大川周明『安楽の門』を読む


 東京裁判東條英機の頭をポカリとやった右翼。病気で裁かれることはなかったが、コーランの翻訳とかしてイスラム教ではけっこうすごいらしい。……という程度の認識で『大川周明集』を借りて読んでみた。

 とはいえ全部読んでない。まず巻末の「大川周明のアジア研究」(竹内好)を読み、最後の「解説」(橋川文三)を読んだ。そして、思索的自伝『安楽の門』を読み、『北一輝君を憶う』を読み、『日本精神研究』をサラっと読んだ。
 『安楽の門』を読んだサラっとした感想は以下のごとくである。
 なんというのだろうか、「おまえは東京裁判をどう見るんだ!」と言われても答えられない俺なのだけれども、なんやらまあ、あの場に大物戦犯として引っ張り出されてきた人間の書くものには思えないという印象が強い。さらに言えば、梅毒だかなんだかわからないが、松沢病院送りになっていたなんていうことも感じさせない(詐病説あったとしても、病院にいたのは確かだしな)。なんというか、妙に……タイトル通り安楽な感じであって、「いいのか、それで?」と、自分の中でなんに立脚して「いいのか?」と問うているのかわからん問いを発するような気持ちになってしまったのであった。ちなみに大川は東京裁判をこう見ている。

 私は国際軍事裁判は決して正常な訴訟手続ではなく、軍事行動の一種だと考へた。日本の無条件降伏によつて戦闘は終止したが、講和条約が調印されるまでは、まさしく戦争状態の継続であり、吾々に対する生殺与奪の権は完全に占領軍の手に握られて居る。態々裁判を開かなくとも、占領軍は思ふが儘に吾々を処分することができる。例へば私を殺そうと思へば、Ohkawa shall die といふだけで事足りる。其の外に何の手数も文句も要る筈がない。然るに国際軍事裁判といふ非常に面倒な手続きを取ろうとするのは、左様した方がサーベルや鉄砲を使ふよりも、吾々を懲らしめる上に一層効果的であると考へたからに他ならない。

 で、この裁判は戦場にほかならないし、言わば最後の召集令を受けて戦場に赴くようなもので、出征に際しては生還を期さぬのが日本人の心意気、戦死しても毛頭不平不満の念は持つまい云々、と。
 さてどうなんかね? 俺はやはり東京裁判是非論だのなんだのについて新書一冊読んだことがないので、正直、国際法? 的に? 講和条約? が調印? される? まで? 戦争状態? だから生殺与奪権があるの? Jus in Belloは? とか。まあ、大川はそんなつもりだったと申しておって、そんなもんだろうかと。それで、巣鴨に入ってみたら、五一五事件とかで独房生活送ったのに比べたら「刑務所といふ感じがしなかつた」とか言って、同じ房の松井石根が「花札とトラムプ」を持ってきたのに自分は野暮で遊び方を知らんかった、それで漢詩を習ったとか言って、「乱心して米国病院に移されるまでの巣鴨刑務所生活半年を、甚だ楽しく暮らした」とか言ってんの。
 なんかさー、やっぱこのあたりは、なにかしらちょっとどうなんだお前、みたいな気にはなる。まあもし乱心しなかったとしたら、どんな罪状で裁かれたかわからんが(東亜経済調査局での仕事か、アジア主義の思想か。それと、松井石根ってA級戦犯じゃなかったのな)、まあその裁きの妥当性もわからんが、それにしたってさあ、みたいな。
 でも、次の章のタイトルが「二 人間は精神病院でも安楽に暮らせる」とかあると、なんかかなわんなって気にもなってしまう。しかしなんだ、精神病への偏見みたいなものは今日なお大きなものがあるわけだけど、大川自身の書きっぷりはひどく客観的でさっぱりしていて、そのあたりは悪くない。

 さて私は乱心の結果、昭和二十一年五月上旬、巣鴨刑務所から本所の米国病院に移され、六月上旬に其処から本郷の東大病院に、そして八月下旬にはさらに松沢病院に移された。この数カ月の間、私は実に不思議な夢を見つづけた。私は其夢の内容を半ば以上に明瞭に記憶して居る。然るに此の夢は、松沢病院に移ると殆ど同時に覚めてしまつた。夢が覚めたといふことは、乱心が鎮まつたといふことである。

 といふことで、まったく治ったよって自信みたいなもんもあるのかしら。で、また米国病院に戻されて、精神鑑定された話とか書いてる。

……丁度会社の人物銓衡委員が新卒業採用の際にやるメンタルテストに類するもので、まことに他愛ないものであつた。例へば「デモクラシーを何う考へるか」と訊ねるから、「Democracy は甚だ結構、但しDemocrazyは御免だ。」と答へるたぐひである。

 とか言って、英文の診断書の一部を引用してて、それを引用するのめんどうだからやんねーけど、英語は自由に話すし語彙は豊富、インテリジェンスは平均よりずっと高い、。善悪の判断もつくし、要するに責任能力あり、でも発音はプアーって判断なんだよ。それで本人もまた巣鴨に戻って裁判受けるつもりでいたら、除外されたから意外だったと。

万一私の病気が再発して、今度は平沼翁の白髪頭を叩きはせぬかと心配したからであるかも知れぬ。

 このあたりの事情はなんかあるかもしらんのだが、ようしらん(解説によると日米危機が深まってきた時に、日米経済連携を構想して開戦を避けようとしていたことがわかったから除外されたとかいう説なんかもあるらしい)。
 で、本人は、最初の半年はたしかに病気だったけど、あとの二年は正常な精神状態で松沢病院にいたと。それで、こんなん書いてる。電力不足なのに病院には不断の送電もあるし……。

 有難いのはそんなことだけでない。敗戦日本を吹き捲くつた政治的・経済的の大嵐に、正直な人間は概ね窮乏貧困のどん底に叩き込まれ、曾ての宮様までが巷に商売を始めるやうになつた昭和二十年から二十三年春に至るまでの三年間、金銭の必要を聊かも感ぜず、唯の一度も貨幣に手を触れずに暮らした者は、いま現に娑婆に居る衆生のうちでは、勿体ないことではあるが恐らく天子様と私ぐらいのものであらう。

 「曾ての宮様」はwikipedia:東久邇宮稔彦王のことだろう。いや、しかし、ここでもお前、世の中の大衆が塗炭の苦しみを……と。でも、ここよく読んでみると「天子様」も「娑婆に居る衆生」に含めてんのな。

 ……って、なんか、俺が好きな刑務所とメンヘル話ばっかりメモってしまった(あと、ホリエモンじゃねえけど、刑務所でむしろ健康になったとか、衣食住から日用品まで国家から支給されて安楽だとか、花輪和一みたいなこととかも書いてる)。が、もう眠いからえーと、思想とか? 宗教とか? まあその歩みは多岐に渡ってるが。ただ、ともかく自分の宗教の対象はここだって言い切る。

……初め私は宗教を極めて高遠なものと思ひ込み、まづ書物の中に宗教を求め、真実の宗教とは「世界とは何ぞ、人生とは何ぞ、何うして世界と人生とに処すべきか」といふ問題について、十分納得の往く解決を与えてくれるものと思つて居た。そして散々苦しんだ揚句、私は自分がこれまで宗教を哲学や科学や道徳と混同して来たことに気がついた。そして宗教は哲学や道徳と背後に於いて統一されては居るが、表面は其等の二つと分野を異にすることが判つて来た。哲学は思慮分別によつて達つせられるもの、道徳は精進努力によつて実現されるものであるが、宗教は無分別、無努力の世界、即ち是非もなく善悪もない境涯に遊ぶことであるから、宗教的信仰は哲学的思索や道徳的修養とは別個のものであることが判つた。そして今更成立宗教の厄介にならずとも、私自身が夙うから宗教的に生きて来たことを知つた。即ち私が吾母を思慕し信頼して常に之を念じて居ることが、取りも直さず私の宗教で之によつて宗教が与へる最も善いものを与へられて居りながら、宗教とは一層高遠玄妙なものと考へて、長く彷徨を続けて来たのである。面々相対して千里を隔て、南面して北極星を見ようとする馬鹿者とはまさしく私のことである。

 前半の哲学、道徳、宗教の腑分けとか、このあたりわかりやすくて巧いよなーとか思う。この調子でサラサラとカントはああで、ヘーゲルこうで、やっぱりシュライエルマッヘルだろとか説明されると、俺など学がないのでふむふむと勉強になってしまう。で、無分別のくだりなんかは鈴木大拙なんかでお馴染みの話で、それで母を思う心が自分の宗教だってところに行くところがなんか突き抜けてる。解説でも大川が母の話ばかりして父についてほとんど語らず、なにか相当な断絶があったんじゃないかみたいな話もあるが、単にマザコンだろ、と片付けていいような、よくないような、というか。いや、なんつーのか、基本的に、宗教的なるものはユダヤ教だろうとキリスト教だろうと仏教だろうと、あるいは儒者や軍人や為政者にもそれぞれの形で現れるんだぜ、みたいな。
 そういや、「宗教」という言葉自体について、英独仏語のReligionの訳語であって、東洋では日本以外の中国とインドの言葉にもぴったりくるもんがなかったとか言ってる。

 然らば何故に東洋には「宗教」に相当する言葉が生まれなかつたか。私は下のやうに考へる。人間の実践的生活は、宗教・道徳・政治の三方面を有つて居る。西欧では此等の三者が次第に分化して、その一々が独自の発達を遂げ、各自の分野を律する規範を求めるやうになつたが、東洋では其等の三者を分化されることなく、飽迄も人生を渾然たる一体として把握し、三者を包容する精神生活全体の規範を求めて来たからであると。それ故に東洋には人生全体の規範を表す言葉、従つて西洋には適切に之に相当するものがない言葉がある。それは日本のミチ、中国の道、インドのダルマ Dharma で、三者とも共通に人生全体の実践的原理を意味して居る。

 なんかこんなん大拙先生も言ってたような気がするわ。まあ、わりと一般的なもんかもしらんが。でもって、じゃあイスラムは? となると、これがこの本には載っていない。解説の方で、両者によって示唆されている。曰く、宗教と政治で間髪を入れぬところにひかれたのではないか。あるいは、宗教と政治の一体化された世界への熱望があったのではないか。このあたりは、なんか『回教概論』だっけか、そのあたりとか読んでみるか、などと。おしまい。

回教概論 (ちくま学芸文庫)

回教概論 (ちくま学芸文庫)