北一輝×大川周明を想う

 北君が死を目前に控へて如何に従容たる気分で居たかを示す証拠の一つは、片身として私に遺した品々である。其の一つは毛筆で巻紙に『大魔王観音』と大書した一枚である。北君は、誰かを説得しようとする場合、まづ口から出放題に話を初める。其話には機知横溢し、すばらしい警句が続出する。やがて話が進むにつれ、自分自身も其の嘘であることを忘れはて、真実を語る以上の情熱を帯び来る雄弁で、苦もなく聴者を煙に捲き去るのが常であつた。凡そ口下手な私は、いつも北君の摩訶不思議の話術に驚嘆し、まことに之は人力以上だと思つた。それで私は北君に向かつて「世間に神憑りはあるが、君に憑るのは神様ではなくて悪魔だ」と言つた。そして後には北君を「魔王」と呼ぶことにした。既に銃殺と決まつて所刑を待つばかりとなつた時に、一つ大川にからかつてやれと、戯れに書き遺したのが此の一枚である。生死厳頭でこのやうな遊戯三昧は、生死を超脱した人でなければ出来ぬ芸当である。

 いま一つの片身は、白い詰襟の夏服である。これは私との最初の会見を回想しての贈物であらう。私が唐津から貨物船に乗込んで密に上海に渡り、仏租界の陋巷に潜んでいた北君と初めて対面したのは、大正八年八月のことで、そのころ北君所持の着物は唯だ白い詰襟の夏服一着、洗濯屋に出す時は、洗濯が出来てくるまで猿又一つですまして居た。金があれば誰憚らず贅沢を尽くし、無ければ無いで猿又一つになる。その双方が等しく無理でも不自然でもないのが北君の面目である。

 以上が『安楽の門』。『北一輝君を憶う』でも同様のエピソードが語られている。そして、決別について。

 処刑直前に北君が私に遺した形見の第二の品は、実に巻紙に大書した『大魔王観音』の五字である。北君がこれを書く時、その中に千情万諸が往来したことであつたろう。また私が魔王々々と呼んで北君と水魚のやうに濃かに交わつて居た頃のことを思ひめぐらしたことであらう。また今の大川には大魔王観音の意味が本当に判る筈だと微笑したことでもあらう。いずれにせよ死刑を明日に控えてかのやうな遊戯三昧は、驚き入つた心境と言はねばならぬ。
 私が北君から離れた経緬については、世間の取沙汰区々であるが、総じて見当違ひの当推量である。離別の根本理由は簡単明瞭である。それは当時の私の北君の体得してた宗教的境地に到達して居なかつたからである。当時私が北君を『魔王』と呼んだのに対し、北君は私を『須佐之男』と名づけた。
 それは、往年の私は、気性が激しく、罷り間違へば天上の班駒を逆剥ぎにしかねぬ向ふ見ずであつたからの命名で、其頃北君から来た手紙の宛名にはよく『逆剥尊殿』としてあつた。北君自身は白隠和尚の「女郎の誠」の生まれながらの体得者で、名前は魔王でも実は仏魔一如の天地を融通無碍に往来したのであるが、是非善悪に囚はれ、義理人情にからまる私として見れば、若し此儘でいつまでも北君と一緒に出頭没頭して居れば、結局私は仏魔一如の魔ではなく、仏と対立する魔ものになると考へたので、或る事件の際に北君に対立して「須佐之男」ぶりを発揮し、激しい喧嘩をしたのをきつかけに、思ひ切つて北君から遠のくことにしたのである。

 大川周明北一輝である。右翼陣営の大物として並び称されたが、戦後も北一輝は人気あって、大川は人気がないなって解説の竹内好も書いているが、なるほどそんなところは昭和の終わる10年前に生まれた俺すらなんとなく感じるところではあった。革命家、思想家、カリズマティックの北一輝。一方で、大川周明といえば東京裁判で東条の禿頭をぽかっとやった印象が強く、ちょっと書いたものを読んでみても、どちらかといえば書斎派、学者系であって、宗教家ではなく宗教学者というところ。歌人国学者wikipedia:沼波瓊音(ぬなみ・けいおん!)という人がいて、東大図書館でよく見るやつがいるということで詠んだ歌があって(その当時は互いに相手のことを知らなかったらしい)、こんな感じである。

病みぬれば図書館恋し マホメット研究者なる鼻高男も

 朝から晩までずっと図書館で宗教本を読んでる長身痩躯の鼻高のやつ、「あなたは日本人であるか?」と亡命インド人に英語で声をかけられるやつ、米軍の精神科医に「この囚人の風貌は、思切つて不愛想である」と書かれるやつ。決してバスじゃモロ最後尾のやつ……ではない。

 いや、おれあんまりバス乗らないから「バスじゃモロ最後尾のやつら」(ZEEBRA「MR.DYNAMITE」の歌詞より)があんまりよくわかんないんだけれども。でも、大川はなんとなく空席があっても座らないようなやつのような気がする。北君はモロ最後尾のやつらかもしれないが、ちょっと想像がつかない。いろいろの人間をバスじゃモロ最後尾かどうかの一点突破でいけるんじゃないかとかたまに考えたりするが、そう簡単な話でもない。ちなみに俺はモロ最前列で運転手の仕草と前方車窓を観察したいやつである。じっさいは年寄りが多くて立ってることが多いが。
 俺と横浜市バスのことはどうでもよろしい。ともかく、北君と大川君はかなり毛色の違うところのあるようだ。神憑りどころか魔王のアジテーションをする北と、米軍の診断に「用語は立派だが発音はまずい」と書かれたけど、「まずいのは英語だからではなく、私の日本語の発音そのものが著しく不明瞭で、殆ど半分しか相手に判らないだけでなく、話に抑揚頓挫といふものがない」大川君では。
 でも、それゆえに大川は北に惹かれるところがあって、それはまた大川がいろいろの人物の宗教者としての生き様、「信」の有り様に対する興味と同じようなところがあるかもしれない。しかし、石原莞爾や八代六郎の死にざまを描くのに比べ、なんとなく北君との距離感は違って、はっきり言って仲良かったなだな、と思わせるところがある。奇妙な友情があったと思わせるところがある。
 じゃあ、北は大川をどう見ていたのだろうか。そこんところはなにか読めば書いてあるかもしらんが、ようわからん。ようわからんが、嘘が真になってしまうくらいの雄弁、「魂の全面的発動」によって、共鳴するものを「殆ど宗教的意味での『信者』」にしてしまう北にとって、そんな自分になびかぬところの大川を、なにかしらおもしろいやつだと思ってたんじゃないだろうか。
 まあ、以上は俺が大川周明の『安楽の門』、『北一輝君を憶う』だけ読んで勝手に想像というか、妄想したところである。このあたりはなにか面白そうなところであって、またなにか読みたいと想う次第。おしまい。
 
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BASED ON A TRUE STORY

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 このアルバムは最近買ったが、当該曲はベスト盤かなにかで聴いていた。関内あたりを「一点突破、いくぜヒップホッパー」とかぶつぶつ口ずさみながら歩いている男がいたら俺である。俺はヒップホッパーではない。
SPECIAL FORCE

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 ちなみに、一緒に買ったのがこれ。俺はこのジャンルに暗く(というか、詳しいジャンルもないが)、この人たちがだれなのかよく知らんのだけれども、買ったアルバムは三枚目になる。なんかレベルというのか完成度が高いと思う。