藤原新也『黄泉の犬』を読む

 70億人殺せる70トンのサリン
 先日NHKで二夜三回にわたって放送されていた『未解決事件 file2 オウム真理教』を見たのだけれども、なにかこう釈然としないもやもやが残って、それが残っているからこそ「未解決事件」なのだろうし、などとまたつらつら考えたりした。して、一番印象に残ったのが冒頭のフレーズというか、まあ実際のところどうだったのかしらんが、そこまでやろうとしたのか、という驚きであった。今回のドラマとドキュメンタリで見たかぎり、思ってたより本格的な国家転覆をやろうとしていたテロリスト集団だったんだな、という印象を受けたのだった。少なくとも、連合赤軍が銃砲店から盗んだ猟銃で殲滅戦、なんていうよりもずっとリアルじゃねえか、と。
 して、なぜ? となると、なにかモヤッとするところが出てくる。いや、なにか思想集団であれ、国家であれ、宗教であれ、組織、集団というものが持つ、それ自体の悪性というか、宿命というか、力学というか、そんなものが働いたのだろうとは想像する。ただ、その動機のところ、なんのために? のところ。
 で、その動機となると、やはりグルの思惑、動機というものは重要視されるだろう。で、尊師曰く「宗教国家作る」らしいが、なんというか、曖昧な感じがする。いや、麻原の著作なり説法なり700本のテープなりを聴いたりしちゃいないので、実はなにかこう、綿密に計画されていたのかもしれないが(国家が最も嫌う国家内の擬似国家を作っていたくらいだし)、まあ、なんかなさそう、みたいな。
 で、ふと 「そういや藤原新也麻原彰晃の出自について書いていたっけ」と、ほぼその概要を知りながらも、実際のところどんな内容なのか読んでみたのだった。

黄泉の犬

黄泉の犬

黄泉(よみ)の犬 (文春文庫)

黄泉(よみ)の犬 (文春文庫)

 おれが読んだのはハードカバーの方で、表紙は「人間は犬に食われるほど自由だ」の例のやつだ。先に「麻原彰晃の出自について書いたっけ」と書いたけれども、実はそれは前半部分であって、後半はまさにこの写真撮影の直後のエピソードや、当時のインドの話が中心になっている。むろん、現代社会やらインドブームみたいなものやらから、オウムにつながるものであって、決してぶった切られているわけではない。
 で、問題の麻原の出自についてだが、Wikipediaにも載っていることななので、かいつまんで書いてしまうと、麻原は水俣病の被害が出た近くで育った。麻原の目の疾病は後天的なものという。また、麻原の兄も全盲だという。水俣が原因ではないのか? 著者は現地を旅してそう想像する。兄に直接会って取材したところ(まあ、一筋縄ではいかないあたりは読ませる)、「ワシは智津夫ば水俣病者として役所に申請ば出したとじゃ」と答えを引き出す。申請は通らなかったという。ただ、著者自身、自分の問いかけが彼を誘導したのではないか、というようなことも考えている。その後、役所に執拗に問い合わせた結果、同地区で水俣病認定の申請をした人間がいたこと、また、申請が通った人がいて、通らなかった人もいるとわかる。
 ……と、この筋書きに乗ると、麻原の反国家の恨みが出てくるのは、わりと腑に落ちるところはある。チッソは国策企業だしな(僕のおじいさんはチッソの社員です - 関内関外日記(跡地))。化学の害に遭った(と思い込む)者が、まさに化学兵器で復讐する皮肉。
 ただ、なんかこう、できすぎている感じもするというか……というか、なにか違和感あるなと思って検索したら、オウム被害者弁護団滝本太郎弁護士のブログが引っかかった。

 というか、最初は滝本弁護士のブログだとわからず、「なんかこの、ふー、に見覚えあるな」って思って、そんでもって、いくらかブログのページを捲っていて、「あ、俺、この本のこと知ったけど、ネットで藤原新也とこの人とかのやりとり見て、結局スルーしたんだった……のだっけ?」と、なにかこう、あいまいな記憶が浮かんできた。模造記憶かもしれない。藤原新也はブログをやめて、ログも読めなくなっている。
 まあ、正直、なんだろうね、なにかこう、当時の俺も、今の俺も、オウムと至近距離で戦ったり、元信者の支援してる人間の方が、そりゃ詳しいだろうな、というように思った……かな。
 というか、俺は藤原新也の写真も文章もえらく好きだし、『印度放浪』も『西蔵放浪』も『全東洋街道』も『アメリカ』も『アメリカン・ルーレット』も『乳の海』も『動物千夜一夜』も、えーと、まあいろいろ持ってる。ファンといってもいい。でも、同時に、どっか信用できない、いけすかねえところがあって、なんか世代論とか一席ぶたれると、こちとらファミコン世代としては「なんだそれ、決めつけんなよ」みたいな反感を覚えるようなこともあるし、ときどきなんかずれちゃってるんじゃねえかみたいな、そんな気にさせれるところがある。ただ、ただよ、なんか一方で、カッとくるところに、どっか本当に刺されたからじゃねえかと思うところもあるし、昔の本を読んでいて、なんか予言者じゃねえけど現在を的中させてんじゃんみたいに思うこともある。えらい決め打ちみたいなところがあって、ご用心な危険さがある。
 んで、まあ実際はそうでもないのにマイノリティに対して自らもそうだと虚言で勧誘までしていたという麻原が、もし本当に公害の犠牲者であると自ら考えていたならば、それを説法に使わない手はないだろう。(景気のいいころの)資本主義社会に疑問を持つ若者たちに、公害のスティグマ振りかざしたら、そりゃむちゃくちゃ効果的だろ。信者候補ばかりでなく、対世間に対しても。でも、どうもそんな形跡はないみたいだ。
 ……って、実は、真の狙いであるがゆえに隠していたのである。とか、いったら陰謀論みたいになるか。とはいえ、まあ実際に水俣病とまったく無縁であると言い切れるわけでもなく(というのは悪魔の証明?)、少なくとも麻原の為人なり動機なりを探ろうとすれば、視野狭窄という身体の問題については避けて通れない面もあるだろう。もし俺が宅間みたいなことをしたら、やはり心の病から睡眠障害から低身長から、身体と無縁とは言いがたい。
 が、一方で、それが同様の状態にある人たちにとって耐え難い誹謗中傷を引き起こすことも事実なのだし、なによりまだ決着のついていない水俣病被害者にとってはたいへんなことだ。てんかん患者による事故で、どんな言葉が駆け巡ったかなんて、まったくろくでもないもんだ。だから、あんまり軽々しくは触れられないってもんもあるだろう。直観みたいなもんで切り込むことのやばさ。
 ……
 ………
 あー、しかしなんだろうね、まあ、結局のところ、真実だの真理だの真相だのというものはないんじゃないのか、みたいなところもある。人間の割りきれなさやあいまいさしかない、みたいなある種の諦念みたいな。不合理や偶然、たまたま、うっかり、よくわからんが、そのあたりが紡ぐ人類史。だから、正直言って、ニュースキャスターがオウムなりなんなりの事件とかで、犯人を糾弾するように「本当のことを喋って欲しい」とか言ってるの聞くと、「おまえにはなにか納得できる言葉があるの? あると思っているの?」みたいに思ってしまう。
 とはいえ、今回、俺は、『黄泉の犬』にその言葉があるんじゃないか? と記憶から引きずり出してきてすがってみようとしたのだから、他人ごととは言えねえや。
 まあしかし、俺は仏教にも興味あるし、革命思想に接近しても、基本的になんか信じられない。信がない。真理には程遠いし、教も嫌だね。集団で集まってなにかすることに虫酸が走る。ただ自由でありたいと思うし、一人でぼんやりしているのがいい。あいまいでいたい。それに、できることなら引きこもっていたい。そう、俺が藤原新也好きといっても、間違っても海外を一人旅したいとか思わない。だいたい、朝、靴を履いてドアを開けて外に出るのがおっくうだ。全東洋どころか、前頭葉街道。と、そろそろ入眠剤飲んで寝なくてはならない。それじゃ。

追記:

 ……今回のNHK見て、上のようなこと考えて、「結局、麻原が何も語らなきゃわからないままだな」という印象は残ったが、「何も語らず」というような偽り、が国民の認識になってしまっては困るんです。」というように、裁判で証言だってしているんだ。自己保身の。でも、なにか向こう岸に行ってしまっているようであって、はてしてなおどこまでどうなのかとか、わからんままなのだけれども。ただ、なんというか、俺には「モヤっとする」資格すらなかったというか、まあNHKの数時間だけであれこれ考えてなんか書いたりしちゃいけないかもしれない。ましてや、『黄泉の犬』に触れるほどの前提知識がないというか、実際の積み重ねというか、地道な情報の検証というか、そういうところが欠けている。愚かの証拠として、「保存する」ボタンは押すけれどね。

☆彡関連過去記事

わたしの職場にいる人は、オウム真理教の元大臣と小学校の同級生である。Wikipediaにも項目があるような上級幹部である。

 ということで、この人から番組のことを聞いて、ちょっと見てみたのだった。

麻原逮捕後に、小さな本屋のムックコーナーでオウムの広報誌「ヴァジュラヤーナ・サッチャ」を見つけた。俺は迷わずに買った。これは貴重だぞ。学校で見せびらかしていたら、世界史の新人女性教師が「仏像とかに興味があるの、貸してくれない?」と。あらためて言うが、事件後の話だ。そして、男子校で生徒みんなになめられた(肉体的な意味でなく)女性教師は、悲惨だ。俺は、一瞬だけ迷って、貸した。本は返ってきたが、その後の彼女のことは知らない。

 ……もしあの先生が今現在公安にマークされるような生活を送っているとしたら、俺のせいやもしれん。どっかの禅寺で公案に向き合ってんならいいが。