洋ピン忍者軍団金縛りの術


 おれはポルノ金縛りに遭った。本当のことだ。一昨日の夜のことである。
 近所というか隣のアパートでアホみたいにでかい音量でテレビを観ているやつがいる。毎晩ぶっ殺したいと思っている、みたいなことをこの日記に今まで15,935エントリー68,992,845,377,828,655文字書き、ツイッターで140文字いっぱいで25,894,357ツイートくらいしてきたけども、そいつの話である。こともあろうに、もう効きが弱くなってきたマイスリーを食べて横になったおれに対して、そいつはポルノ音声を響かせてきたのだ。ポルノと書くのには意味がある。聞こえてくるそれが洋物だったからだ。洋ピン、といってもいいかもしれない。
 おれはまったくそいつをぶっ殺したいと思ったのだけれども、その前に窓を閉めればいくらか音は軽減する。おれはそうしようと思った。しかし、おれの体は動いてくれなかった。どんな理屈で説明されようがかまわないが、金縛りという状態だ。おれは金縛りになった。ときどき外国の男が何か囁く。洋物のポルノ女優があえぐ。おれは右手一本でも動いてくれと意識を集中させるけれども、ピクリとも動かない。おれは完全にポルノ金縛りにあった。本当のことだ。
 本当のことだ、と書きながら、おれはおれが客観的に見て嘘をついている可能性を否定しない。そういう夢を見ただけなのかもしれない。しかし、おれにそれを証明する術はないし、ますますでかい音量でテレビ見ているやつをぶっ殺したくなっている。その時間帯でいちばん頭の悪そうな番組を大音量で聴いているそいつをぶっ殺したいと思っている。おれはまったくそれがおれにとって正しいことであると思うし、天命のごとく思える。絶対に殺してやる、絶対に殺してやる、絶対に殺してやる……。
 が、今のところ殺していない。おれはすばらしい何種類もの向精神薬抗鬱剤や血圧降下剤を飲んでいるので、ある種の強迫観念や不安感をそこそこコントロールできるからだ。だけれども、性根のところで他人の気分を害してまでテレビの音量を上げるやつは許せないし、そんなのはべつの殺してもかまわないというところがある。仕事に対して金を払わないやつは殺してもかまわないというところがある。本当のことだ。
 ポルノ金縛りから話は変わるが、反原発デモのようなものがある。そのようなものに参加するもの賛同するもの、あるいはそれに反対するもの、趣旨に賛同してやり方に反対するものさまざまいらっしゃるようだ。おれはといえば、まったく興味がない。いや、興味がないというのは正直ではない。おれは頭がわるいからわからない、が正しい。そして、ポルノ金縛りの術をかけてくるやつに対するような感情、すなわち何かに対する怒りのような強い感情も、嫌悪感も湧いてこない。かといって、なにかデモを行なっている人間を冷笑する態度、あるレッテルを貼って否定する態度にくみする気もおこらない。つまりおれは、「なにかやったやつがえらいんだ」という行動主義礼賛の心情があるので、やったやつは馬鹿にできないというところがある。
 だからといって、おれがそれを応援しようとも思えないのは、おれの心情のようなところに正直にいえば、後ろ弾とかいうやつにしかならないからだ。すなわち、おれは今のところ東アジア反日武装戦線三島由紀夫のやり方にすら共感するような人間であって、さらに根っこのところでは宅間守がいたりするので、口を開けば平和的なデモなんて馬鹿馬鹿しいとくさすような言葉しか出ないし、これはもうなにかを変えるならば殺していくしかないだろうというところがある。一人一殺して自分も死ぬしかない。もし自分がやるならば、そこまでいかなければならない。
 言うまでもないが、口だけの話だ。これは口にしただけというのが最低で、やったやつ、やって死んだ奴しか言っちゃいけないことなのだ。口だけ出したおれは、とんだ恥さらしだ。ただ、おれはもうとくに恥じるだけの価値もないので口にして、実行せず、それでふんぞり返って平気な顔をしているという次第だ。まあ世間的には爆弾か化学物質かなにかで人をたくさん殺したことによって唾棄すべき人間がいるよりも、口先だけのやつにつばを吐くほうが平和というものだし、悪くないことだろうと思う。せいぜい唾をためてくれ、はいてくれ。君が女子中学生ならなおさらいっそう歓迎しよう。
 もっとも、おれは口先ばかりの上に、だいたい殺してやるの対象が「近所で大音量でテレビを見ているやつ」であって、なにか社会的な意義のあるようなものに向かっていくわけではない時点で、なんの土俵にも登っていない。たとえば、消費税が増税しようが、政治がどうなろうか、いったい誰を刺せばいいのかわからない。映画の中の森田必勝も言っていたが、やはりわからない。
 ポルノ金縛り殺法封じの秘伝から話は変わるが、埴谷雄高は政治についてこう書いていた。

 政治を政治たらしめている基本的な支柱は第一に階級対立、第二に絶えざる現在との関係、第三に自身の知らない他のことのみに関心を持ち熱烈に論ずる態度である。

 この第三というものがおれには圧倒的に欠けているように思える。もっとも、この三つ目について「無知」と書いているケースもあったように思うが、残念なことに図書館に返却済みなので確認できない。この世界の人間を大雑把に政治と文学に二分すれば、おれは後者ということになるのだろうが、そんな大雑把な分け方をしたところでいったいなんの意味もない。
 ポルノ忍術軍団から話は変わるが、階級対立の話をする。しばらく前に世代間対立が話題になっていたが、おれにはどうもピンとこなかった。年寄りでも金持ちは敵だし、同世代でも金持ちは敵だし、五歳のガキでも金持ちは敵である。おれにとって対立があるとすればそれ以外のなにものでもない。なのに、なぜかある人たちは世代間の格差や対立を論じるし、それについてみながやがや言う。おれには経済というものがさっぱりわからないので、なぜそういうふうに切断するのかまるでわからない。持っているやつは敵だ。ただそれだけの話だ。六本木あたりの高級マンションからジャガーで出てきて、制服を着た駐車場の案内人に頭を下げて見送られる小学生とその親を見たことがあるが、あれは敵だ。ただそれだけの話だろう。あれはおれをテレビの大音量くらい不快にさせた。一方で、おれが毎日毎日見る老人というのは寿町のあたりをさまよい歩いているような連中で、おれが望んだところで手に入らない生活保護を受給しているのやもしれないが、とてもじゃないが恵まれているようには思えない。挙げ句のはてに、おれに救いを求めてくるやつすらいる。死んだやつもいる。冗談じゃない。
 はぐれ洋ピンポルノ忍者月夜の逃走劇から話は変わるが、おれは非常に極端な話をしている。照射する範囲が異様に狭いし、おれの脳みそは強迫の軛を放たれて、非常にだらだらと思うことを垂れ流している。この薬は身体を脱力させもするが、キーボードは我が身の延長線のように叩けるし、言葉というのはいくらでも出てくる。言葉を連ねてどうしようというのかよくわからない。
 よくわからないが、このところ思うのは、この日記というものは死からの逆算だということだ。その死は肉体的なものであってもよいし、いわゆるネット死のようなものでもよい。その場合、余裕のある選択のひとつとしてのネット死ではない。路上か刑務所、いずれかのことである。自死か路上か刑務所か。カウントダウンはずっとまえから始まっている。
 ポルノ忍者軍団暁の奇襲から話は変わるが、おれのような社会、労働、経済に向いていない人間というものの生産性の低さというか、社会への貢献の低さというものは、要するに「生かしておいても意味が無いよね」と率直に語られる老人となにもかわらない。結婚も子供もない。子供があったところで、またおれのような人間が再生産されるだけで、それはおれの内面化した個人的な優生学が許さない。いずれにせよ、上の世代を担う膂力もなければ、下の世代を引き上げる意志もない。葦原の千五百秋のライ麦畑のデンデラ野に追放されたおれが、アマゾンで買ったチェーンソーで金持ちを殺しまくるというのも悪くない想像だが、はっきり言ってアマゾンでチェーンソーを買うくらいならば、毎朝食べるミューズリーを買うだろう。お好み焼きの具を買うだろう。
 おれというのはもはや「お薬手帳」に貼られる処方薬シールで構成されているなにかにすぎないが、そこにゴーストが残っているとすれば、そいつはこの生活に執着しろ、生命の維持に注力しろと命じてくる。おれはそいつが非常に不愉快でならないし、脳内伝達物質がおれを爽やかで心地よいものに変化させてくれないことに不満を感じている。この不快さが果てなき暴力や殺人への願望、ないし、それよりも手軽な希死念慮、自殺願望に直結しているようにも思う。
 洋ピンポルノ忍者軍vs火星独立義勇軍から話は変わるが、メンタルヘルスの問題や希死念慮についてつらつら書くのもとんだ恥さらしのように思える。しかし、おれはもう恥ずべきことはなにもないし、おれの吐く言葉は消失からの逆算にすぎないのだということだ。五年後にまだ生きていて読み返して赤面することもあるだろうし、赤面する心すら持ち合わせていないかもしれないし、日本語が読めるとも限らない。予後不良になっている確率も決して低くないだろう。
 火星圏洋ピンポルノ金縛り連合艦隊の終滅については以上である。これが地球に届くころ、おれは銀河とともに西の方に向かっていることだろう。たとえば、西新井大師とか。ところで、おれは西新井大師がどこにあるか知らない。本当のことだ。

追記☆彡

 パソコンの電源を落として、テレビのスイッチ切って、ヘッドホン外したらマジで洋ピン音声が耳飛び込んできて正直笑いそうになった。思わずアップしてみたが、この環境(iPhoneのカメラで録画→はてなの動画……なんてあったんだっけな)ではかなりの音量にしなくては聞こえないかもしれない。しかし、生身には響く。だから、上に書いたことは、あるていど本当のことだし、金縛りが主観的なものである以上、本当に本当のことだと言えるやもしれん。