「人間、死ぬときゃ死ぬんだよ!」と若松監督は言った

12日夜に東京・新宿区内で交通事故に遭っていた映画監督の若松孝二(わかまつ・こうじ)さんが17日午後11時5分、搬送先の病院で死亡した。76歳だった。

http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20121018-OHT1T00010.htm

 映画監督若松孝二が事故に遭って重傷、ただし生命に別条なし……とネットの新聞記事で知ったのは一昨日。数日来体調を崩していたおれが熱発して会社を早引けしたのが昨日。熱のせいか、悪い夢を見て目が覚めたままにiPhoneでつらつらツイッターのタイムラインを眺めていて訃報を目にしたのが今朝。その途端、「人間、死ぬときゃ死ぬんだよ!」と、横浜ジャック&ベティの舞台挨拶で言い放った若松孝二の言葉が脳裏を走った。


 そのセリフは、べつに『11.25自決の日』の三島由紀夫や森田必勝についてでもなければ、連合赤軍の若者たちについての言葉でもなかった。この映画を宣伝してくださいよ、という流れで、「やれ猫がかわいいだ、恋人が死んだだ、そんなくだらない映画はどうでもいい。人間、死ぬときゃ死ぬんだよ!」と、なかば笑いを誘うように言い放ったものだった。そして、もう一本撮り終えているし(『千年の愉楽』のことだろう)、来年にはもっとすごいのをお見せできるはずですって、そう言ってたんだ。おれは当然それを観るものだろうと思ったし(『海燕ホテル・ブルー』は見逃してしまったので説得力ないか)、また舞台挨拶があるのなら、絶対にチケットの行列に並んでやろうって思ったのだ。若松監督の発する覇気のようなものから、まだまだ新しい若松映画が観られるもんだと、そう思っていたのだ。
 まったく。
 人間、死ぬときゃ死ぬのか。
 しかし、こうもあっけなく、タクシーにはねられて。
 『13人連続暴行魔』のラストかよ。

「和菓子屋で働いてた時ね、一緒に大釜でカリントウを揚げてた仲間が、大釜の油の中に落っこちて、本人がカリントウみたいになっちゃって死んだんですよ。でも、和菓子屋の対応は、、田舎からその子の両親を呼び出して、遺体を引き取らせて、それっきり。謝罪も補償もあったもんじゃない。人生って、こんなもんなんだな。それだったら、俺は短くても太く生きてやる、と思った。
―『11.25自決の日』パンフレットより

 おれはあまり映画をたくさん観ていないので、ほかと比べて若松映画のここがすげえんだ、とか、そういうのはよくわからんし、だいたい観ていない作品の方が多い。それでもなにか惹かれるところがあって……なんというのだろう、スクリーンやモニタと、それを観ている自分が零距離だ、間になんか膜がねえんだって、そんな風に感じさせる生々しさがあってさ。

「僕は、小道具だとか美術だとか、そういうところには、あまり細かい注文はつけない。だって、しょせんはウソなんだから。ホンモノらしく見せようったって、どうやっても劇映画なんてウソなんだし、それはお客さんもわかってること。だから、ディテールの再現に血道を上げるより、僕は独立プロとして限られた予算とエネルギーを、人間の表現に集中させたいんですよ」
―『11.25自決の日』パンフレットより

 それが生々しく感じるところだろうか。よくわからない。ただ、かくなる上は、「自分でもキチガイじゃないかと思う」というくらいにしばきあげた、最近の若松映画の出演役者たちの活躍を期待するしかないか。でもな、ファンを名乗れるほど、若松作品を観てないんだ。ああ、まったく! まあいい、これから観るさ。
……

 パンフの最後に、監督が、最近持ち歩いている小さな手帳に、自分への戒めとして並ばせている、4つの言葉が紹介されていた。

「群れない」「頼らない」「ブレない」「褒められようとしない」

 くそったれ、かっこいいじゃねえか! まったく!