松下竜一『豆腐屋の四季』……は読めなかった

 このところしばらく松下竜一ブームで、何冊か読んだ。

 ただ、俺の読んだ松下竜一、とくに「東アジア反日武装戦線」ものとなると、旧来読者からはそうとうに距離のあるものに感じられたようだ。そのあたりはようわからん。ようわからんが、獄中の大道寺将司らで遅れたブームが起きたという著者の原点『豆腐屋の四季』をおさえてみようと思った。

泥のごとできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん―零細な家業の豆腐屋を継ぎ病弱な体を酷使する労働の日々、青春と呼ぶにはあまりに惨めな生活の中から噴き上げるように歌は生まれた。そして稚ない恋の成就…六〇年代の青春の煌きを刻印し、世代を超えて読み継がれた本書には、生涯、命と暮しを侵す権力に筆と肉体で闘いを挑み続けた作家の揺るぎない「草の根」の在り処が示されている。

 が、なんというのか読めないのだ。講談社文芸文庫の解説の人が「涙で読めない」というのとは違って、なにかこう、読めないんだよ。なんらかの抵抗がある。これが根っこだとして、そこから先にある、アナーキストやテロリストの評伝は読めても、これはなにか無理だった。
 まぶしすぎて読めない……というほどまぶしい青春記じゃないよ。でも、下手をすればなにかしらそういう感じがあって。これはうまく説明できないが、嫉妬に近い感情と言ってしまえばそうなのかもしれないし……。そりゃ、おれの方が恵まれたところに生まれ、育ち、現代の方がそりゃいろいろと豊かさもあるけれども……、みたいな。うーん。わからん。
 だから、ちょっとこれはパス、ということにしておいてください、というところ。