図書館があなたに何をしてくれるかを尋ねてはなりません……

 あなたが図書館に何をできるか考えてほしい。……ってなんとなく言ってみただけだが。

返却に訪れたハーリーン・ホフマン・ビジョンさんは、母親の持ち物の中から、図書館のスタンプが付いている本を発見。同図書館で延滞料金免除のイベントが行われていたため、本を返すチャンスだと思ったという。図書館の担当者は、逮捕されるのではとおびえていたビジョンさんに対し、返却してくれた礼を告げた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120903-00000003-reut-int


 こんなニュースを目にする。何十年かかって届いた手紙、何十年ぶりに返却された本、たまにある話だ。そんなのはどうでもいい。気になったのは「延滞料金」の部分だ。シカゴ公共図書館にはそういうものがあるのか、と。
 というのも、おれは三十数年生きてきて、今年の一月に生まれて初めて図書館で本を借り。図書館童貞喪失だ。その後も絶えず返したり、借りたり、返したりしているからだ。何万円分かになるだろう。だからといって、おれは横浜市中央図書館に一円たりとも払ってない。
 税金を通して払っている、とか、図書館の意義は、とか、法律では、とか、そんなのは、どうでもいいんだ。ただ、なんかひどく借りを作ってしまっているような気がして仕方ないのだ。落ち着かないといってもいい。ついには、自分で買って持っているはずの本まで、ちょっと探してもなかったという理由から借りてしまい、なにか申し訳なくなって、ちょっと穴掘って埋まりたくなってしまうようなところだったのだ。
 だからなにかこう、一冊いくらとは言わんし、そんな高くなってもマジ困るけど、なんというのか、勤め人の場合は、たとえば年間千円だとか二千円だとかくらい払うとか、あるいは上みたいに延滞料金(罰金)は取るよとか、書庫から取り出してくる場合(書庫から取り出してもらわない日はないといっていい)は一回五十円とか、なんかさって。
 そう、なんかさ、野毛んとこの、場外馬券売り場の坂を登っていくわけじゃん。したら、競馬会の雇った交通誘導員みたいのが、道を渡るのに車を止めてくれたりするわけよ。でも、おれの行き先は場外馬券売り場じゃないの。でも、そこんところに後ろめたさはなくて、おれはそれ以前にずっと、もうおれのわずかな収入からすると、それなりのカネをまさにその馬券売り場に突っ込んできたし、おしゃれなスマートフォンで買うようになったところで、競馬会に貢献してきたんだってのがある。車止めて、横断を誘導してくれることくらいのことはいいじゃねえかという気だ。何往復でもしてやろうかって話だ。ところが、その行き先ときたら、ロハで本を貸してくれるし、書庫から取り出してきてくれる。蔵書検索のプリントアウトもタダだ。職員の態度も、まるでおれが有料の客みたいだ。もっと愛想悪くてもいい。まるで重荷だ。
 まあ、三つ子の魂百までとはよく言うが、小さい頃からビブリオマニアたる父(まあ、小さい頃は彼がそういう類のものであると知りようもなかったのだが)から、「本は借りるものではない、買うものである」と、ほぼフリーハンドで本を買うことを許されていたとか(父もそう育てられていて、少年時代、本屋は「ツケ」だったのだとか)、そんなプチブルのガキの、没落して本を買えなくなって(というわりに引っ越しの荷物のほとんどが本だったのはなぜか? 捨てたり売ったりできないからだ。これも父譲りだ)、それでもひさびさに読書習慣(といえるほどまともなもん読んでるわけでもねえが)が戻ってきて、けれどそれが無料で、となるところの、なんとも説明しがたいねじれ、みたいなもんがある。うまく言えねえけど。
 でもまあ、しかし、なにかせんとあかんということで、市バスを利用することにしている。なぜならば、市だからだ。市立図書館と横浜市交通局……財布は一緒なのか? 知らんが。あと、おれはもう競馬も自転車趣味もやめてしまい、いくら浮いた金もあるので、その分を漫画の購入に充てつつある。できるだけ古本でなく、だ。図書館で漫画は借りられぬし、ほら、出版文化というやつだ。そこにお金を……。
 ……なにか違うような気がする。まあそんなわけで、なにかひどく後ろめたい感じと、さらにもっと本音のところを言うと、読み返すかどうかもわからんし、置き場があるのかどうかもわからんのに、あの本、この本を所有できないという悔しさ、惨めさというものと折り合いをつけつつ、まあ、飽きるまで利用させてもらいますよ、と。おしまい。