日中、開戦したってよ


 9月だというのにまったく暑かった。おれは古びた神奈川県庁の地下の一室にいた。いつか入札の説明に来た部屋のような気がした。がらんとした室内には、面接官の役人とおれの二人だけだった。会議用の長すぎるテーブルを挟んで、名前だの生年月日だの、いくつかの質問をされた。おれはそれに答えた。まったく、丁寧に、嘘偽りなく。
 「……あなたの最大の弱みは何ですか?」
 「金属バットで頭を殴られると死にます」
 「フルスイングで?」
 「いや、金属だと当たりどころ悪かったら軽打でもいっちゃうんじゃないっすかね?」
 「ああ、骨が無事でも脳がね。まあ、どのみちあなた、死にたいんですよね」
 と、面接官はなにか手元のペーパーをめくる。おれに関するなにごとかがプリントアウトされている。
 「希死念慮ってやつですね。お薬も飲んでますね。自死か、路上か、刑務所かって、まあ今はそれどころじゃないのはご存知ですよね?」
 「ええ、なんとなくは」
 「それに、あなた、率直に言うと収入も低いですよね。30歳、いや、せめて30代で年収500万円とかいってないと、そりゃまあ死ぬしかないです、きわめて日本式なやり方で」
 「まあ、そんなとこじゃないかと思ってたんですよ、きわめて日本式なやり方でと」
 「それに、国民年金の未納期間もある」
 今度は年金の書類をめくってる。
 「まったくお調べのとおりですね。……ああ、ところで後納太郎さんってどうなったご存知で?」
 「ああ、彼ね、やっぱりあれだったね。まあそういうもんでしょう」
 と、自分の両手で首を締めるジェスチャーをする面接官。
 「ああ、まあそういもんですよね」
 「まあ、そういうわけで、それで、あなたね、今さら路上もないし、刑務所もないわけですよ。それで、きわめて日本式なやり方やるんなら、ちょっとは役に立つ方法もあるし、まあその点では国民年金の未払いも帳消しになるわけですが」
 「うまい話ですね」
 「うまい話ですよ。それにあなた、自転車にお乗りになるからもってこいときたもんです。なに、べつにすごいスピードも持久力も必要ないです。簡単なお仕事ですから」
 「あ、自転車使うんですか? 一応走れる状態にあるロードバイクとかありますけど」
 「いや、自転車はこちらで用意していますので、それに乗って、ちょっと走ってってもらえばいいんですよ」
 「ああ、そうっすか。まあそれでいいです」
 「他に何かありますか」
 「うーん、やっぱり人殺すことになりますかね?」
 「まあ、それが目的なんですよ。当たり前ですが、やっぱり気乗りしませんか?」
 「やっぱりその、あいての末端の兵隊ってのは、地方出身の貧乏なやつとかでしょ?」
 「けど、うまくいったら都会育ちの金持ちの将校とかもいるかもしれないですよ」
 「そいつ、アウディとか乗ってますかね?」
 「乗ってるでしょうね、アウディ
 おれは、楽天市場で買ったプラスチック製の実印をなにかの書類に捺した。おれは捺印する機会なんてあまりない人生を送ってきたので、やっぱりそれはずれて、かすれて、曲がっていた。

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 おれたちが次に集められたのは、市庁舎のビル地下駐車場だった。おれと同じくらいの、この先もなさそうだし、これまでもとくになにもなかったようなやつが何人かいた。てきとうに無関心の距離を保って、何ごとを話すでもなくぼんやり待っていた。なにを待っているのかもよくわかっていなかった。
 ビルの上に入ってた証券会社なんてのはとっくにもぬけの殻で、役人がいくらか残って仕事をしているようだった。地下はかろうじて電気がついていたけれど、むちゃくちゃ暑かった。おれは事前に与えられた作業着の袖を勝手にめくって、死ぬんだったら煙草の一服でもしておこうかとか、そんなことを思っていた。
 と、工事用の黄色いヘルメットをかぶった若い役人が自動ドアの向こうから入ってきた。ヘルメットはまったく似合ってなかった。おれたちは一応整列らしきものをした。
 「えーと、1、2、3...みなさんおそろいですね。それでは、みなさんのお仕事の説明をさせていただきますRです、よろしくおねがいします」
 Rはまだ20代後半くらいで、ストライプの入ったわりと洒落者のワイシャツを着て、腕にはやけに大きい腕時計をしていた。どこで売ってるどんなブランドかおれにはわからなかった。その腕時計をした腕で、駐車場の片隅を指さした。
 「あれがですね、みなさんに乗っていただく横浜市最終決戦兵器になります」
 Rが指さした先にあったのは、少し頑丈そうなママチャリの後部に大きなリヤカーが接続されていた。リヤカーの上には空き缶でパンパンになったゴミ袋が積み重なっていた。
 とくにだれもなにも言葉を発しなかった、表情が変わるふうでもなかった。
 「みなさんこのあたりの方ですし、まあ見慣れたものとは思いますが、まあ積んでるのは空き缶じゃないわけです。みなさんには、あれを漕いでいってもらいます。ええ、なにかご質問はありますか?」
 整列らしきものの一番右端にいた男が挙手したようなしないような動作をして言った。
 「どこに向かって漕いで行くんでしょうか?」
 Rはおしゃれなビジネスバッグからファイルを取り出しながら言った。
 「詳細といっても、簡単な地図のコピーですけど、本牧ジャスコになります。そちらに敵が橋頭堡を築いているところです。ほかになにかありますか?」
 せっかくなので、おれも挙手したようなしないような動作をして言った。
 「あの、できたらでいいんですけど、あのリヤカーの、あれの中身なんですかね? 空き缶ですか?」
 Rは一瞬間を置いてこう答えた。
 「ちょっとそれはお教えできないんですけれども、まあ……爆薬よりはちょっとしたものが入っています。決して途中で中を開けたりはしないようおねがいします」
 「はあ」

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 おれたちは5分おきに出発していった。自転車に不慣れなもの、体力不足のものには電動アシスト付き自転車があてがわれた。おれは内装3段式の単なるママチャリだった。リアカーの側面には「横浜はじまったな」というペイントがあった。軍手をはめた手で触ってみると、白いペンキが擦れ落ちたので、塗りたてのようだった。
 いよいよおれの番が来た。Rが笛を吹く。おれはサドルの高さだけ合わせた自転車を漕ぎ始める。ママチャリには久しく載っていないし、うしろにリアカーをひくのも初めてだった。地下から路上に出る坂が難所に思えたが、意外と脚は動いたし、漕いで路上に出ることができた。
 坂上で一息つくと、関内の街に人影はなく、まったくおれ一人だった。日差しはあったが、ときどき吹く風は9月のそれで悪くない気分だった。街路樹はさらさらと音を立てた。
 おれは山手隧道から本牧通りを通る、坂のないルートを頭に思い浮かべ、自転車を漕ぎ始めた。おもいのほかペダルは軽く、リアカーのすら心地よかった。おれはまったく悪くない気分で自転車を漕いでいった。途中で工事用のヘルメットを脱ぎ捨て、軍手も捨ててしまった。
 9月の陽光はおれに降り注ぎ、風はただ気持よかった。街は人っ子一人いなかったし、道には車の一台も走っていなかった。おれはまったく悪くない気分だった。信号機なんてもう動いていなかったし、おれはただスピードにまかせて自転車を滑らせていった。ただジャスコに向かって、まったくの上機嫌で、一番のお気に入りの軍歌を口ずさみながら。

 おしまい。