「ぼくは総統のために飛んだ」〜ハインツ・クノーケの手記を読む〜

空対空爆撃戦隊

空対空爆撃戦隊

■『フィンランド上空の戦闘機』に続いて戦闘機ものを読んだ。そっちの本で「宮崎駿絶賛」とか宣伝が載っていたからね。

■本書のタイトルは『空対空爆撃戦隊  メッサーシュミット 対 米四発重爆』なのだけれども、原題を見てみたら『I FLEW FOR THE Führer』とあった。中身を読んでみたら、直訳の方がしっくりくるような気がしたんだ。

■一人称は「ぼく」だ。どことなくロアルド・ダールの戦闘機ものを読んでいるような気にもなってしまった。ダールも5機撃墜のエース・パイロットだが、本書の「ぼく」ハインツ・クノーケは52機撃墜のすごくすごいエースだ。しかも、そのうちの数十機は空飛ぶ要塞のB-17やB-24だ。

■こう言ってはなんだけれども、えらく時代遅れの敵機でも、フライングフォートレスでも同じ1機というのはどうなんだろうか。まあ、ひょっとしたらセイバーメトリクスみたいななにかで数字を弾きだして、「真のエースはだれか?」みたいな話は軍事マニアの間で当然のようにあるかもしれないし、ないかもしれない。

■まあ、そんなのはわからないので、ザッとwikipedia:エース・パイロットなど見てみると……あれ、クノーケの名前がない。ただ、上から二番目に鎮座している、どこかで聞いたことのある人の名前とかは出てくる。

 これはぼくの初めての出撃だった。ぼくはバルクホルン少尉率いる第3小隊に加わることになった。

 初出撃でクノーケはひたすら先輩僚機にくっついていくことに必死で、一発の弾も撃てなかった。

■クノーケが初めて配属されたのは第52戦闘航空団とかいうところで、ラルとかクルピンスキーとかいう人たちと一緒に飛んでいた。ウィキペディアなど読むと、ハルトマンという人が来たのはクノーケが転属になったあとらしい。

■ほかにも、こんな人の名前が出てきた。1940年12月28日、訓練期間終了を間近に控えた陸海空とSSの未来の将校三千人を集めての集会のことだ。

 三軍の最高司令官のうち、最初に到着したのは国家元帥ゲーリングだった。かれとかれの参謀は巨大なステージに作られた席についた。
 一人の長身で痩せ、青ざめ神経質そうな飛行士官候補生がかれに紹介された。かれの名はハンス・ヨアヒム・マルセイユ、かれはすでに一級鉄十字を着用していた。かれはドイツ空軍最年少パイロットとして英国本土上空の戦闘において傑出した功績をあげ、それを授けられたのだ。(つづく二年間に、かれはドイツ軍最高の勲章を授けられ、アフリカ軍団でもっとも、有名かつ、敵におそれられるパイロットとなった。

 ちなみに、こういった名前をみるたびに、このブログの上や右に敷き詰められた彼女らの姿を想像することは、不思議とない。そのあたりは以外と別腹だった。

■そして、ヒトラーの演説。

 ぼくはこの世にこんな見事な雄弁家がいるとは、これまでまるで想像することすらできなかった。かれは誰も抵抗できないような魔力を持っていた。一人一人が、かれが発散する意志の力とエネルギーを感じていた。

 感動的な経験だった。ぼくはこのとき、周囲に立っていた連中が見せた忘我の表情を決して忘れられない。

 なにかもうすごくすごいようだった。ただ、クノーケが述べているように「この三千人のほとんどが陸で、海で、空で死んでいった」のだった。

■クノーケが軍に入って(おそらく)はじめて「死んでいった」人間を見たのは、メッサーシュミットbf109に訓練で初めて乗る日のことだった。くじで最初に飛ぶことになった仲間が空中でスピンをはじめ、立てなおそうとするも御しきれず字面に突っ込んで爆発したのだ。

 ぼくらは全員狂ったように墜落現場へと走って行った。最初にそこに飛び込んだのはぼくだった。シュミットは燃える残骸と化した機体のそばに投げ出されていた。かれは血溜りの中で、野獣のように絶叫していた。
 ぼくは立ち止まり、戦友の体を抱いた。かれは両足を失っていた。ぼくはかれの頭を支えた。かれの叫び声にぼく自身も気が狂いそうになった。血がぼくの両手に溢れている。こんな絶望的な思いに駆られるのは生まれてはじめてだった。絶叫は止んだ。だが静寂はもっと不気味だった。
 そこにクールや他の連中が駆け付けてきた。だが、そのときシュミットはすでに死んでいた。コルナッキー少佐はただちに訓練を再開するように命じた、一時間もたたないうちに次の109が用意された。
 今度はぼくの番だった。

■クノーケが軍に入ったのは、熱狂的なヒトラー崇拝者だったから、というわけではないようだ。少年時代、飛行ショーで「古くさい輸送機」に数マルク出して乗り、空にとりつかれたのだ。そこの描写はすごくいい。1938年7月6日のことだ。

ナチスが権力を掌握したのは、この手記によれば1933年1月30日だという。それ以前の1931年、クノーケはボーイスカウト(プファットフィンダーブント/Pfadfinder Bund?)に加入していた。

 ぼくらはドイツ中をうろつき回り、キャンプやハイキングをし、キャンプファイアーの回りで輪になった歌を歌い、同志愛っていうものを実感していった。

 このボーイスカウトヒトラーユーゲントとは仲が悪く、殴り合いになっただのなんだのという話が出てくる。日本軍でも、少国民世代とそれより数年年上でも相当な意識の差(受けてきた教育による視野の差)があったというが、似たようなものだろうかどうか。

■というか、こういってはなんだけれども、この本が出版されたのが1952年で、西側に紹介されたというか、西側に向けて書かれた、元ドイツ空軍パイロットの初の詳細な回顧録といったものであって、そのあたりは加味しなければいけないようにも思う。実に活き活きとしていて、また生々しくもあって、はっきりいってマイスリーを飲んでいたのに面白くて一気読みしてしまうくらいいい本なのだけれども、ややそういう気にはなった。

■面倒なので引用はしないが、ソ連への罵倒も気になった。なにか全体の雰囲気から浮いているようにも見えた。イワンどもの共産主義からヨーロッパを守らなきゃいけない。ドイツの敗北でスターリンの戦車がヨーロッパを蹂躙する……。

■まあ、しかし、それが本心であっても不思議ではないし、そう書かざるを得なかった、あるいは書いといたほうがいいかな、という気になっていtも不思議ではないし、まあ断定などできないし、どうでもいいことだ。ただ、「イタリアは役立たずだ」とか罵ってるあたりは本心くさい。

■ついでに、ちょっと検索して英語版ウィキペディアの記事を読んだら、こんなことが書いてあった。

In 1951 Heinz Knoke was elected to the legislature of Lower Saxony as member of the Socialist Reich Party.

http://en.wikipedia.org/wiki/Heinz_Knoke

 Socialist Reich Partyというのは日本語版もあって、こんなことが書いてあった。

SRDは、コンラート・アデナウアーは米国の操り人形であり、ドイツ帝国最後の正式な総統はカール・デーニッツだったと主張した。アメリカは戦争の後、ダッハウ強制収容所にガスオーブンを作ってホロコーストを捏造したとしている。復興したドイツ帝国は資本主義と共産主義に対する「第三勢力」によって導かれるとした。
反米や親ソの見解を持っていたのでソ連はSRDに資金を提供していた。そのためSRDは決して公然とソ連の非難をすることはなかった。他方、ドイツ共産党は「効果」がないと考えられていたため、ソ連から資金を受け取っていない。レーマーは、「もしもソ連がドイツを侵略するならば、自分達を交通警察官と位置づけ、ライン川への行き方をロシア人に教える」「ロシア人ができるだけ早くドイツを通過できるように、手を広げる」と述べた[1]。

ドイツ社会主義帝国党 - Wikipedia

 ちょっとクノーケの著作からは結びつきにくいが、まあ、その後べつの党でも政治をやっていたらしいし、ともかく戦後は生き抜くのに必死だったのろうし、いろいろあったのだろう。やはりなんというか、空でこその人間であったのかもしれないし。……とはいえ、老年になって長年の夢だった文学と哲学を大学で学び始めるあたり、そればかりの人物ではない、というか、本書自体がそういう身を持ち崩すタイプじゃないと示していけれども。

■そろそろ眠くなってきたので書き終えよう。……って、空対空爆撃戦の話とかぜんぜんメモってねーじゃん。いや、そのあたりは本読んで、とか。つーか、なんというか、まあしかし、苦肉の策感は否めないし、一発の投下で3機撃墜とかいう戦果をあげた仲間もいたらしいけど、ただでさえ堅い要塞に、さらに直掩機まで着いたら、重い爆弾ぶら下げてやってられんよな、とか。

■というか、末期のドイツ空軍はここまで追い詰められていたのかというか、アメリカの圧倒的な、空をも埋め尽くすような爆撃機に対して数機とかで応戦しなきゃいけないほどだったのか、というか。

■『フィンランド上空の戦闘機』の訳者あとがきで、フィンランド空軍は、えーと、なんだっけ、牧歌的みたいなことが書かれていて「そうかー?」とか思ったんだけど、まあたしかにこれと比べるとそうかもしれない。

■しかしなんだろう、わりと飛行機の故障で事故って死んだりという話は多い。戦時下でいろいろとままならないのだろうし、乗用車みたいに安心安全じゃなくて、ピーキーな代物なのだろう。

■また一方で、撃墜されたりしてもわりと落下傘で脱出して救助されるというパターンも多い。というか、クノーケも何回もパラシュートのお世話になっている。ずっとむかしに日本の『零戦燃ゆ』とか読んでて、日本軍はパイロットの人命軽視(もしくは回性能重視しすぎ)みたいなこと書いてあったと思うが、なんとなくそのあたりの違いはあるのかと。ルーデルとかいう化物じみたエースでなくとも、わりと向こうのエースの被撃墜回数、墜落回数というのは多いのかもしれないなどと想像する(なにか被安打数の多さはそのまま登板回数の多さを示し、大投手の証みたいなニュアンスもありそう)。まあ、たぶんそんなのは何十年も前にどこかの詳しい人が調べているに違いない。

■まあなんだろうか、わりと偏ったところばかりのメモになってしまったかもしれない。空戦シーンなどさすがの迫力だし(クノーケがピンチになると繰り出す螺旋旋回の急上昇離脱ってどんな機動だろう)、ヤンキーのエースと相討ちになって、その後地上で話し合うシーンとか、松本零士かよ、みたいに思うし、ロケット弾やレーダーシステムとかメカの話もあるし、日記調で書かれる手記の日毎の記述がだんたんと少なくなり、どんどん仲間が死に、あるいはひよっこが入ってきてすぐに死んだのに動揺する暇すらないような、そういう切迫感などもあって……って、まあいいや、今日は眠い。間違ってももう一冊借りてきているルフトバッフェものなど開かなようにして寝よう。おやすみ。


1/48 飛行機シリーズ メッサーシュミット Bf109F-4/B 第53戦闘航空団 09945
……まあなんでもいいがBf109(本書ではMe109)はかっこいい。

1/32 エアークラフト No.19 1/32 スーパーマリン スピットファイア Mk.IX C 60319
……けど、本書では「シュピットフォイエル」には敵わんというか、少なくともそうとう強敵に描かれている。