太平洋戦争の始まりと終わりを戦った『ある零戦パイロットの軌跡』を読む

……私は最初、あの時代にしかなかった戦闘機乗りという職人の技法(メチエ)に興味をおぼえたにすぎない。どんな分野であれ、技法一般については入門書に書かれているが、実際にそれを用いた本人の言葉を聞くと、マニュアルにはない臨場感が伝わってくる。いまの時代には用いられることのなくなった技法が、歴史の闇の中に消えるのを残念に思い、私は素人の視点でそれらを記録にとどめることにした。

なぜ川崎浹が零戦なのか?

 おれは今年になって二次大戦のエースパイロットの手記などを何冊か読んでいるが、いずれもドイツ、フィンランドソ連などの話であって、日本のものは手にとっていない。なにかこう、客観的になれないところがおれの中にあるからだ。しかし、この本、「ある零戦パイロット」、すなわち小町定についての本を手にとったのは、その著者によるところが大きい。川崎浹である。浹の読み方はしらないが(まあ、本の表紙にTohruって書いてあるけど)。

1967年、ボリス・サヴィンコフの『テロリスト群像』(原題は『一テロリストの回想』)を翻訳し、60年代の学生運動のバイブルとなった。

 こんな人である。そう、おれのもう一つのブームといえば社会革命党戦闘団であり、アゼフでありサヴィンコフなのである。そのサヴィンコフの訳といったらこの人、みたいなのがこの川崎さんだと想像する。つーか、『テロリスト群像』読んだし。それで、新装版の『蒼ざめた馬』を図書館で手に取り、そのあとがきの「わが青春のサヴィンコフ」みたいな文章の追憶と感傷の甘ったるさに、思わず棚に戻したほどである(いずれ読むかもしらんが)。
 その上、ソ連の作家がサヴィンコフを捕らえた側から描いた『報復』(購入、読みさし)の翻訳も手がけている。それについてこんなことも書いている。

 戦後のソ連時代、アルダマツキイという作家は国家保安委員会カー・ゲー・ベーと親しい関係にあったらしく、秘密資料を縦横に駆使して小説『報復』をあらわし(アルダマツキイ『報復』拙訳 白馬書房1969)、秘密警察が「狡猾な」サヴィンコフをいかに巧みに誘いだし、罠にかけたかを誇らしげにのべているが、語るに落ちたというべきだろう。「狡猾な」人物を罠にかけるには、幾層倍もの狡知をしぼり、無数の陥し穴を掘らねばならぬからである。それでもアルダマツキイが資料を忠実にうつしとらざるをえなかった部分もある。ソ連への潜入中、国境のアジトで銃をかまえた赤軍兵士たちがとつぜん食堂に姿をあらわしたとき、サヴィンコフは冷静にこう応じたという。「おみごと!朝食は続けさせてもらえるでしょうな」

http://www.dept.edu.waseda.ac.jp/foreign/russian/kawasaki/book01.htm

 このサヴィンコフ捕縛に関しては、あまり信用のおけない『ロシア秘密警察の歴史―イワン雷帝からゴルバチョフへ』に手口が紹介されいたが、まあいい。しかしなんだ、上のサイトの文章の書き出しとかいいよな。

パリには亡命ロシア王国が存在するという雲をつかむような話があった。

 まあ、そんなわけで、ほかに川崎さんがどんな本書いているのかと思ったら、なんか予想だにしなかった「零戦」の文字が飛び込んできて、とりあえず飛びついてみたという次第。だって、別個に流れていたマイブームの川が一本につながったのだから、ちょっと驚きだぜ。
 ちなみに、あとがきで何故自分がこれに興味を覚えたかについて、実存主義=ぎりぎりの選択を迫られる「極限状態」というコンセプトに一致したんじゃないかとか書いてる。ようわからん。それでも戦後派(アプレゲール)の「私」はすべてを疑ってかかるらしいので、防衛庁戦史室の『戦史叢書』も、『行動調書』も、戦記物も、アメリカの資料もインタビュー相手の発言も、真偽の秤にかけながら執筆したそうだ。

小町定

 それで、小町定さんはこんな方。……とWikipediaからひいてくるのもどうかと思うが。

太平洋戦争において真珠湾攻撃から終戦まで大戦の全期間を戦い、生き抜いた歴戦のパイロット。

 と、まあ、これがすごい。なにせ文字通りだ。どのくらい文字通りかというと、「終戦まで」は昭和20年8月18日の戦闘に参加しているくらいだ。ただ、本人にとっては当初戦争といえば大陸に行くものと思っていたらしい。アメリカとの戦争など、青天の霹靂のようだったらしい。真珠湾攻撃を聞いたのは択捉島付近、旗艦「赤城」のデッキに五隻の空母の搭乗員が集められて告げられたという。
 ちなみに、●は聞き手の著者、――は小町氏。

●情報など入ってこない時代に、小町さんは一青年としてアメリカをどう観ていたのですか。
――あんな遠くに離れた地球の裏側の大陸にある国と戦争するなどと、頭に浮かんだことがない。戦争とはすなわち中国大陸である、という先入観しかなかった。そう思い込んでいたのに、アメリカだと。ふだん訓練していても、アメリカを攻撃の対象に入れたことがなかった。だからアメリカの力、軍事力、経済その他を教えられたことはなく、まったくの認識不足です。

 言われてみりゃそうだよな、とも思えるような。いずれ小町さんも行くことになる南方の版図ですらかなりの距離なのに、アメリカはもっと遠い。もちろん、もっと前からアメリカと戦争になるかもしらんとか、戦争しろとか、避けろとかいろんな意見の持ち主も言論もあったろうが、少なくとも小町青年の認識はこうだった。なにせ、十八歳で呉の海兵団に入団してから、海兵としての猛訓練のほかに、パイロットになるための猛勉強をして、狭き門をくぐり抜けてパイロットになったら、今度はパイロットして一人前になるための猛特訓の日々だ。このころ鍛えられたパイロットの技倆はそうとうのものだったっぽい。
 で、真珠湾攻撃の前の晩のエピソード。

……明日午前零時に飛びたつという前の晩、艦長室前に集合という命令が下ったのです。我が艦(「翔鶴」)だけのことだったかも知れないが、みんな集まったときに、これから決戦になるということで、艦長から一言挨拶があり、よくあるようにお別れの儀式として恩賜のタバコをくれたのです。ところが一箱でなく一本ですから、あれには驚いた(笑)
●えっ、一本ずつだったのですか。
――なんだこれは、一本じゃないか、とちょっとがっかりした。そういう興奮と感興の真っ最中に一本だけくれたから、ありがたみ半減どころか、しらけてしまったことを覚えています。一服したら無くなっちゃいますからね。一箱なら大事にして記念に持って帰ろうと思っていたのに。

――ハワイを攻撃するという、勝敗を決する大事件ですからね。歴史を塗りかえる大作戦の開始に当たって、タバコの一箱くらいくれても(笑)
●戦意高揚のために、一本か一箱か。これは重要なシンボルです。なかには帰還できない人もいる。深刻な状況のときには、こういう滑稽なエピソードがつきものです。
――がっかりした面白い思い出です。それで不満を言ったことはありませんが、笑うに笑えないばかばかしい事実があったということです。

 と、なんというのか、はっきり言ってしまえば、「それはさておき」の話である。「重要なシンボル」といえるかどうかわからんが、なんというのか、戦記ものなど読んでいて、おれが気になってメモしたくなるのはこういう話だったりする。そのあと、だれが言うでもなく「もしハワイで落とされたときに、汚い格好をしているのをアメリカ人に見られたら不名誉だから、きちんときれいな格好で行こう」となったとか、そのあたりの、戦争の異常状態でも変に冷静というか、そういうあたりの、なんといったらいいかわからん機微が気になるんだ、おれは。あんまり勇ましい英雄譚とか、そういうんじゃなくてさ。そういうのもきらいじゃないけど。
 珊瑚海海戦でのエピソード。米機動艦隊を発見、打電した索敵機の菅野兼蔵飛曹長(同乗者は後藤継男一飛曹、岸田清二郎二飛曹……と名を記すべきだという著者のスタンスはいいと思う)が、帰路の途中に味方の攻撃隊に会うと、燃料不足で帰れないことを承知でUターンして誘導したという。

 いまでも小町さんは「菅野兼蔵はえらい人でしたねえ!」と感にもたえぬ面もちである。これに対し、小町さんの長女は、菅野の行為をではなく、菅野をたたえる父親の発言の根にあるものを、「それは人命を軽んじる特攻精神の始まりじゃないの」と反発する。

 また、小町元飛曹長は、特攻隊の生みの親である大西瀧治郎中将が、敗戦の責任をとって自決したことを賞賛した。だが、今度は次女が「数千人の青年を死に追いやった人間が責任を取るのは当たり前でしょう!」と言った。

 ……って、なんか、やっぱりこういう話になるとなあ。『私兵特攻』は宇垣纏だったが、なんというのか、いろいろ「うーん」となってしまうな。ただ、飛行機乗りには飛行機乗り特有の死生観みたいのはあるのかな? という気はするが、まあ人命の軽さといってしまえばそうだろうし、特攻、タラーン、エルベ特別攻撃隊とかはそういうレベルじゃねえだろうしな。

飛行機乗りの「秘技」

 で、まず著者が興味を持った技法、メチエの話なんだけど……。なんか眠くなってきたから簡単にまとめると……って、まとめられないか。ただ、技術の面では、小町さんが何回も繰り返してたのが、日本のパイロットが自らの操縦技術を戦友や後輩と共有しないで、自分の「秘技」にしてしまう風潮があって、あれがよくなかったってことだ。零戦で格闘戦といえば「ひねりこみ」。宙返り旋回を行なっている時に、どうやって距離を縮めてピタっと敵の背後につくのか。

 それを日本のベテランのパイロットたちが発見したのは、円周を描いてまっすぐ上がる代わりに斜めに上がるのですね。斜めに上るように見せかけ、宙返りのように見せかけて、機体にひねりを入れ小さく回るのが、さっき言ったロールのこの回転。これをここに折り込むわけです。では、そうれはどうやったらできるのか、それが問題なのです。
 そのへんの極意になると、昔の有名なパイロットたちは、「まだお前たちには早い」とか「お前たちに教えてもわからないよ」といって逃げるのです。

 「さっき言ったロール」ってのはクイック・ロールとスロウ・ロールってのの図解が載ってんだけど、まあいいや。なんかわからんけど、「昔の剣法」と同じで教えないという。まあ、本当に「まだ早い」ってこともあるんだろうけど、小町さんほどのキャリアの持ち主がそういう空気を感じ、語っているのだから、やっぱそんなんあったんじゃねえかって思えるわな。そんで、そんなことしてる間に、アメリカの方は「格闘戦はやるな、一撃離脱だ」、「サッチ・ウィーヴだ」ってマニュアル化していく。職人芸で作られた零戦に、剣士のような飛行機乗り。かっこいいけど、戦いは数だよ兄貴、か。あとは、ひたすら艦載戦闘機に無線さえあればもっと被害は少なかった、現場の声が上に届かなかったって。
 それで、小町さんの必殺技がなにかといえばって、たぶん、あの時代にまったく体罰を振るわなかったと知られる人なんで、「秘技」にはしなかったんだろうけど、まずはこんなのとか。防戦一方のラバウルに赴任してのこと。

――いちばんひどいときに。それで三号爆弾の職人みたいになった。毎日これを持って上がって敵爆撃群の間に落とすのです。

 というわけで、職人的三号爆弾の技法は本書を読まれたし。デング熱明けのきつい状況での生き残り方とかも学べる。というか、ドイツでも雲霞のごとく来襲する米軍機に空対空爆撃編み出した青年いたな、ハインツ・クノーケ。まあ、もちろんアメリカもすぐに編隊の組み方変えてきたりして対応すんだけども。あとは、キリモミと垂直落下を得意としていたらしい。ラバウルで後者を零戦でやっていて、本土で紫電改で同じ事をやったら大変なことになりかけたらしい。重さとスピードが違うので。で、その紫電改で小町定最後の戦い、日本帝国海軍最後の空中戦が行われる。終戦が伝えられ、飯も食えずみな呆然としている中でのことだ。

――ところがその二日後に、B29よりひとまわり大きなB32が飛んできました。とつぜん「アメリカ超大型機東京に向かって来襲」との見張りからの報告。止めるのも聞かず、私はバネがはじけたように走っていき、この野郎と、新しい二〇〇〇馬力の紫電改に飛び乗った。ところが上には上がいるものですね(笑) そのときの整備兵の動作のすばやいこと。私が飛び乗ったときには、もう紫電改のエンジンが始動していたのですから。驚いている暇なんかないので、チョークをはずして、そのまま発進しました。

 急に進路を変えて逃げるB32を伊豆大島のあたりまで追撃、直上法で攻撃しました。憤懣と怒りをこめて思い切り二〇ミリ弾を撃ちこみ、これで私の生涯の空中戦は終わりです。

 ただ、戦後はしばらく、この戦闘(終戦協定は9月2日なので罪にはならないが)と、真珠湾攻撃参加者を米軍が探しているということで、いつ逮捕されるかとビクビクしていたという。真珠湾から、最後まで。

感想

 はっきり言って、この本を知るまで小町定という名前を知らなかった。言わずと知れた「大空のサムライ坂井三郎に「零戦虎徹」岩本徹三、「ラバウルの魔王」西澤広義……とかに比べると、一般的な知名度は劣るだろう。総撃墜数も18機……もちろん十二分に立派なエースだし、非常に控え目な申告数で、実際は40行ってるだろうと(というか、わりと坂井さんとか話盛ってるだろうみたいなこともいろいろ書いてあったが)。ただ、なんというかサッカーで言えばディフェンダーみたいな戦闘機乗りだったのかな、と。陸の上の空と、海の上の空の違い。空母を失うと還る場所が無くなる中で、ともかくその守備についたらどうやって守るかだ、と(やっぱりそれでもパイロットは攻撃隊に選ばれる方がテンション上がるらしいが)。ゴール数じゃ計れやしないディフェンダーの価値、のような。そんで、そんなかで生き残る術を身につけ、生き抜いた。まったくすごいもんだ。おまけに、こんな話までついてくる。Wikipediaから(といっても、本書が出典だわな)。

小町は、操縦練習生時代の班長が、当時の海軍では当たり前だった体罰を小町たちに一切加えなかったことを徳とし、教育部隊での教え子に、体罰を一切加えなかった。

 って、こういう人徳があったところも見逃せないか。
 一方で、戦記物としてはどうかというと、どうなんだろうね。ミリタリーマニアじゃないのでなんともわからん。わからんが、著者自身認める通り、軍事に関しては素人が書いているものだし、小町さんについても飛行機の初歩の初歩から尋ねていく。そこんところが、やはり門外漢としておれにはわかりやすいところもあった。あとは、たしかにいろいろの資料を当たって、相反する記述や矛盾点など多く指摘してる。が、やはり専門の人ではないので、その精度はわからん。というか、もうちょっと小町さんのインタビュー多目でよかったんじゃねえかとも思うが。まあしかし、この人の戦歴を考えると、長くなっちまうから仕方ねえし、著者の関心領域から話が広がってしまうのも仕方がない。もう一度いうが、おれはミリタリーマニアでもないのではっきり言って著者が「戦記物に対する批評(クリティーク)という距離をもつ、いわば戦記が戦記自身を検証するメタ戦記でもある」とか言ってるのが成功してるのかどうかはわかりかねる。おそらく専門家が検証すりゃもっと批評的、客観的な精度が高いんじゃないかとも思う。ただ、小町定という、ある戦争をほんとうに「始まりと終わり」を戦った稀有な人物を一冊の本にしたという点で、これには価値があると、そう思う。そしてまた、すべての自戦記を残した人に、残せなかった人たちにも価値はある。それは著者が資料の中でただ名前だけで向き合いながら感じたものでもあったろう。おしまい。

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