流れよわが涙、と警官に魂を売ったおれは言った


 右折レーン、左折レーンがあるような、わりあい大きな交差点で、おれ歩行者だったのよ。歩行者信号が青になって、ずったらずったら歩き始めたらさ、斜め前方の方から来た車がさ、おれの対面側からの歩行者がいなかったのをいいことに、結構な勢いで強行左折したんよ。まあ、強行っつっても、そんなにギリギリの間合いってほどじゃなかったさ。なにせ4車線分横断すんだからさ。でもさ、こっちからさ、おれとかおれ以外の歩行者、自転車が渡りはじめてるんだから、待つのがルールだろって思うわけじゃん。ただでさえ、おまえの自動車を所有する富が憎いし、おれは一応は日本サイクリング協会賛助会員で、交通ルールは気にするじゃん。それで、たぶんいつもの癖で「いますぐおれの目の前で事故っておもしろい死に方しねえかな」って、目で追ったりしたんだろうね。それ、見てたんだろうね、警察官が。
 そう、警察官。向こう岸に潜んでた警察官が「ピピー!」って笛ならして、少し先の仲間に合図して、そんで次に、脇目もふらずおれに向かってくるわけよ。なんかさ、中川家の兄の演じる警察官コントの警察官みたいな感じの警察官なんだけどさ、なにかと思うじゃん。したら、言うわけ。
 「あの、今ご覧になっていましたよね? 今の車、危ないとおもいますね? 悪いのはいけないですよね。ご協力いただきたいんですけれども」
 あーあの、口調、再現できないな。なんかもっと、子供とか、頭のわるい人間に対して、「悪いものはいけないね。正義に協力してくれませんか?」みたいな、なんかそんな口調でさ。
 そんで、おれって、はっきりいって警察とか権力とかきらいじゃん。図書館で利用履歴とか調べられたら、無政府主義者国家社会主義者(でも実在の国家には殺されるタイプ)の信奉者かのどっちかじゃん。で、てめえそういう口調で、おれアホ扱いして、権力の犬のおもちゃにしようっていうのか、みたいにムカつくわけじゃん。なんだよ、てめえこの程度のことで「悪い」みたいな、人間の内面、善悪の判断に踏み込むような言葉軽々しく使うなよ。「道交法違反の目撃者として協力していただけませんか?」でいいだろうか、クソが。つーか、そもそもここ、警察署の前なんだから、おまえが目に見える場所に立ってたら、無茶な左折自体しなかったんじゃねえの? 点数稼ぎのノルマだろが。
 ……って思ったんだけどよ、前述のとおり、おれはその車がはっきり交差点のルール破ってんのすげえジトッと見てたし、「おもしろい死に方しろ」くらいにむかついてたわけじゃん。そうすっとさ、まあはっきり言って「クソ自動車死ね」とか念を送るよりも、このお巡りに協力して、あの車を運転していたやつが制裁されるほうが現実的にメシウマじゃん。警察は嫌い、でも、あの車も嫌い。つーか、あの車はたしかに交通違反だよ。ああ、クソ、どうしたらいいんだ!
 「え、なんすか? 時間かかったりすんですか?」
 って、とりあえず言ったら。
 「すぐです、お名前を聞くだけですから、一分で終わりますから」
 みたいなこと言うわけ。
 そんで、結局、おれは、名前と、住所と、電話番号言って、警察官がそれをキャンパスノートみたいのにボールペンで書きつけたわけ。ああ、なんか胸糞悪い。なにもかもだ。なにか、権力に媚びへつらった、内通者みたいな、裏切り者みたいな、そんな気分だった。警察官と話してるおれ、すげえ惨め。金髪ピアスに無精髭ジャージのおっさんであるところのおれが、職質されてんのと勘違いされたら恥ずかしいとか、そういう話じゃねえんだ。おれがあの車ムカついたんなら、自分で追いかけていって、素手とか鉄パイプとかでむちゃくちゃにぶっ壊すべきなんだ。お巡りに協力する、これは違う、これは失敗だった。おれはそう思った。「いや、ぼんやりしていたので、よく見てませんでしたよ。協力できませんで申し訳ない。では、急いでいるのでね、失敬」とか言えば、べつの横断者に話が行っただけだろう。ちくしょう、しくじった。ぜんぜんメシウマの気分じゃねえよ。あのクソ車がムカつくんなら、おれがおれでやるべきだし、念を送るくらいしかできないんなら、それだけの話だ。
 いや、客観的に見たらよ、おれの判断は社会通念に照らし合わせてもノット・ギルティどころか、模範的市民として当然のことです(キリッ) くらいのもんかもしれねえ。それに、「みんなスピード違反してるのに」とか「ネズミ捕りみたいなやり方は卑怯だ」みてえな、そういう自動車脳の恐怖にお付き合いする気もねえよ。それこそ、信号無視もなにもてめえの判断だし、見つかったらやられんのわかってやってんだろ? そんなん、それこそ自己責任でやりたいようにやって、それでしくじったらてめえのせいだろ。
 でも、そんなん差っ引いても、なんか告げ口野郎みたいな自分にムカつくわけよ。さらに言えば、わりとすすんで協力しちゃったところの、なんつーのか、強いものにおもねる自分とか、迎合したい自分とか、そこんところがあってさ、それをすげえ自覚したおれの収支はマイナスなんだよ。
 そんで、さらに言えば、おれのこんなグダグダした内心なんてものは、この社会とかいうものにとってまったくどうでもいいことであって、それぞれ個人の内心のグダグダをいちいちどうかするべきほどのことであったら人間社会は成立しねえわけだし、正義も悪もわりと事務的に処理されていくわけだし、日常的なわけじゃん。この日常的であることにどう抵抗していくべきなのか、抵抗すべきなのか、もうむずかしくてわかんねーから、とりあえずここにぶちまけておくよ。そんで、あの車の運転手がおれにむかついてんなら、改めるまで入れてこいよ、応戦してやんよ、殲滅戦だ! でも、おれのことだから、すぐに110番通報するかもしれねえし、なんかそれですげえ「尊敬するおまわりさん、助けに来てくれてありがとう!」のキラキラ光線を目から出すかもしれないけどな!

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それで、ふだん俺が、警察にどう接しているかというと、もう、なんというか、全面的尊敬のまなざしというか、「わあ、お巡りさん、大好き!」というオーラを出すようにしている。村崎百郎が書いていたと思うんだけれども、なんか、それで、鬼畜ゴミ漁りしていても、あんまり捕まらないとかなんとか。じゃあ、俺のような、ほとんど善良な、小市民が、そういうオーラ出せばどうなるかといえば、なんかいきなり警棒で殴られたりしないと思う。すごいアイディア。それ採用。それで、ほら、花輪和一が『刑務所の中』に描いていた、心にグラインダーかけた囚人みたいな、ああいう感じでいこう、と(さっきからたとえにもちだすものが極端だな)。

 ……つーか、こういうオーラ出てるのかもしらんし、実は内心からそういう人間かもしらんね、おれは。

流れよわが涙、と警官は言った (ハヤカワ文庫SF)

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