この世の中の愚かな乗り物〜宮崎駿『泥まみれの虎』を読む〜

泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート

泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート


 いつだったか女と一緒に靖国神社遊就館に行ったことがあった。いろいろの展示の中で、女が人間機雷「伏龍」の潜水服を見て涙を浮かべていた。若い息子もいて、いろいろな思いが去来したのだろう。「なんでこんなばかばかしいものを本気で……」とつぶやいた。おれもそう思った。そう思う一方で、「なんでこんなにばかばかしく、おかしいんだ」と思った。おれの「おかしい」には「狂ってる」という意味と、「可笑しい」という意味が不思議と重なり合っていた。ひどくブラックなユーモア、シニカルな狂気。愚かさを賢さで論詰するのもいいだろう。馬鹿を理性で説き伏せるのもいいだろう。悪心を善心で折伏するのもいいだろう。だが、そんなもの笑ってしまえ、そんな思いが、おれにはある。

 おれが……すっかり嵌り込むほどでないにせよ、ミリタリーに惹かれるのはなぜだろうか。力が欲しい、というような無意識の慾望についてはカウンセラーにでも聞いてくれ(『じょしらく』の「飲む、欝、カウンセリング」はすごい好きなネタなんだけど、惜しいことに順番が……の思いにもとらわれる)。おれはよくしらない。ただ、人間が人間を殺すために無制限のアイディアを出し、それに対抗する人間が人間に殺されないために無制限の対抗策を考えだす、そんなろくでもないバーリ・トゥードが好きか嫌いかといえば、それほど嫌いじゃない。むしろ……好きかもしれない。
 バトル・オブ・ブリテンブリテン人どもが使ったパラシュート・アンド・ワイヤ。あるいは阻塞気球とそれをぶった切るために妙なフェンダーを取り付けられたHe111。いや、もっと悲惨でしょうもないものを数え上げていったらきりがないだろう。
 と、つい飛行機の話になってしまったが、戦車について話をしたい。なぜならば、アニメ『ガールズ&パンツァー』が始まったからだ。おれはこのところ一、二冊独ソ戦の本なども読んで、ややミリタリーづいているものの、どっかの無法当選者いや、無砲塔戦車かと思ったら三突だったり、多宝塔いや、多砲塔だからソ連ものかとおもいきやアメリカさんのだったりして(だってなんかカラフルなんだもーん)、これは勉強せねばと思ったわけだ。その結果手を出したのが上の宮崎駿『泥まみれの虎』であり、『ガルパン』にも出てきた(よな?)の『萌えよ!戦車学校』とそのII型の三冊だったりするのだが(IIIとIVもそのうち買うよ、たぶん)。
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 ……で、いや、しかし、俺の頭には「戦車と戦車っぽいもの(自走砲とか突撃砲とか)の違いは、自らの主砲で自らの装甲を撃ち抜けるかどうかだ」という妙な定義が昔から、それこそ小学校か中学校かくらいから埋め込まれていたのだが、そんな話どこにも出てこない。これはいったいなんの勘違いなのだろうか……と、ふと検索から「戦車」を外してみたら昔の戦艦の定義か? まあいいや、そこまで深く入り込むまい。あんまり深くないか。
 というわけかどういうわけか、まあ宮崎駿の『泥まみれの虎』はwikipedia:オットー・カリウスの自戦記『ティーガー戦車隊』の一場面と、『ハンスの帰還』というベルリン陥落後、ドイツ兵とドイツ人民が西に逃れようという例の撤退戦というかなんというかを描いた二編の漫画。そして、オットー・カリウスの戦場と本人を宮崎駿が訪ねるエストニア、ドイツ紀行、そして「戦記世界の迷路をさまよう」というインタビューで構成されている。そのインタビューで、こんなことを言ってる。どこの国でもそうだが、日本の戦記の場合情緒的すぎるっていう流れのあとだ。

 で、たま〜にですね、とくに負けた国の中で、なんていうのかな……ドキュメントとして価値のある戦記があるんです。ヘルベルト・ヴェルナーの『鉄の棺』っていう本と、それからクノーケってパイロットの『I FLEW FOR THE Führer』っていう本。日本語版では『空対空爆撃戦隊』なんてすごいタイトルがついてるけど(笑)、あれはそうじゃなくて『総統のために飛んだ』って原題ですよね。そういうクノーケやヴェルナーの戦記なんかは非常にドキュメントとして優れていますね。

 おお、ほら、おれもおんなじ風に思った!

 そうか、これが宮崎駿絶賛か。ようするに、殺し合いという異常が普通の世界の中で、いかに冷静沈着に頭を働かせ、これを生き抜いたかというところに、なにかこう、人間の力みてえなもん、あるいは「正気」ってやつがあるってところ、そこんところに、この人は惹かれてるのかな、とか。あえて、人類の恥部の中で、べつに英雄譚じゃなく(現にルーデルの自叙伝は好きじゃないって言ってる)、普通の若者がなんとか生き抜くという。そういう意味じゃ、たとえばドイツのエルベ特攻隊の話で、飛んでてバカバカしくなって爆弾捨てて家に帰ろうとしたやつなんかも、ある意味じゃそうなのかもしれない(特攻隊やったの日本だけじゃなかったのね〜『ヒトラーの特攻隊』を読む〜 - 関内関外日記(跡地))。
 と、まあそんなわけで、特に脈絡もなく終わるけども、えーと、なんだっけ、『ガルパン』だとすばらしいストライクウィッチーズでペーペー役の福圓さんが生徒会長役でえばってておもしれーなーとか思ったりするのでした。おしまい。


↑すばらしいストライクウィッチーズのラジオを聴きながら書いた落書き。とくに意味なし。

関連>゜))彡

……この「赤い彗星」シュペーテも冷静に生き残った一人か。

……たとえば、この本なんかだと主観的、情緒的とは別の意味で警戒しながら読まねばならんという代物ではあろう。ちなみに、おれがあんまり旧日本軍の戦記物に手を出さないのは、おれが情緒的になりすぎるからかもしれない。こういってはなんだが、独ソ戦だとやや距離をおいて見られる。

……人類のこの種の愚かしさを題材にした作品はいろいろあって、カート・ヴォネガットなんか自らの苦しみの中からその上で書いてて……というと、『スローターハウス5』やらの話になるが、最近読んだ中ではこれだろうか。これはよかった。そして、愚かしい偽物の中にも、いや、だからこそという変な逆説をもはらんでいて。ただ、別のペレーヴィンの短篇集に手を出したが、やや冗長で読みきれなかった。しかし、『オモン・ラー』はおもしろいよ。