人殺したやつ。でも、俺は、少なくとも法的な意味で免罪を要求したりはしない。彼らが吊るされるところまで含めて他人ごとではないと思うだけだ。裁判の上で情状酌量とかいうなにかが採用されるならされるだけのことだろうし、されないならされないだけで、なにかそれはあまり関係ない。連行されるろくでなし、収監されるろくでなし、吊るされるろくでなし、内心で同情するだけだ。裁判員だったとしても、同情しつつ法のラインどおりに理知で考えて判断するだろう。
●おまえは俺のようなやつだから死刑だ。ただ、10ポイントやる。それで納得してくれ。
●いや、死刑には基本反対なんだったっけ。けど、自分を吊るす死刑があってほしいという妙な願望に今、この瞬間思い至った。
●まどろっこしい、自殺しろ。というか、自裁できるのに自裁できないものがその愚かさをもって他山の石とせよ、などと子供らに語るのは説得力があるのかどうか。俺も霊界から語るべきではないか、もっさりしたマット・デイモン経由で。それとも、刑務所の中から、限られた文字数を最大限活かすために、妙に四字熟語の多い手紙で。
●法律や裁判で語りえない、起こってしまった時点で確定してしまう罪のようなものあるのではないか。……俺も神の法の方面の人間か。それでもいいか。ゴットワールド。
●ところで、俺の母方の祖父はチッソの社員だった。祖父から母への経済的援助など考えるに、俺も水俣病の犠牲の上に生まれ育ってきたといっていい。それで水俣病の被害者に憎悪されるならば仕方ないし、殺されるなら殺されるか。
●今思えば、母方の祖父の仕事について母方の親戚で話題になることは少なかった。ただ、典型的な昭和の仕事人間という印象が語られるばかりであった。生活をともにしていないので知らぬが、わりと厳格すぎるほど厳格というところもあったし、非常に怒りをあらわにする怖い父親であったとも近ごろ聞いた。自分が正月に見ていたおじいちゃんは、寡黙に競馬新聞を読む口数少ない老人であった。彼の抱えていたものを聞く機会はない。
チッソとどんなときに聞いたのか、知ったのかは覚えていない。ただ、水俣病について小学校で習ったあとだったろう。とくにショックでもなかったが、すすんで人に言うことではないな、と思ったように思う。
●因果をどの範囲まで広げられるか。やはり時間や距離、いろいろと明快でなくなるラインがあるかもしれない。あってはならないとしても、ラインがあるといっても、いずれにせよ誤っている感じからは逃れらない。腑に落ちない。
●あらゆる因果が断ち切られるゴットワールド。畢竟ずるにアナーキーと禅。あらゆる制約からの自由と、自然法爾。リバティとフリーダム。as-it-is-ness。56億7000万年かかる。
希死念慮の出所は圧倒的に我が身可愛いさ、我が身にこれ以上つらい思いをさせたくないというところだろうが、その我が身かわいさの尺度による(結果的な)自罰を、他人にそうあるべしという印象を与えてしまってはいけない。
●たれかの個人的な憎悪やそこから生じる愚行をも否定せず、また彼とおなじ境遇にあってそうしない人も否定してはならない。
●さしあたって意識すべきは最小限の主語。

きみに
悪が想像できるなら善なる心の持ち主だ
悪には悪を想像する力がない
悪は巨大な「数」にすぎない
材木座光明寺の除夜の鐘をきいてから
海岸に出てみたまえ すばらしい干潮!
沖にむかってどこまでも歩いて行くのだ そして
ひたすら少数の者たちのために手紙を書くがいい
田村隆一「新年の手紙(その一)」

 俺は算数が苦手だが、悪を想像できるのかどうかさっぱりわからない。