さて、帰るか。

 年度末は忙しいものであるが、4月にそれを引きずるというのも間々あることである。しかし、本年は年度末もそれなりに忙しかったが4月になってさらにいろいろと重なってきたというあたりで妙だ。仕事がないよりはすばらしいが、確実に睡眠時間は削られ、心労は増え、向精神薬の量も増えている。
 しかし、向精神薬抗うつ剤の害悪などをわめき散らす人もいるようだが、これなしにどうやって動きを制御しろというのか。おまえが俺のかわりに働いて、俺にお金をくれるのか。
 代替不可能な人間になるべくスキルアップしたい、などという大それた野望は、まったく下から目線で見上げるばかりで首が折れる。まずは代替可能な人間になるレベルに。要するに、営業用の自動車を運転できるとか(俺はゴールドの免許は持っているが、睡眠時無呼吸症候群といろいろの服薬で無理)、ルッコラの間引きをしていて遅刻しないとか、満員電車に耐えるとか、業務時間中ずっと席に座ってられるとか、いらいらして急にどなったりしないとか、そういった反社会人的行為をどう抑えるかというのが問題なのだ。
 そのためには投薬に投薬を重ねて、機械のような人間にならなければならない。かといって、脳までポケーッとしてしまっては働けない。そこは強力な意思で支配しなければならない。脳とモニタを見る目、キーボードを打ち、マウスを動かす指、これが生きていればいい。
 ……が、それが生きていたところで、一方に自動車の運転ができて、満員電車に耐えられ、カモミールの間引きで遅刻もしない、俺と同程度の、いや、俺以上の人間が掃いて捨てるほど存在しているのだから、生きるの無理だわ。
 しかし俺の強迫性というもの。俺はわりと重めの煙草を吸っていたがすっぱりとやめてしまい、通院前は相当な酒量だったがすでに一滴も飲まず、競馬もほとんど手を切り、強迫性障害摂食障害とも言われたジョギングも断つことができた。
 逆にいえば、今は俺の強迫性が俺の健康帝国、精神の衛生、薬物による脳の制御にすべて向かっているだけとも言える。とりあえず不安心を完全に取り除けるところまで行って何が残るかというところかもしれん。
 しれんが、俺の性質として臆病で変化を嫌い、リスクヘッジを異様に好むというところもあって、全財産を賭けたりする度胸はない。向精神趣味についても、いつでも手じまいする用意はできているといっていい。そんなんだからなんにも得られない。もっと脳の人為的なコントロールについて微調整が効くようになれば、なにかしらいい塩梅になるはずなのだが、それができるころに生きている予感はしない。