映画『天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命』を観た

 おれが見沢知廉を知ったのはすばらしいクソ雑誌『GON!』誌上か、別冊宝島の刑務所もののいずれかだったと思う。『GON!』誌上では、粛清事件の被害者を埋めた現場でヌードダンサーが踊って鎮魂などというよくわからない企画をやっていたように思うが、今は手元にないからわからない。
 まあともかく、それをきっかけに見沢の小説を読んだわけだった。そして、なにかこう圧倒されたのだったが、おれはといえば90年代の比較的裕福な中学生か高校生かで、左翼だ右翼だといったところからも遠く、主に、サブカル的にその独特の言葉づかいやなにかに惹かれただけだったかもしれない。物珍しさといっていい。もっとも、おれの父は元新左翼であって、仲人は元革マルで宝島の「蓮見さん」だったくらいで、身近に面白い話をする人間はいたわけだが。
 しかし、しかしだ、そういうテイストや趣味を超えて、なにか見沢知廉が自分の中にひっかかって、特別の箱に入れていたというのは本当なんだ。よくわからないが、桜玉吉と同じ箱に入れていた。そして、どうもどこに惹かれるかというところがわかってきた。いや、わかってきたというか、形になってきた。ともかく、雨宮処凛的な物言いで表現すれば「生きづらさ」だ。この世との折り合いのつかないこと。
 ただ、これに気づくタイミングがおかしかった。本当だったら大学中退したあたりで、いや、する前に病院に行くなりカウンセリングにかかるなりすればべつの人生もあったろう。ただおれは、今で言うニート、社会的ひきこもりになって、親の金で適当に大井競馬などして過ごしていた。そんなことをしていたら、実家がなくなるという『闇金ウシジマくん』の宇津井編状態になって、わけもわからず働いて働いて(What is not unpricelessness? - 関内関外日記(跡地))、それでもずっと貧困までいかぬ貧乏、一歩間違えると路上生活or刑務所or自殺のような状態にあって、いよいよ精神がもたなくなってしまって今現在に至る。至ってみて、いよいよ自分というものを見直すうちに、なにかこう自分が革命といっていいかわからないが、なにかそういったものにものすごく惹かれるところに気づき、ふと気づいたら見沢知廉がいたじゃないか、となる。
 ……いや、ダメだ、これは無理矢理時系列に仕立て上げようとしている、嘘はないが無理がある。もっと混濁している。まあいい、ともかく、いくらかは知識を得た今、また見沢知廉を読み返す必要があると、そうは思っている。そのためにまた知識をえなくてはならんと、分厚い本を読んだりもしている。もちろん、心の病のこともある。ひょっとすると、もっとすばらしい『天皇ごっこ』だって現れてくるんじゃないかと思う。

 ウォー!
 全員が、立った。信じがたいことだった。戦後三十数年、血みどろの抗争劇を演じ続けて来た新左翼が一斉に立ち上がったのは、初めてだった。異様な光景。全党派が一斉に「イギナシ!」のぎこちなくも可愛い合唱に収斂されてしまった。
 「天皇を……殺すんです……」
 ウォー! イギナシッ!
 タブーは破られた。嵐の絶叫。
 「アジア人民を侵略し、南京を大虐殺し、朝鮮人慰安婦を強制連行し、沖縄人民を虐殺するにまかせ、アイヌ人民を抑圧蹂躙し、部落大衆を差別弾圧した反動と反革命の元凶、全非抑圧人民、否、全人民、全アジア人民の究極の敵、天皇を絞首台へ!」
 さっき殴りあったT派とD派が、悪口を言いあったセクトノンセクトが、ヘルメットの色と思想を越えて一つになって、イギナシ! と唱和した。恐らく、血で血を洗い、、書記長まで殺し合った宿敵革マルがここにいても、この神秘なる一瞬には敵意も忘れた向くな子供になって一緒にわあっと立って唱和に合流しただろう。
 「天皇……か」と、僕は思わずやはり立った一赤子と化したまま、呆然と唸った。「その手、があったのか……」

 で、映画『天皇ごっこ』である。見沢の映像などは残っていない。生きわかれの双子の妹という設定の(このあたりのことはよくわからない。おれは見沢の本を買って読んできたが、そのまわりのことなどなにもしらない)舞台女優が、兄についてよく知る人たちを巡るという形になっている。相手によっては監督自身が聞き手になっている。やはり、人の語る映像というのは書かれたものとは違う。おれは回避性人格障害的なものを抱えている人間なので、なにか人が語るところに出向くことなどまずないくせに、そう思う。そうだ、おれの抱える人格障害的なものが回避性的でなければ、あるいは巻末に書かれた見沢事務所まで気軽にお手紙を出したりしていただろうか。いや、時期が違う。
 おれのことはもういい。上に引用したのは三里塚闘争あたりの場面。ここは映画内でも朗読されていただろうか。三里塚闘争、これが見沢にとって一番大きく、その後は「無」に近かったんじゃないか、そんなふうな話も出てきた。高校時代からの同級生で、粛清事件の共犯者による語りだったか。あるいは、鈴木邦男も、当時の新左翼成田闘争で管制塔占拠した新左翼には、自分たちが歴史を動かしているという実感があったんじゃないか、フランス革命ロシア革命明治維新をやっているような感覚があったんじゃないかって言ってたな。新右翼にはそこまでの高揚はなかったと。で、針谷大輔が、三里塚は右翼がやんなきゃいけなかったんだ、右翼なら内ゲバもなく、元より農民と一体になれたんだみたいなこと言ってて、それで池子の話なんかしてて、おれ、逗子の学校通ってたよなとか思ったり。あと、『天皇ごっこ』というタイトルについて、このタイトルだけで本当なら右翼に襲撃されたりするところが、そうされないところに、右翼の中での見沢の(あまりたいしたことのない)立場がある、という話もあれば、「コミック」にできる感覚がすごいんだと、鈴木邦男が言ってたりと。そして、自死についても、考えた上の自殺という意見もあれば、薬物や病気との戦いの中での突発的な事故だという話もあり。これについては、「生き返れよ!」って言ってた鈴木の言葉が一番つよかったか。それと、政治に対して文学がまったく無力になったところでこそ文学のあれがなにするとか、「ごっこ」であるところを認めた上でさらにそこに価値が生じるんだと、そのへんの中島岳志の話がもっと聞きたかったとか。まあ、一番印象に残ったのは、見沢にとって一番の「同志」だったかもしれない母か。そういえば、Wikipediaにこんなエピソードが載っていた。すげえな。
wikipedia:見沢知廉

奥崎謙三は『獄の息子は発狂寸前』を獄中で読んで見沢の実母の心根に感激。「日本女性の鑑だ」と惚れ込んだ奥崎は、「この女性と結婚しろ」との神の啓示を受けたと称し、出所直後に結婚を願い出た。奥崎はすっかりその気になっていたが、見沢母子に逃げ出されて破談になり、「縁はその時一度限りだ。それなのに途中で帰るなんて許さん。クソババアめ!」と激怒し、卒倒した。

 ……で、ところどころ入る演出はともかくとして、もっと長くみていたかったという感じがある。なにより、なんとなく自分の箱の中にしまってあって、日ごろあまり名前を見ることのない、言ってしまえばマイナーな見沢知廉という人物について、みながそれぞれに熱量をもって語っているのが、なにか不思議な気すらして、こう、感想もうまくまとまんないけど、こんな感じで。
 というか、なにかこう、おれ、今、たぶん二十歳くらいに抱えて、解決していかなきゃいけないような問題にかかずらってるようで、恥ずかしいやら、なんやらで、それでももう手遅れかもしれないけど、とりあえず息はしているのだし、政治でも文学でも宗教でもいい、なにか自分の中にあるなにかとぶち当たる、そういうものを探そうという思いはあるんだ、たぶん、面倒くさいけど。


関連______________________

 ……訃報を知ったときにはこの日記があったのか。意外だ。

天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命 [DVD]

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 あ、DVD出るのか。
天皇ごっこ (新潮文庫)

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獄の息子は発狂寸前―From prison with love

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調律の帝国 (新潮文庫)

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ライト・イズ・ライト―Dreaming 80’s

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 ところで俺は、『調律の帝国』は獄中物ではないと勝手に思いこんでいた。別に楽器の話だとは思っていなかったが、なぜだかわからないが、見沢は刑務所から出たのだと思っていた。あとがきにこんな一文があった。

 まだ、これだけで“十二年”の地獄巡りで嘔吐し尽くしてはいない。しかし、次は監獄以外の<狂気>を書く。

 ああ、俺はその「次」が来ると思って、てっきりこれがその「次」だと思っていたのだ。しかし、見沢は「ノンフィクションやエッセイ」で語り尽くせなかった。そして、この『調律の帝国』でも語り尽くせなかった。それでもなお、「次」があるはずだった。あとがきの最後には彼の住所が記されている。質問や感想があれば、気軽に書いて下さい、とある。昔の、誠実な文学者のような、凛とした姿だと思った。

『調律の帝国』見沢知廉 - 関内関外日記(跡地)

映画メモ______________________
 今年映画館で見た映画は『恋の罪』『ヒミズ』『国道20号線』『サウダーヂ』に続き5本目。映画を観る金がどこから出ているかというと、競馬をやめた分である。