おれの原点だったエンツェンスベルガー『政治と犯罪』を20年ぶりに読む その1

政治と犯罪 (晶文選書)

政治と犯罪 (晶文選書)

 ここに集められた九つの試論は、あらゆる人間に死をもたらす可能性があり、しかもなんぴとをも寄せつけないひとつの関連――政治と犯罪との関連を解明しようとするものだ。
 正当な殺人は存在するか? 誰もが裏切り者なのか? 国家機密はなんの役に立つのか? ギャングである国父、企業家であるギャングは存在するか? このように問う者は古い物語りを新たに語らねばならない。
 本書は正しさを主張しない。ここに出された答えは仮りのものであり、仮装した問いなのだ。
(「あとがき」)

ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガーとわたし


 おれが本書『政治と犯罪』をはじめて読んだのは中学生のころだった。はじめ父が使い、その次に祖母が使い、中学にあがって一人部屋を与えられてすぐのころだった。本棚は父のわりと古い本が並んでいて、そのなかの一冊だった。手にとってみた理由は明確だった。「エンツェンスベルガー」という名前がかっこよかったからだ。「ゲルハルト・ベルガーよりかっこいい!」という具合だ。それと、その当時はナチス・ドイツに関する新書なんかを読んでいたり(中二病的に)して、なにかしらどんなものかと開いたのだった。そして、おれはいくらかの興味深い話や考え方を仕入れて、そのまま忘れてしまっていた。『何よりだめなドイツ』もあったのは覚えているが、読んだかどうかも覚えていない。
 さて、おれが仕入れた考え方とはなにか。「あらゆる刑罰は死刑の執行猶予である」、「犯罪組織は国家に似る。国家はそれをもっとも敵視する」。この二つだ。この日記にも何度か書いたかもしれない。
 とはいえ、この二つの考え方について、正しいかどうかという確信のようなものはなかったし、いずれわかろうかというていどのものだった。後者に関しては、のちにオウム真理教事件が起きて、彼らが国家を模してなんとか大臣を名乗っていたりしたあたりでピンときたりはしたものだったが。
 で、一家離散のさいに、『国家と犯罪』はおれのダンボールにはなかったし、読み返す機会もなかった。ただ、ここのところ図書館というものを利用するようになり、『がんこなハマーシュタイン』(『http://d.hatena.ne.jp/goldhead/20120907/p1』)を見つけたついでに借りてみたのだ。それでもって目から鱗が落ちまくった。なんというのだろうか、戦争にまつわる悲劇的なエピソードひとつと、二十代も後半になってから自分が興味を持ち始めたように感じていたことについて、その種がこの本のなかに散りばめられていたんだ。まったく、なんというか、いやはや、と思った。思ったし、なんかショックだったくらいだ。読んでいたんだ、知っていたんだ、って。
 というわけで、いくらかメモを残す。ちなみにエンツェンスベルガーはこんな人。

 はっきりいって、ドイツ的に、世界的に、どういう位置にあって、どんくらいの知名度がある人なのかはぜんぜん知らんし、興味もない。おれにとっては、本棚のなかにたまたまあった一冊の本の著者だった。その本が書かれたのは1964年、日本で出版されたのは1966年。おれが知っているのは、こんなにかっこいい表紙ではなかった。

「ガラスケースのまえでの考察」

 犯罪とは何かを、ぼくらは知っていると同時に、知らない。

 という書き出しからはじまる第一章。エンサイクロペディア・ブリタニカやホッブズの言葉をひいてきて、いずれも同語反復的でしかない。「処罰されるようなことが犯罪であり、犯罪とは処罰にあたいするものは有罪であり、有罪は処罰に値する」と。
 でもって、実際の件数が全体の犯罪数のなかのごく一部にもかかわらず、犯罪の代表格とされるのが殺人だ。そしてさらに、刑罰の究極にあるのも殺人であるところの死刑だ。

 「もっとも進歩し、もっとも開化した」社会体制でさえも、人間による人間の殺害を予想しているし、認可してもいる。――ただし、これは「極端」なばあい、たとえば革命的状況や戦争のばあいだけれども、ほかのばあいにはしかし、支配権の根本構造は露呈されてはいず、隠蔽されている。命令というものは、昔もいまも「執行を猶予された死刑判決」(カネッティ)なのだが、しかしこの判決は、途方もなく間接的な脅迫としてのみ語られ、潜在的にのみ存在している。このような拘束が歴史のなかで制度的に固定されたものが、法として現象するのだ。

 ……カネッティ? 

 すんません、ノーベル文学賞の人しらんで。いや、引用だったのか。まあいいや。いやよくない。おれは、あらゆる「刑罰(懲役10年とか、カホオラウェ島に遠島を申しつける、だとか)」と思ってたけど「命令」やんね。若干というか、なんか意味違くね? よくわかんね。

 法秩序の二面的性格がもっともよく読みとれるのは、刑罰の問題においてである。あらゆる命令が「執行を猶予された死刑判決」だとすれば、刑罰はそれの、たとえ和らげられるばあいもあるにしろ、執行を意味する。死刑は最古・最大の刑罰、ほんらいの刑罰だ。もしこれが廃止されるなら、罰するという国家の義務ならびに権利は、宗教的観念の呪術的な闇を脱して、合理的思考の野に出てくる。死刑を論ずれば、刑罰そのものが論じられるから、ここでは人と人の意見が分れ、体制と体制の意見が分かれる。死刑論争の熱っぽさは、こう考えてこなければ説明がつかない。

 うん、分かれる。

 おれ自身分かれる。

万人の名による殺害は、公開の場所でなければできない。この殺害には万人が関与しているのであり、絞刑吏はみんなの代理人でしかないのだから。

 というあたりとか、このあたりのこととか、死刑を考えるときにぜったいに頭をよぎることだ。エンツェンスベルガーは、「死刑の廃止は国家の本性を変革することにもなろう。それは、まだぼくらからはるか遠くにある社会秩序を、先取することなのだ」とまで言って、個人の生殺与奪の権利こそが国家主権の核心なんだ、という。
 と、死刑とその廃止の歴史にはあまり詳しくないが、今2012年、死刑廃止国なんてのはゴロゴロしている。っつーか、ドイツは?

 西ドイツは1949年に廃止されてんじゃん。でも本書が書かれた当時は議論が再燃されてたあたりか)。で、死刑廃止国は死刑の廃止ではるか遠くの社会秩序を手に入れることができたんだろうか? 死刑存置国である日本のおれにはよくわからない。さらにいえば、おれが理性では(そう呼べるものがあるならば)死刑廃止派に決まってんのに、正直なんかもやもやが残ってるとすれば、なにかこの国の呪術的な観念のせいかもしれないし、おれ自身が希死念慮の先の絞首台を望んでいるという病理によるものかもしれない。
 そして、「ガラスケースのまえでの考察」は、さらに社会への考察、アウシュヴィッツと広島の時代、核兵器の問題をとりあげ、「法を公布したり司ったりする者たちは、異様な状態に落ち込む」例として、ナチスユダヤ人虐殺と同時に行った動植物愛護の話や、冷静に熱核戦争後の人口回復を計算するハーマン・カーンの話、そして有名なミルグラム実験の話などが出てくる。
 そして、話は国家と犯罪、犯罪者の話に。

 犯罪団体が組織されるやいなや、それは国家の中の国家となる傾きがある。かかる犯罪結社の構造は、そのライヴァルであり商売仇である支配権力の形式を、忠実に模倣する。

 そして、ガラスケースの前の……エルサレムのガラスケースの前の考察は続く。一冊書き下ろしの本ではないが、第一章が実に奥深く、問いに満ちている。

「ラファエル・トルヒーヨ」

 第二章はドミニカ共和国の独裁者トルヒーヨの評伝である。かれがいかに一つの小国に君臨し、ファミリーでその支配を確立していったか。その背後にアメリカ合衆国の後押しがあり、しかしやがてそのアメリカの権益にまで手を突っ込もうとして共産主義への接近のような揺さぶりをかけた挙げ句の……。

 トルヒーヨの体系は、ひとつのパロディーである。すべてのパロディーと同様、それはオリジナルのもつ特徴的性格を極端にまで推し進め、そのきわめて純粋なすがたを示し、そしてそれを曝き出した。この場合のオリジナルとは、従来の政治、言い換えれば、従来のいっさいの政治であり、前史の国家術にほかならない。トルヒーヨの体制に独自なものといえば、わずかにその徹底ぶりと素直さにすぎなかった。

 さて、このトルヒーヨのような「パロディー」の国はいまだにいくつか思いつくし、それらのオリジナルというものがあれば、それはわれわれとも無縁ではないだろう。ところでおれは、ガルシア=マルケスは半分以上読んでるけど、なんでか『族長の秋』はまだなんだ。今度読もう。

「シカゴ・バラード」

 つづいては、アル・カポネの話だ。

 「おれは百万人の胸のうちから生まれた、お化けなのさ」と、この男は生涯の終りにいった。このことばからは、なみなみならぬ知性がうかがわれる。かれという存在を特徴づけるのに、これほど簡潔で的確なことばは、ほかにない。カポネは歴史の中の人物だが、想像のなかの人物でもある。

 禁酒法、古き良きギャングたちの時代。しかし、それに取って代わっていく、事業家、企業家としての第二世代のギャング、その代表格でもあるカポネ。著者は「国民の要求をみたし」、「公共の必要にこたえ」、「現況に応じ」たことで国民に歓呼の声で迎えられたアドルフ・ヒトラーになぞらえもする。
 ただ、アメリカ人とカポネの場合は違うものがあった。

カポネは国の社会秩序を攻撃したから成功したのではなく、その秩序の諸前提を遠慮なく受け入れたから成功したのだ。

 カポネは国民の要求を満たす実業家だった。いつも机の上にワシントンとリンカーンの肖像を置く、反共主義者だった。

 ギャングを桁外れの人物にするものは、その成功ではない。逆に成功は、かれの存在のもっともノーマルな、もっとありふれた面である。ちょっと才ばしった屑鉄商人の成功と、それは変わるところがない。しかし屑鉄商人は、ギャングとは違って、人類の集団的な夢のなかに、ながく生きつづけることはない。ただ死んだギャングだけが、ファントマやスーパーマンとして、空想の世界の中を飛翔する。この世界は、そこではいっさいが可能で、なんの抵抗も受けない世界、暴力的で幼稚的な世界だ。その中心人物がカポネである。かれの帯びた後光は、あらゆる神話とひとしく二枚がさねで、良い夢のようでもあれば、悪い夢のようでもある。鉄仮面をかぶった蛙が素顔をさらせば、それはみんなの顔なのだ。

さようなら、ギャングたち (講談社文芸文庫)

「プペッタ あるいは新カモラ団の終焉」 「ウィルマ・モンテーシ ある死後の生命」

 この二編は、イタリアをさわがせた大スキャンダルを紹介したものである。前者ではやはり旧式のギャングたちの終りと、それにとってかわる国際的カルテルの姿が描かれ、後者は権力とスキャンダルについて描かれているが……という。いずれもラジオ放送用に書かれたもの。

「無邪気な脱走兵」

 やつらがおれを撃ち殺すのは、おれが脱走したからじゃないんだ。脱走兵なら、何千といるよ。やつらはただ、見せしめがひとり、要るだけなんだ。それで、やつらは、このおれを選んだんだ。おれが、むかし、刑務所にいたというわけで。むかし、といったってまだチンピラの時分に、何度か、つまらんものをくすねたことはある。だからといって、やつらはいまになっておれを銃殺にするんだ。十二の年に、おれがガムとパンを盗んだからといって、やつらは銃殺刑にするんだ。そのためにうちころすんだ。

南北戦争以来、アメリカ軍において脱走・敵前逃亡の罪で銃殺刑に処された唯一の人物である。
第二次世界大戦中、アメリカ軍では程度の差こそあれ脱走や逃亡を行った兵士が2万1千人を超えた。そのうち49人が銃殺刑の判決を受けていたが、実際に執行されたのは、スロヴィクの銃殺刑のみであった。

 今回、『政治と犯罪』を読んで一番の衝撃はこの章だった。だって、おれ、この話を知ったのはカート・ヴォネガット経由だと信じきっていたからだ。そのうえ、この話を再読したいと、ときどきヴォネガットの文庫をめくっては、この話がないか探したりしたことだったあったぜ。いやはや。でも、この本だって冒頭にこんなイラストが入ったりしてて、模造記憶を埋め込んだ責任はあるといえる。

 このイラストは「ガラスケースの前の考察」の前のだが、なんかこう、勘違いさせるのに充分だろう。ちなみに、この章はアメリカ国旗。ただし、ヴォネガットのイラストより上手だ。
 まあそんなことはどうでもよくて、プライベート・スロヴィクの話だ。エンツェンスベルガーの祖国ドイツでは一万人以上が脱走の罪で処刑されていると推測されているし、労農赤軍なんて後ろから督戦部隊が撃ってくるくらいだし、始まる前から大粛清してるし、日本軍だってひどいもんだったろう(こないだなんかドキュメンタリやってたらしいが未見。まあ『ゆきゆきて神軍』みればいい)。ただ、アメリカ軍は一人なんだ。あわれなスロヴィクひとり。
 そして、ひとりというがゆえに、その経過というものに、なにかゾッとするものを感じてしまうし、スロヴィクがたぶんそんなに悪いやつじゃない、というか、そうとうにいいやつだったろうということがわかって、ともかくうなってしまう。もちろん、ドイツやソ連や日本で処刑されたやつにだってうんといいやつはいたと思う。
 このスロヴィク、ポーランドアメリカ人の悲劇はさ、なんというのだろうね、生まれた時期も悪く、大不況下のデトロイトで、そんな中でポーランド系の移民の子がどんな環境で育ったか。それでも、きちんと少年刑務所職業訓練を受け手に職をつけ、外に出たらブリキ工としてまじめに働き、恋愛結婚し(戦争景気で職はたくさんあり、逆に若い男の多くが兵にとられていてライバルが少なかったというのがあるにせよ)、車を買い、家を買い、モダンなキッチンセットを買い、まさにアメリカンドリーム……と、そこで赤紙だ。いつの間にか、「兵役免除」から「兵役適格」になっていたのだ。
 そんで、この件について調べたアメリカ人ジャーナリスト、ウィリアム・ブラッドフォード・ヒュウがインタビューした関係者みんな、刑務所の担当官から戦友まで、ともかくスロヴィクは人を殺せるようなやつじゃないって、そんなふうに言う。かれにとってはいったいぜんたい、なにがどうなって戦争なんてものが起こっているのか、なんで自分がだれかを恨み、殺す訓練をしなきゃいけないのか、わからなかったのだ。そして妻へのひっきりなしの手紙で「どうして『やつら』はおれたちにこんな仕打ちをするんだろう」と問い続ける。
 『やつら』。スロヴィクにとっては、日本兵でもドイツ兵でもなく、アメリカ合衆国という国家。そして、スロヴィクは自らが逃亡する意志のあることを書面にして上官に提出する。見なかったことにしておいてやると言われても、それは曲げなかった。そして、かれは軍事法廷に立つことになる。著者は、ここでスロヴィクが生まれてはじめて自分の行為を意識し、『やつら』にノーをたたきつけ、おのれに対する限りない痛みを帯びたイエスを言ったのだというが……。
 次の引用、漢数字を読みやすいよう算用数字にした。

 第二次世界大戦中、合衆国において、徴兵検査を受けた兵役義務者は、11,642,603名。入隊した者、10,110,103名。正規の軍事訓練を了えた者、2,670,000名。ここから統計は不正確となるので、推測をよぎなくされるが、この約260万の正規兵のうち、おおよそ100万の兵隊が戦闘行為から免除された。その理由は、自傷、自家製の神経疾患、故意の軍規違反、あるいは兵役忌避者に対する配置転換などである。
 そのうち推定約4万名が、法的意味での敵前脱走を犯した。その大部分は懲戒処分を受け、または不名誉な行動をもって軍から追放された。こうして軍事法廷に立たされたのは(ここで統計の数字はふたたび文句なく正確となる)わずかに2,864名である。死刑の判決を下された1,000件以上のうち、総司令官に確認されたもの、わずかに49件。この49件のうち、執行されたもの、わずかに1件であった。スロヴィクは、かれが自白書に署名したとき、本気で行われることになるこの唯一の判決が、まさかじぶんに下されようとは思わなかったのだ。その判決を下した裁判官たちでさえ、そういう結果を予想してはいなかった。

 「その判決を下した裁判官たちでさえ、そういう結果を予想してはいなかった」。ここのところに『やつら』の怖さがある。そう、銃殺刑執行にまでは、師団の軍事法廷→師団司令官の再審査→方面軍総司令官→総司令部法務部の手続き適法性調査を経なくてはならない。最初に判決を下した人間は、実際にこの手続きを経て銃殺が行われるとは思っていなかった。しかし、通ってしまった。そこのところの、なんというのだろうか、事務的な、機械的な、そう、彼のレコード(前科)を見て、パスト(過去、どんなやつだったか)をいっさい見ずに、ただ書類に判子(サインか)だけつかれていった結果が、銃殺刑だ。一方でスロヴィクは、ほかの100万人なら100万人がうまいことやりおおせたような気の利いたこずるい逃亡はできなかった。しようとしたのかもしれないが、あまりに実直すぎたのだ。
 おれは、なんというか、なんといっていいかわからん気持ちになる。おれも兵隊にとられたりしたら、おっかないから逃げたくなる。自分の脚くらい撃ちぬくかもしれない。まわりでうまくやってるやつを見りゃ、真似するかもしれん。いや、それ以前になんというのか、赤紙の恐怖、というのもある。そこんところがやっぱりこの話の肝であって、「実際に執行されるとは思わなかったよ」くらいのことで一個の人間、妻思いのわりといいやつが殺される。それを命令で殺さなきゃいけないやつもいる。そこんところに強い衝撃があった。
 もちろん、先にあげたように、ドイツや日本やソ連なんかもっと悲惨だったかもしらん(イギリスあたりはどうだったんだろ?)。戦場でぶっ殺されたアメリカ人の方がもっと悲惨だったかもしらん。しかし、しかしだ、なんというか、たった一人銃殺されたアメリカのやつ。ここんところに、なんか凝縮されたおっかなさがあって、ひときわ印象に残ってるんだ。
 しかし、そういえば、二次大戦あたりのアメリカの歩兵の発砲率がわりと低くて、どうやってそれを引き上げていくか、みたいな話もあったんだっけ。まあ、やがては小型無人機がやるようになる。とはいえ、それを操縦するやつもいるんだろうが、心理的障壁なんてものはもっと低いだろうし、なにより自分が死ぬ想像というのは、ソ連タンクデサント兵になったりするのに比べたりすりゃずっとずっと低いだろう。それでも嫌だといったところで、アメリカ人の命は高いから、銃殺刑なんかにゃならんだろう、今は。だけど、それでも、なんかそりゃいいことなんか? おれにはようわからん。わからんよ。

追記☆彡

……英語版にこんな記述が。

Kurt Vonnegut mentions Slovik's execution in his novel Slaughterhouse-Five.

 って、『スローターハウス5』をちょっと探しても出てこないおれの押し入れよ。

長くなったので、続く(たぶん)