松下竜一『怒りていう、逃亡には非ず』を読む〜義侠の日本赤軍・泉水博〜

 元連合赤軍植垣康博の本を読んでいたら、ダッカ日航機ハイジャック事件超法規的措置日本赤軍に「奪還」された中の一人、泉水博の評伝を読んでえらく感嘆したとういようなことが書いてある。その植垣康博も「奪還」のメンバーに入れられていたが、「自分がいなくなってしまっては、連合赤軍を総括できる人間が一人もいなくなる」と、出国を拒否していたわけで、あるいは遠いアラブで出会っていたかもしれない二人である。
 おれはすぐにその本が気になって検索をする。著者は松下竜一という人らしい。……と、出てきたウィキペディアの著作リストを見ていて、確実に見覚えのある著書が少なくとも二つ出てきた。『私兵特攻』と『砦に依る』。そしてさらに『狼煙を見よ』。どこで見たか。父の本棚である。読んだのか? 読んでいない。ただ、背表紙の文字のインパクトは鮮明だった。
 さて、今回読んだのは『怒りていう、逃亡には非ず』だ。泉水博についてのノンフィクションである。

 はてなブックマークが2つついていて、そのうちひとつはおれだ。2009年6月8日のことだ。日記をひもとけば6月6日に『赤P』のDVDを見ているので、その流れだろう。思想犯でなく、一般刑事犯なのに日本赤軍にスカウト(?)され、アラブに渡った男。気になる存在だ。しかし、その時点で『怒りていう、逃亡には非ず』を読もうというほどにはなっていなかった。というか、本の存在にも気づいていなかった。
 して、なるほどこれは実に……おもしろい本だ。ぐいぐい引きこまれてしまった。1988年、著者が泉水逮捕に関連して理不尽な家宅捜索を受ける場面から始まる。

「なんですか、これは。泉水博なんて、まったく知りませんよ私は」
 馬鹿馬鹿しさに、思わず薄笑いを浮かべてしまった。

 著者が東アジア反日武装戦線についての著作があることで標的にされたのだ。その後、妙な成り行きといってはなんだけれども、ついに「まったく知りませんよ」の泉水について、こうして一冊の本を書くことになってしまうわけだ。

 泉水博の本籍は千葉県木更津市にあるが、出生地は横浜市中区戸部町二丁目三十二番地で一九三七年三月十日に泉水浅吉、とらの二男としての出生となっている。

 というわけで、横浜はじまったな、というところだが博本人は警察の取調べに対して、それが本当の両親なのかわからない、と答えている(本筋にはまったく関係ないが、父浅吉がなくなったのは「横浜市中区竹之丸町」だって。って、竹之丸っておれが昨年末まで住んでたところだし)。酒乱の父は母と離別し、まったく恵まれない家庭環境に育つ。兄は横浜の港湾あたりのやくざの世界に入り、博は母とともに木更津で極貧の中育つ。やがて東京に出て、テキ屋の若い衆になったり競輪の予想屋をしたり、債権取立て、上野のキャバレーのボーイなどをしつつ、小さな暴行や窃盗で前科がつく。

 そして、知り合いの人物に頼まれて、強請につきあったところ、そこで殺人事件が発生。取調べで不本意な供述をさせられるも、「裁判で共犯者と争えばいいじゃないか」と言われて認めてみたら、主犯が第一審の前に自殺。結局、本人曰く「自分は隣の部屋にいて殺人にはまったく加担していない」のに執行猶予中だったこともあって無期懲役を食らう。このあたりは藪の中という話ではあるが、量刑の重さとしては不当に重いんじゃないか、という気はする。
 まあともかく、それで千葉刑務所に下獄した泉水。模範囚として十四年つとめ、内々にあと一年での仮釈放が告げられた中で、今度は確信犯的な事件を起こす。重症患者である一受刑者に適切な手術を受けさせるよう、看守を人質に取ろうとして一人決起するのだ。あと一年なにごともなく過ごせば釈放が待っているのに、死にそうな友を見捨てておけず、また、積年の刑務所内の官の横暴や不正に黙ってはおれんという気になったのだ。最後は灯油をかぶって命がけの訴えをするつもりだったという。この義侠心たるやすごいもんがある、とおれは思うがどうだろうか。
 結局、この「たった一人の反乱」は失敗に終わる。仮釈放は取り消され、さらに懲役が加算されるわけだが……、この件が本来刑務所内で隠蔽されるはずが外に出て、それが日本赤軍の目に止まるのだから、なんという数奇なことだろう。しかも、その件が外に出たキーパーソンというのもすごい。千葉刑務所での決起について、泉水が兄に書き送った手紙にこうある。

 その中でも、千葉刑の事件の計画・実行・その総べてを一部終始知っていたのが、野村秋介君です。今では日本右翼の一翼を担う大物となった彼を君づけでは失礼かもしれませんが、親しく、しかも信頼の出来る、そして常に身近にあった彼に、総べてを話し、最終的にどうしても私の要求が入れられない時は、私自身が焼死することで訴える。そのための灯油他、管理部長を人質としてから必要な、いわゆる七つ道具等総べてを見てもらったのも彼でした。そして、私が失敗したら、その意を含めて行動のすべてを新聞社に投稿してもらうことを依頼したのも彼で、彼はそれを実行してくれました。

 急に野村秋介の名前が出てきて驚いた。これもまた数奇。これについては、というか、本書についても以下を参考にされたしという感じなのだが、いやはや。

 ……っていうことで、読んだ? じゃあ、まあ、これ以上俺が書くこともないか。というか、『怒りていう、逃亡には非ず』を読め、と。

 それで、何に怒っているのかという、そこんところのことをね。なんというか、なんかこれだけ理不尽な目に遭っている人間というのもいないしね、それに対して折れてない人間というのも、滅多にいるもんじゃねえぜって。そう、決死の抗議についても裁判で「長い懲役に倦んだだけだろ」と認定され、なによりもいきなり深夜叩き起こされて、縁もゆかりも知識もシンパシーもない日本赤軍に指名されたと告げられ、事態のわけもわからぬままに決断を迫られてさ。

「私の釈放要求とはどういうことなんですか?」
「それは、君をここから釈放して、彼らのもとに渡せということだと思います」
「大勢の人たちが人質となっているということですが……もし、赤軍の要求が受け入れられなければ、その人たちはどうなるのですか?」
「要求がいれられなければ、乗客を殺すといっています。要求がいれられれば、人質は解放するといっています。――君も詳しく知りたいでしょうが、緊迫した状態なのでこれ以上詳しく話してあげられないんだ。当然、話せないこともあります」

 もし、自分が釈放に応じなければ、大勢の人が死ぬかもしれん。かといって、言葉もなにもわからないアラブに、誰一人知らない、わけのわからん赤軍にどうされるかわかったもんじゃない。闘争をやらされた挙げ句、死ぬはめになるかもしれない。逆に、模範囚として懲役をつとめあげれば、いつかは出獄できるかもしれない。
 しかし、ここで彼は、行くことを決意するんだよ。そこんところが、なんというのか、やっぱりおれはかなりかっこいいと思うんだよ。それで、いくらか気心の知れた旭川刑務所の官とは違い、成田ではいろいろの役人に娑婆に出たいがための釈放希望と決めつけられ、行かないほうがいいと散々に止められるんだが、そこで切ったとされる啖呵がしびれる。それで、一方で、犯人たちのリーダーになんとしても一言いってやろうって思うわけだ。まあ本書を読んでくれ。
 けれども、結局日本のマスコミはこの官の見解を鵜呑みにし、後の逮捕時も「所詮は刑事犯で、日本赤軍のコマンドとしては堕落して酒に溺れていた」だのなんだのと書くし、裁判でも「超法規的措置」とかいうものを強いておきながら、結局「遁刑」扱い。そう、国として一国民に対しての責任を放棄しておいて、結局のところ脱走と同じような扱いにしてんのって、やっぱなんかおかしいよな、と。いや、おれは法律のこととかわからんけどさ。
 でもって、本書では赤軍での泉水の姿も、関係者の証言や手紙などから浮かび上がらせてて、インテリ左翼とは異質なこの人物がどう受け入れられ、どういう存在であったか窺い知れるような形になっている。北島三郎の件とかはおもしろいわ。それで、最後に著者が「ウニタの遠藤さん」から聞いた話を引用しておしまい。

「たとえば、海からの艦砲射撃に備えて山の中腹に塹壕を掘るという作業をするのに、アフリカから来ているコマンドなんか掘った土を四方に放り散らかすんで、パレスチナ・ゲリラの指揮者がどなって指示しようとするんだが、言葉が通じないんだ。そんなとき、言葉より先にさっと穴に飛び込んでいって、掘った土は海側に盛り上げるんだということを、身体でもって教えるのが泉水なんだって。そんな庶民的な義侠心が、人気の秘密だったんだろうね」

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……最初に書いた植垣康博の本はこれ。感想文書いてねえや。『怒りて〜』の解説には、同じく指名されて拒否した沖縄の人の話が出てくるが、行かなかった人の決断というものもまたいろいろあるだろう。与えられていた情報もそれぞれ違ったりするらしいが。